信州千曲のJR桑ノ原信号場スイッチバック線路を眺める

ナゼそこに!? いまなお現役…山の斜面に開設された通過可能形スイッチバック信号場

[場所]JR篠ノ井線 桑ノ原信号場

信州松本平と善光寺平(長野盆地)の間、犀川と千曲川に挟まれた地域に、聖山・冠着山(姨捨山)などを擁する聖山高原が広がっている。JR篠ノ井線で善光寺平から松本平方面へ向かうと、この聖山高原の北東側斜面の中腹の上り勾配に通過可能形スイッチバック信号場の桑ノ原信号場がある。

桑ノ原信号場の篠ノ井・稲荷山側からの直前の眺め。シーサスクロッシングの右直線方が本線、左奥側が姨捨方引き上げ線、右手前側が稲荷山方引き上げ線。
上の文章に似た書き出しにより、2026年9月5日アップ「ナゼそこに!? いまなお現役…山の斜面に開設された通過可能形スイッチバック駅」でJR篠ノ井線 姨捨駅を紹介しているが、その記事中にて「元々は、本記事において姨捨駅北北西約4kmの位置にある桑ノ原信号場の写真も併せて載せるつもりであったが…」と予告していたけれども、それがこの記事になる。
なお、この記事は長野側から松本方へ向かって前方展望のみで構成している点をご理解いただきたい。それでは、上り列車に乗車して稲荷山駅方より眺めていこう。

JR篠ノ井線 稲荷山駅の姨捨方。この前方約4.5km先に桑ノ原信号場がある。

JR篠ノ井線は、線路的には篠ノ井駅を起点として、塩尻駅が終点になっているが、列車番号的には逆に 篠ノ井→塩尻 へ上り列車の列番が振られているので、本記事においての上り・下りはコチラ列番の方に従っていることを申し述べておく。
なお、この項は時系列を大切にしているため、本文を極力減らし、写真のキャプションがメインにて記事を組んでいる点をご理解いただきくお願いしたい。

上り列車稲荷山駅側から到着~桑ノ原信号場~姨捨駅方へ進行までを眺める

篠ノ井線の区間のうち、桑ノ原信号場がある篠ノ井-西条 間の開通は1900年(明治33年)11月1日だが、桑ノ原信号場が開設されたのは1961年になってからになる。

冒頭の写真とは順番が前後するが、稲荷山駅から約4km地点で前方に場内信号機が見えてくる。
篠ノ井線 篠ノ井-松本 間の電化は1973年3月28日なので、桑ノ原信号場が開設された頃はまだ架線が張られておらず、信号場設置当時に貨レはもちろんSL牽引だったが、普通客レもSL牽引により運行されていた。

上からの連続写真で、場内信号機のアップ。右が本線のモノで、この時はコチラがG現示。
さらに約100mほど進むとシーサスクロッシングが見えてくる。右の信号機は稲荷山方の引き上げ線のモノなので共にR現示。左の白い後姿の信号機は姨捨方引き上げ線のモノ。
上々写真~上写真からの連続撮影なので、当然ながら本線側が開通している。
手前のトングを隠して撮影しているため左の直線引き上げ線方に入線しているように見える(汗)が、実は、右の本線方へ進行している。当初、左の姨捨方引き上げ線へ入線していくような写真を撮って誤魔化そうと思ったけれども、ウソはいけないので白状してしまう(謝)。
姨捨方引き上げ線から眺めた、本線を駆ける上り特急しなの。後追い写真になる。
上の写真とタイトルは何を隠そう記事一連のシーンとは別の、それより以前に篠ノ井線上り普通電車へ乗車した時に撮影した写真で、実のトコロ、本記事のプランを立案する4年前の撮影になる。なので、この時の乗車列車は、せっかく引き上げ線に入って「上り特急しなの」待避をしてくれる普通電車だったのだが、前方展望にてシーサスクロッシングのトングが引き上げ側を向いている写真と、長野方の引き上げ線に入っているシーンは撮っていない。時期的には仕方ないとは云え、いま思い返えせば「ナゼ1枚も撮らなかったのか?」心残りではある。

シーサスクロッシングを過ぎると、本線はさらに登り、姨捨方の引き上げ線は左下に見えるようになる。
姨捨方の引き上げ線の長さはシーサスクロッシングから約400m強延びている。その車止め直前地点の両線路の高低差はこのくらい…。右の本線の踏切の手前に白い背を向けて立っている信号機は桑ノ原信号場の姨捨側場内信号機。
これよりさらに勾配線を登り、この約4km先で前方左に場内信号機が見えてくる。

姨捨駅舎の北60mくらいの位置にある道徳踏切付近からの松本方の前方展望。奥の信号機が姨捨駅の場内信号機。右上の建造物は姨捨駅の跨線橋。
ここからは前回記事「信州千曲のJR姨捨駅スイッチバック線路を眺める」が続きになる。
アップのタイミングの都合で順番が前後してしまい、読みづらくて申し訳ない。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。


[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。