鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR東海道本線・名古屋鉄道名古屋本線 豊橋-平井信号場
JR・名鉄 豊橋駅の在来線プラットホームは主に、1・2番線がJR飯田線の電車が使用し、3番線は名鉄名古屋本線の電車が使用して、さらにその海側の4番線~はJR東海道本線の列車が使用しているという、名鉄線がJR線に挟まれた配置になっていて、さらに名古屋方の山側にはJR東海の豊橋運輸区などの施設もあり、名鉄名古屋本線が豊橋駅構内のドコをどう通っているのか気になっている方も多いのではないだろうか。
実は、豊橋駅とここから北西に名鉄側キロ程で3.8km(JRは3.9km)地点に位置する平井信号場との間は、JR東海と名鉄のそれぞれの会社が所有している飯田線と名古屋本線の単線を共用し、複線として使用している。それもあって、豊橋駅では名鉄線がJR線とJR線の間にプラットホームを巧く配置できるような配線になっているのだ。
なお、豊橋-平井信号場 間の各線路の所有社は、山側の上り線を名鉄が、海側の下り線をJR東海が、それぞれ保有している。
ではナゼこのようなJR東海と名鉄の線路共用区間が成立したのか。簡単に要点だけ記すと、この区間の開通はまず1897年(明治30年)7月15日に豊川鉄道により飯田線の前身になる豊橋-豊川 間が単線で開業。1927年(昭和2年)6月1日に途中に平井信号場を設け、愛知電気鉄道がそこから吉田(現・豊橋)駅まで山側に単線を敷設してこちらを上り線、元の豊川鉄道線を下り線として複線共用開始。1935年(昭和10年)8月1日に愛知電気鉄道は名岐鉄道と合併して名古屋鉄道成立。1943年(昭和18年)8月1日に豊川鉄道が国有化され飯田線になり、1987年4月1日の国鉄分割民営化により飯田線がJR東海の路線になって、現在の形態に至っている。
ところで、豊橋-平井信号場 間には 船町、下地 の2駅があるが、名鉄の電車はその2駅には停まらないのは皆さんなら解っているだろう。ナゼかはこの2駅がJRの駅だからに他ならないが、豊橋駅から乗車する時には気をつけたい。まあ当サイトの読者で誤乗する人はいないと思うが。
では、そんな2駅を通る電車を眺めていこう。
さて、ここまで見てくると平井信号場の合流分岐点も眺めてみたくなるというもの。位置的には、JR飯田線小坂井駅から、上り線が南に600mほど、下り線が南南西に500mほどの地点にあり、グーグルマップを見てもらえば解ると思うが、下り線の分岐点はその小坂井駅から徒歩で行きやすい場所にある。
上り線の合流点は近づくことはできないが、豊川放水路の土手上から遠望することができるので、せっかくなら、そこも訪れてみるのも良いかも知れない。
というわけで、そんな2地点も見てみよう。
余談になるが、JR飯田線沿線には日本車輌製造の豊川製作所があることは、皆さんご存知と思うが、ここで製造された鉄道車輛の多くは甲種輸送によって、この線路を通って全国へ運ばれて行く。
よく見られる出場とは逆の、珍しい入場時の写真になるが、それをお見せして、この記事を締めくくることにしよう。
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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。