「京王電鉄」タグアーカイブ

スタンプ物語11・渋谷駅

地名の由来となった金王丸と

欠かせない忠犬ハチ公・涙の物語

スタンプは東口から徒歩5分の「金王八幡宮」(渋谷3-5-12)です。江戸期には江戸八所八幡の一つとして崇敬を集めました。総漆塗りの現社殿は慶長17年(1612)、春日局が家光将軍決定の御礼として建立したといわれ、渋谷区最古の木造建築物。よく戦災から免れたものです。摩天楼のような高層ビルが建ち並ぶ喧騒の中に鎮座し、渋谷の街を見守り続けています。
渋谷の地名は、源頼朝の父義朝の腹心だった渋谷金王丸の姓に由来しています。ここに金王丸の一族渋谷氏の拠点・渋谷城がありました。神社自体は寛治6年(1092)、渋谷氏の祖河崎基家の創始でさらに500年以上前にさかのぼることになります。当初は元渋谷八幡宮といわれていましたが、金王丸の名声にちなみ現在の神社名になったそうです。
今回は来年の大河『平清盛』にちなんで、この渋谷金王丸にスポットを当ててみます。平治元年(1159)12月27日、平清盛に敗れた源義朝は、東国で再起をはかろうとして逃走。途中、義朝は家人の鎌田政家(正清)の舅にあたる尾張国野間(愛知県美浜町)の長田忠致を頼ることにしました。長田屋敷で新年を迎えて、出立しようとしていた正月3日、忠致は義朝をこのまま逃がすより、討ち取って平氏の恩賞に預かろうと画策。そこで武勇の誉れ高い義朝に朝風呂をすすめ、丸腰のところを3人の剛の者が襲うことにしたのです。しかし、入浴中の義朝には従者の金王丸が太刀を携えて控えていました。ところが用意周到に忠致は替えの服をそろえておらず、金王丸が服をとりに場を離れた隙に陰に潜んでいた長田の家来3名が湯殿に入り、義朝に襲いかかり、義朝は38歳で絶命したのです。服をとって湯殿に戻った金王丸は、たちまち3人を斬り伏せ、玄光法師とともに主君の仇を討とうとしたのですが、すでに長田父子は恩賞に預かるため、義朝の首を持って京都へ向かったあとでした。やむなく金王丸は野間を去り、義経の母常盤のもとを訪れて、義朝の最期を報告します。その後、義朝の菩提を弔うため、剃髪して僧侶となり諸国を行脚したといいますが、消息は不明で、全国に金王丸の墓が伝わっています。
また一説によれば、剃髪後は土佐坊昌俊と変名したといわれます。土佐坊は平家滅亡後の文治元年(1185)10月に頼朝の命を受け、京都の義経邸を襲撃し捕えられて斬られる人物です。もしこれが真実なら、前半生をみるとむしろ義経に親近感が湧きそうな気がしますが、敬愛する主君の子供同士が争うのをしのびなく、義経に討たれることを覚悟で志願したともとれます。『義経記(ぎけいき)』によれば、鞍馬で捕えられた土佐坊を義経は鎌倉へ返そうとしましたが、怖じることなく自ら死を願い出て斬られたといいます。

話が長くなってしまいましたが、渋谷駅といえば忘れてはならないのが、過去のスタンプ(現在はなし)にも描かれていた忠犬ハチ公です。JR駅では「ハチ公」の名のつく改札・出口も設けられており、駅前のハチ公像は待ち合わせ場所として人が切れることはありません。
 ハチは大正12年(1923)、秋田県大館市で生まれた秋田犬で、翌年から東京帝国大学農学部の上野英三郎博士に飼われることになりました。上野教授の邸宅は現在の東急百貨店本店周辺にあり、ハチは毎日最寄りの渋谷駅まで送り迎えしていました。だが、博士に可愛がれた幸せな日々も束の間、一年後の大正14年(1925)5月21日、上野博士は大学で急逝します。その後もハチは帰らぬ主人を毎日待ち続けました。
 ハチが有名になったのは、昭和7年(1932)、朝日新聞に「いとしや老犬物語」に掲載されてからで、以後、敬意を表して「ハチ公」と呼ばれ、忠犬の誉れとして全国的に有名になりました。初代の銅像はハチが存命中の昭和9年(1934)4月21日、渋谷駅前に建立。自身も除幕式に出席する華やかな舞台でした。
 銅像建立から一年後の昭和10年(1935)3月8日、ハチは渋谷駅の反対側にある稲荷橋付近でひっそりと息を引き取ります。享年13歳。遺体は渋谷駅に運ばれ、告別式は人と花輪で埋め尽くされました。この美談は尋常小学校の国定教科書(修身)でも、「恩を忘れるな」と紹介されています。
しかし、太平洋戦争が始まり、戦局が悪化した昭和19年(1944)10月、金属供出で回収。像は溶解されてしまい、像を制作した彫刻家の安藤照も東京大空襲の際に亡くなりました。終戦後、ハチ公像再建の声が高まり、昭和23年(1948)8月15日、渋谷駅前で再建されたハチ公像が除幕された。制作は安藤照の息子・士(たけし)です。

ところで、あまり知られていないことですが、ハチは台東区の上野公園にある国立科学博物館(入館600円/9~17時/月曜〈祝日の場合は翌日〉休)で会うことができます。ハチの死後に寄贈され、剥製が博物館の秋田犬の代表として展示されているのです。銅像や晩年の写真で見るハチは、左耳が皮膚病で垂れていますが、剥製は耳も復元されていますので、ハチと気づかず見落としてしまう人も多いようです。また、ハチの死因は解剖の結果、フィラリアの寄生であるといわれ、その臓器は文京区弥生の東京大学の農学資料館(入館無料/9~17時/土・日曜、祝日休館)で研究資料として展示されています。
次回の停車駅は原宿駅(2012年1月6日更新)です。


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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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