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スタンプ物語4・浜松町駅

新旧の建造物が対照的

季節を衣装で示す小便小僧もお忘れなく

東京タワーの最寄駅が浜松町です。とはいえ北口から徒歩15分、約1kmありますので、東京メトロ日比谷線の神谷町駅か都営三田線御成門駅のほうが最寄といえますが……。
東京タワーといえば映画『ALWAYS三丁目の夕日』でもおなじみですが、昭和33年(1958)に竣工された高さ333mの集約電波塔です。昔は田舎の修学旅行で東京へ行くと、必ず「はとバス」のツアーで立ち寄りました。ペナントや置物のカレンダーなど、ひと昔前のおみやげは懐かしいものです。タワーには高さ150mと大展望台と高さ250mの特別展望台がありますが、だいたい修学旅行では大展望台までしか登らせてくれません。特別展望台はさらに料金がかかってしまうからです。他にも蝋人形館やギネスワールドレコードミュージアム、トリックアートギャラリー、東京タワー水族館など楽しげな施設が目白押しです。ところでこの東京タワー、平成23年(2011)7月24日のアナログ放送終了で、その使命をまっとうしました。その後、放送局は次々と墨田区押上の東京スカイツリー(高さ634mは世界一)へ移転していますが、NHKと民放5社は東京タワーを予備電波塔として使用していく方針で、その後も文化遺産として残されてゆくことでしょう。

徳川家霊廟の秀忠と江(崇源院)夫妻の合祀墓ですが、元々は別々でした。秀忠の霊廟が戦災で焼失したため、江の石造宝塔を共用することになったわけです。

東京タワーの東側にあり、スタンプにも新旧対照的に描かれている建物が芝増上寺の大殿です。昭和49年(1974)の再建ですが、その荘厳さを失っていません。開山は明応4年(1393)で、慶長3年(1598)に現地に移転し、徳川家康および歴代将軍の手厚い保護を受けました。徳川家の霊廟があることでも知られ、歴代将軍のうち2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂と6人が眠っています。墓所は通常非公開で、 4月上旬の御忌大会などの特別な日しか公開されません。ただし、平成23年(2011)は大河ドラマ『江~姫たちの戦国』の放映にちなみ、通年公開(年末は休み)され、平成24年(2012)1月末日まで特別拝観が実施されています。拝観料は500円(記念品付)で10~16時。ただし例年の特別公開日は無料(記念品なし)となります。この機会に秀忠&江夫妻が合祀された宝塔をぜひお参りされてはどうでしょうか。詳しくは当寺のWEBをご覧ください。
この増上寺、江戸時代には日光東照宮に劣らぬほどの絢爛さを誇ったといいますが、政教分離で境内の大半が芝公園となり、貴重な霊廟や五重塔なども戦災で失われてしまったそうです。それでもお江戸の華やかさを体感するにはおすすめのスポットといえましょう。
また、駅東側には旧芝離宮恩賜庭園(写真右)もあります。延宝6年(1678)に老中で小田原城主の大久保忠朝が当地を拝領し、貞享3年(1686)に楽寿園を造園。その後、堀田家、清水家、紀州徳川家の所有を経て、明治4年(1871)には有栖川宮邸となり、同9年に芝離宮となりました。浜離宮同様、迎賓館として洋館が新築されましたが、大正12年(1923)の関東大震災で洋館を焼失し、翌年に昭和天皇の御成婚を記念して東京市(現・東京都)に下賜され、一般公開に至っています。
ここも浜離宮同様、回遊式汐入り林泉庭園ですが、周囲の埋め立てで海の眺望は失われ、鉄道の増設用地提供などで庭園面積は小さくなりましたが、往時の大名庭園の面影を色濃く残しています。詳しくはこちらをご覧ください。

最後に浜松町といえば、かつてのスタンプ(現在はありません)に描かれていた小便小僧の存在を忘れてはいけません。3・4番線ホームの田町寄りにあります。この像は昭和27年(1952)に、地方からの旅人を癒す目的で当時の新橋駅歯科医小林光氏によって寄贈されました。その後、昭和61年(1986)に防火用PRの衣装を着せたことから、以後、地元のボランティアによって、月ごとに着せ替えがあり、その移り変わりをギャラリーで見ることができます。駅のマスコットとして愛され続ける小便小僧も還暦を迎えようとしていますが、放水の勢いは衰えることがありません。
次回の停車駅は田町駅です。


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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。