「東日本旅客鉄道(JR東日本)」タグアーカイブ

東京駅丸の内駅舎復活間近!

閑話休題。第1回・東京駅から始まったスタンプ物語も、山手線を一周し、ようやく東京駅に戻ってきました。その東京駅丸ノ内駅舎が4月1日、ついに工事用のシートがはずされ、3年ぶりに壮大な赤煉瓦の駅舎の全容を見せました。完成は10月です。待ち遠しいですね。

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http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY201204010354.html

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スタンプ物語29・神田駅

スタンプの神田明神は

神田でなく御茶ノ水が最寄

山手線各駅停車の「スタンプ物語」もついに最後の神田駅となり、無事に一周して戻ってきました。
神田ということで毎年5月15日近くの土曜に行われる神田明神の神田祭の御輿が描かれていますが、神田明神の最寄は当駅ではなく中央線の御茶ノ水駅で、ホームにもその旨が表記されています。
神田祭は日本三大祭りのひとつに数えられ、山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったといいますが、路面電車の開通で山車の運行に支障をきたすようになり、さらに関東大震災で山車の大半が焼失したため、現在は御輿に替わっています。大祭は隔年で行われますが、艶麗で古風な行列の神幸祭、御輿宮入、太鼓フェスティバルなどが目白押しです。

神田明神は天平2年(730)に創建。承平5年(935)に反乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社近くに葬られ、延慶2年(1309)に当社の相殿神とされました。江戸築城に際して現在地に遷座してからは江戸総鎮守として尊崇されています。
境内には昭和50年(1975)に建立された随神門(写真左)や、昭和9年(1934)竣功の御神殿(写真右)のほか、多くの末社や銭形平次の碑などもあります。

しかし、神田であれば東側に北辰一刀流の千葉周作の道場・玄武館跡(写真左)や吉田松陰が刑場の露と消えた伝馬町の牢屋敷跡・刑場跡(写真右)などの史跡があるのですが、駅名にこだわるあまり御茶ノ水駅最寄の神田明神をスタンプに描いたのは明らかにミスキャストといえるでしょう。
次回からは中央線に入ります。次の停車駅はその神田明神の最寄となる御茶ノ水駅です。


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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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スタンプ物語28・秋葉原駅

大変貌を遂げた電気街

現在の秋葉神社は上野へ

スタンプは「万世橋とITの街」。平成17年(2005)のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるのが魅力です。また、メイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどでも賑わっています。その万世橋は電気街の南端にありますが、前身は延宝4年(1676)に架けられた筋違橋ですが、現在より150m上流にありました。明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にはその石材を利用して跡地にアーチ二連の石橋が架けられ、当時の東京府知事・大久保一翁によって萬世橋と命名されました。当時の読みは「よろずよ」でしたが、次第に「まんせい」の音読みのほうが定着したようです。明治36年(1903)には元万世橋と改称されますが、同39年(1906)に撤去されています。現在地に始めて架橋されたのは明治17年(1884)で、上流の昌平橋が流出したため、代表として架けられたものです。昌平橋が復旧すると新万世橋と改称され、明治36年(1903)に鉄橋に改架されて万世橋と改められます。現在のアーチ橋は関東大震災を経て昭和5年(1930)に架橋されたものです。

そして万世橋といえばご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館があり、スタンプの印影も最初はこちらが紹介されていました。左の旧スタンプ(現在はなし)は未押だったため、スタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でしたが、老朽化とバリアフリー対策などもあって平成18年(2006)5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。翌年10月14日には埼玉県さいたま市に後継の鉄道博物館が開館しています。

交通博物館の建物も平成21年(2009)から解体工事が始まり、跡地(写真左)にはJR東日本が主体となって地上20階、地下2階の「神田万世橋ビル(仮称)」を建築中。2012年12月上旬に完成予定となっています。
前置きが長くなりましたが、この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年(1888)に日本鉄道延長に伴い、台東区松が谷3-10-7に移転し、秋葉神社(写真右)となりました。そのため現在の秋葉神社は上野駅が最寄です。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。
次回の停車駅はいよいよ山手線の最終・神田駅です。


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スタンプ物語27・御徒町駅

春の訪れを告げる梅まつり

アメ横で魚介・乾物の買い物も

スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い、平成7年(1995)に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったのですが、撮りそびれました。なお、平成12年(2000)には湯島神社から湯島天満宮に改称しています。

湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われます。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が特別割引で拝観できるなどの催しがあります。
御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。昭和39年(1964)の地名改称で消滅しましたが、駅名などに残されています。また、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、400mに400軒の店舗が並び食品や衣類、雑貨、宝飾品などが業種ごとにまとまっています。とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。
次回の停車駅は秋葉原駅です。

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武蔵野線39周年スタンプラリー実施中

3月17日開業の吉川美南駅に新印

スタンプを集めて賞品を応募しよう!

3月17日にJR武蔵野線では新駅の吉川美南が開業し、数日後に訪問しましたが、大宮支社の新印スタンプ(左)が設置されました。さらに39周年を記念して2012年3月17日(土)~5月6日(日)まで「JR武蔵野線39周年スタンプラリー」を実施しています。39周年とは「サンキュー」の意味を込めたもので、新印とは別に吉川美南駅と武蔵野線内の「東・西・南・北」のつく全13駅に、武蔵野線で活躍した車両のラリースタンプが設置されます。
このうち吉川美南駅のスタンプ101系(右)は必須で、他は「東・西・南・北」のつく駅をめぐり、3駅でB賞(武蔵野線オリジナルジグソーパズル・300名)、5駅すべて集めると特別賞(吉川美南駅開業記念置時計・3名)、A賞(武蔵野線39周年ペーパーウェイト・70名)のいずれかに応募できます。合計で吉川美南の「みなみ」をもじった373名に賞品が当たります。
スタンプ設置駅は吉川美南と北府中・西国分寺・東所沢・北朝霞・西浦和・南浦和・東浦和・東川口・南越谷・吉川美南・南流山・東松戸・西船橋。ラリースタンプ設置時間は初電~終電ですが、八王子支社内の北府中・西国分寺・東所沢の3駅だけは9~17時となっているのでご注意ください。
詳細はこちらをご覧ください。
応募締め切りは2012年5月11日(金)当日消印有効です。


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