日本で現役唯一の跳開式可動鉄道橋梁

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR関西本線 四日市-旧・四日市港

国内で唯一の可動している跳開式鉄道橋梁がJR関西本線 四日市-旧・四日市港(現在はJR四日市駅の構外側線)間にあることは、ここにDD51形の定期運用がある貴重な区間としても有名なため、当サイトの読者の方ならだいたいは知っていると思う。
JR四日市駅から南東へ1.5kmくらいの所にあるこの可動橋は『末広橋梁』といい、経済産業省から近代化産業遺産に2009年(平成21年)2月23日に認定されている。また2015年7月24日には日本機械学会の機械遺産第70号に認定されている。

橋梁の概要については下写真の説明板を読んでいただくとして、ではこの可動橋梁がどんな動き方をするのかを、ここで眺めていきたいと思う。

末広橋梁の西岸袂に立つ説明板。右下には『近代化産業遺産』のプレートが燦然と輝いている。
末広橋梁の西岸袂に立つ説明板。右下には『近代化産業遺産』のプレートが燦然と輝いている。
末広橋梁を渡る『DD51 1804』牽引のセメント列車。可動桁はプレートガーダ3連のうちの真ん中になる。画面的には左の手前がJR四日市駅側で、右の奥が旧・四日市港。ちなみに、タイトル写真との連続撮影でもある。
末広橋梁を渡る『DD51 1804』牽引のセメント列車。可動桁はプレートガーダ3連のうちの真ん中になる。画面的には左の手前がJR四日市駅側で、右の奥が旧・四日市港。ちなみに、タイトル写真との連続撮影でもある。
可動桁が上がっているパターン。平日の列車が往復する時以外に訪れるとこの状態が見られる。
可動桁が上がっているパターン。平日の列車が往復する時以外に訪れるとこの状態が見られる。

現在この橋梁を通る列車は最大5往復が設定されているが、だいたいは3往復の運行になる。
貨車は太平洋セメントのタキ1900形が主で、関西本線 JR富田からJR四日市駅に来た列車がさらにこの橋梁を渡り、その先150mあたりにある太平洋セメント専用線との合流地点で貨車の受け渡しを行ない、すぐにJR四日市駅に戻るという運転形態になっている。主な3往復のJR四日市駅発時刻は、9:50、12:50、14:50頃だが、この区間は四日市駅の構外側線になっているため、列車がこの時刻通りにくるとは限らないというのがあるのと、また荷主の都合により減便するすることもあり、さらに初夏頃には工場の定期検査になるため終日走らない日もあることを申し添えておこう。
可動橋が開閉するのは、基本的には平日のみで、列車が通る約10分前くらいになると係員の方が橋の西岸袂にある操作室へ自転車に乗ってやってくるので、それが列車がくる目安になる。なお、休日には可動桁は下がりっぱなしになっているため可動橋が開くシーンは見られない。

可動桁が上がっている状態をJR四日市寄りにある踏切から旧・四日市港方を眺めたところ。レールと枕木が善くぞ外れないものだと感心してしまう。
可動桁が上がっている状態をJR四日市寄りにある踏切から旧・四日市港方を眺めたところ。レールと枕木が善くぞ外れないものだと感心してしまう。
東岸側の南寄りから眺めた末広橋梁の、可動桁が上がった状態。左方がJR四日市で、右方が旧・四日市港。支柱内の遮断壁が重りを兼ね、それが下がることにより、これにつながったケーブルに引っ張られ、つるべ式に跳開されているのが解る。
東岸側の南寄りから眺めた末広橋梁の、可動桁が上がった状態。左方がJR四日市で、右方が旧・四日市港。支柱内の遮断壁が重りを兼ね、それが下がることにより、これにつながったケーブルに引っ張られ、つるべ式に跳開されているのが解る。
末広橋梁を渡るセメント列車を、この日は国鉄色の『DD51 899』が牽引してきた。なお、この写真は一昨年の春に撮影。
末広橋梁を渡るセメント列車を、この日は国鉄色の『DD51 899』が牽引してきた。なお、この写真は一昨年の春に撮影。

執筆時点(2016年9月)では、関西本線の名古屋口はDD51形のワンダーランドといった趣きだが、2016年8月に東海道本線の電車で稲沢を通ったおりに愛知機関区にDF200形の内地仕様試作機『DF200-223』が停まっているのを目撃した。DD51形にとってのいよいよの時が近づいているのかもしれない。
現在は84トンのDD51が走る可動橋を、96トンのDF200が果たして通れるのか。橋梁に補強工事を施すのか。四日市界隈だけはHD300形などが充当されるのか? ここしばらくは、末広橋梁と、その周辺に関る話題からは目が離せないだろう。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。