境内地を通る踏切を訪ねる(初回)岐阜県大垣市・石引神社

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[場所]西濃鉄道市橋線 美濃赤坂-乙女坂

神社仏閣の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる
不定期シリーズです

全国の鉄道線路の中には神社仏閣の脇に敷設された区間がタマにあるが、位置によってはルートの都合から線路がその境内地のナカを通ってしまっている場所も僅かに存在する。そしてこのような場合だとその線路を渡るために、境内ナカに踏切がある状況が生じているケースも案外起こりうる。
そんな境内地に踏切がある景色って「ナゼここに!?」って意外性が不思議だったりするので、この度…境内地にある踏切を訪ねる…シリーズを不定期で始めさせていただいた。
ということで、栄えある初回は、貨物鉄道好きには有名なアノ踏切が登場だ。

石引神社は東を向いて鎮座している。手前の一の鳥居と奥の二の鳥居の間を横切っているのが境内ナカ踏切。
場所は岐阜県の西濃鉄道市橋線 美濃赤坂-乙女坂 間、JR東海道本線美濃赤坂支線 美濃赤坂駅 北方600mほどの地点に鎮座する石引神社の境内を横切る線路を渡る踏切で、貨物鉄道好きや中京地区の鉄道好きの方ならいま更ネタとは思うが、お許し願いたい。
さて、石引神社の縁起由来は、祭神は安閑天皇で、創建年代は不詳だが、一の鳥居前の参道入口に案内板が立っていたのでそれをまず引用で記るすと、

「石引神社
巡礼街道沿いの金生山麓に祀られる蔵王権現であるが、大垣藩主松平越中守定綱が城の石垣石を、この附近から採取し杭瀬川から大垣城内へ石を運んだ記念に「石引神社」と呼ばれるようになった。また翌年(寛永12年=1635) 桑名に栄転した越中守は、桑名祭りの名を「石取り祭」と名付けたという。
平成元年七月 大垣市赤坂商工会」

補足として、城主の松平定綱が大垣城の大規模工事を行ったのは、1633年(寛永10年)に三代将軍徳川家光が京都への上洛途上に城へ迎え入れるためだった点を申し添えておく。
では、表通りから境内に入り、踏切に近づいてみよう。

石引神社を表通りから眺めたところ。一の鳥居の形式は明神鳥居。写真フレーム外左に上の字句が記された説明板がある。
線路が通っているのは、真の境内地のナカだ。
石切神社の境内地踏切は一の鳥居と二の鳥居の間にある。
ではその踏切を渡って、反対側から参道方を眺めてみよう。

二の鳥居の奥から反対を向いた景色。鳥居の形式は中山鳥居。
お社を背にして眺めた光景。なお踏切は第4種。
神社正面や真逆からの写真では、横切っている線路が本物なのか実感が涌かない方もいそうなので、石切神社の踏切を美濃赤坂側にある隣の踏切道から眺めた写真も載せておこう。

美濃赤坂方にある踏切道からの石引神社の踏切の眺め。当たり前の話になるが、レールは光っていてまさに現役線路なのが見て取れる。

西濃鉄道市橋線にはストラクチャー的な見どころ満載

西濃鉄道市橋線 美濃赤坂-乙女坂 は1.3kmの距離だが、この区間には、石引神社の踏切の他にも鉄道ワンダーランド的な見どころがある。特にJR美濃赤坂駅~石引神社の間には旧中山道が横切っていたりと、線路以外が目的で沿線ウォーキングをするのも面白い。
ただし、そうはいっても当サイトは鉄道旅系なので、ブレない内容をお届けしたい。ということで、この区間のどこか郷愁を誘う踏切をいくつか紹介していこう。

岐阜県道216号旧中山道の踏切は、道幅がそれ程広くないながら遮断機はワイヤー昇開式を採用している。コレが旧5街道宿場町の町並みに何げにマッチしている、その時代を超越した光景がまた楽しい。
全国的に見てかなり珍しいと思える個人商店専用踏切。左には個人宅専用踏切が見える。
個人宅専用踏切は他にもまだある。
こちらは公道の第4種踏切だが、敷石が併用軌道っぽいので載せてみた。
岐阜県道214号と216号旧中山道が交わる地点に立てられた「中山道ルートマップ」と、掲げられた「赤坂宿」の説明板。ルートマップに昼飯線がまだ描かれているのが嬉しくなってしまう。


そして市橋線の見どころをもう一つ。現時点の列車的な終着駅である乙女坂駅には、国内では稀少な鉄道線の貨車への石灰石積み込み施設がある。

乙女坂駅を南方にある踏切道から遠望。工場の大きさからも石灰石産出の重要拠点なことが解ろう。なお、DE10 501 DLが写っているこの写真とタイトル写真は、ともに2016年3月29日の撮影で、昔の写真であることを申し添えておく。
積み込み施設は公道からは遠く、積載シーンを眺めることはできないが、工場を含めた巨大施設を眺めているだけでも、鉄道による物流の重要性を感じられる場所だといえるのではなかろうか。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。