熱海のへっつい

[場所] JR東海道本線 熱海駅

『へっつい』鉄道用語?愛称?

少し古い話しになるが、JR東海道本線 熱海駅前に保存・展示されている「熱海軽便鉄道7機関車」が2014年1月に、長年置かれていた駅前広場北東寄りから、同じ駅前広場ではあるが南西寄りの平和商店街入口に移転された。

これにより、それまでは機関車の周囲に植えられていたソテツなどに阻まれてすっきりした写真を撮ることが困難だったが、ついに全姿写真やキャブ側からの写真が撮れるようになったので、今さらネタではあるが、ここで紹介していこう。

2014年1月以前には「へっつい」は熱海駅の駅前広場北東に置かれていた。周囲はソテツなどに囲まれていて、説明板があるこの角度以外からの全姿はとても撮れる状況ではなかった。
2014年1月以前には「へっつい」は熱海駅の駅前広場北東に置かれていた。周囲はソテツなどに囲まれていて、説明板があるこの角度以外からの全姿はとても撮れる状況ではなかった。

ところでタイトルの「へっつい」だが、「熱海軽便鉄道7機関車」に添えられている説明板にはこの言葉が一切出てこない。この「へっつい」とは、かつて民家の土間にあった竈の異名で、かの志賀直哉が短編小説『真鶴』(1920年)の中で、熱海鉄道(当時は大日本軌道小田原支社)の7号機のようなボイラーの低い機関車に対して「どうだ、このボイラーの小せえ事、恰もへつつひだな」と表現したことから、このスタイルの機関車を「へっつい」と愛称されるようになったもので、せっかくなので今回のタイトルに使わせていただいた。

「熱海軽便鉄道7機関車」の左サイドに掲げられている同機関車の説明板。解説の中に「へっつい」の文字は一言もない。
「熱海軽便鉄道7機関車」の左サイドに掲げられている同機関車の説明板。解説の中に「へっつい」の文字は一言もない。

今は無き鉄路を走った『へっつい』

それではなぜ軽便鉄道の機関車が熱海駅前に保存・展示されているのか? それを語るには、まず東海道線(当時は官設線)が1887年(明治20年)に横浜から国府津駅まで開通して、1889年にはさらに先の浜松まで開通した時代にまで遡らねばなるまいか。
古くからの温泉地として知られていた熱海は、今では東海道本線の列車が頻繁に発着する交通便利な場所になっている。しかし東海道線は、開通した当時には地形の関係により国府津から酒匂川に沿って山の中へ入っていく、今の御殿場線の経路を取ったため、小田原、熱海といった町はそのルートから外れてしまった。これは有名な話しだろう。
さて、湯治に赴くにはかなり不理な場所になってしまった熱海だが、同じくメインルートから外れた小田原に関しては、1888年に国府津-小田原-湯本 間に小田原馬車鉄道(1900年に電化され小田原電気鉄道に社名変更)が開通している。そこで、この鉄道と接続するように1895年(明治28年)~1896年に掛けての期間に小田原-熱海 間に610mmゲージの人車軌道である豆相人車鉄道が漸次開通していった。これにより東海道線の駅から熱海までの車輛による交通の便が確保された。
そして、1907年(明治40年)にはこの線路を熱海鉄道の手により762mmゲージの軽便鉄道へと切り替え、1908年からは蒸気運転が開始された。その当初の機関車はアメリカのボールドウィン製が使用されていたが、後に国産機が投入された。このうちの一台が「熱海軽便鉄道7機関車」で、同線廃止後に全国各地の鉄道建設工事に使用された後、長らく国鉄鷹取工場構内で一部をカットされた標本車として保管されていたが、熱海に縁がある機関車ということで、1969年に同工場で修復され、この地に戻ってきた。なお、この機関車は1976年にはJR東日本旅客鉄道(株)横浜支社指定準鉄道記念物第一号に指定されている。
ちなみに熱海鉄道(1908年から大日本軌道小田原支社→1920年から熱海軌道組合)は、1922年(大正11年)に省線 熱海線(現・東海道本線)小田原-真鶴 間が開通するとその並行区間を廃止して真鶴-熱海 間で営業を継続したが、1923年に発生した関東大震災により残存区間が不通となり、1924年には省線 熱海線が熱海駅まで開通したこともあり、同年に廃止された。

2015年9月時点では「へっつい」は南西寄りの平和商店街入口に鎮座している。雨対策とかが一切されていないが、以前の場所でも屋根とかなかったから、腐食の心配に感しては問題ないのかも知れない。以下では上記紹介の斜めからの他2方向もお見せしておく。
2015年9月時点では「へっつい」は南西寄りの平和商店街入口に鎮座している。雨対策とかが一切されていないが、以前の場所でも屋根とかなかったから、腐食の心配に感しては問題ないのかも知れない。以下では上記紹介の斜めからの他2方向もお見せしておく。

へっつい

へっつい

低重心には訳がある

それにしてもこの機関車は「へっつい」と愛称されるまでに、なぜ重心がこんなに低い形になっているのか? これは熱海鉄道の線路が道路の上に直接敷設された場所が多く、路盤が脆弱なところもあるため、軽量かつボイラーの中心高を極端に下げて安定させて、そんな軟弱な軌道に対応させるために考えられた設計によりでき上がったスタイルとのことだ。
「へっつい」は、国産では雨宮鉄工所、石川島造船所、池貝鉄工所などのメーカーで製造されているが、この「熱海軽便鉄道7機関車」は、とりあえず製造メーカー不明とのことだが、越中島鉄工所製との噂がある。

せっかくなので、立面図的アングルで4面も載せておこう。ちなみにこの写真の左に立っている棒の立て札には「東日本旅客鉄道(株)横浜支社指定準鉄道記念物第一号」と記載されている。
せっかくなので、立面図的アングルで4面も載せておこう。ちなみにこの写真の左に立っている棒の立て札には「東日本旅客鉄道(株)横浜支社指定準鉄道記念物第一号」と記載されている。

へっつい

へっつい

へっつい

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。