大楠が高架のプラットホームや屋根を突き抜けて立つ私鉄駅

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[場所]京阪電鉄京阪本線 萱島駅

プラットホームに樹木が立っている駅は全国にそれなりにあるが、関西には高架下の地面に生えた樹木がプラットホームを突き抜け、さらに屋根をも突き抜けて聳え立っている大胆な構造の駅がある。それは京阪電鉄京阪本線 萱島駅で、おそらく日本ではここだけではないかと思い、訪ねてみた。
着いてみると、樹木は楠ノ木の大木で、下り線(淀屋橋方面)の3・4番線プラットホーム側を突き抜けて立っていた。

1・2番線プラットホームから眺めた3・4番線プラットホームで画面右が淀屋橋方。オレンジ色のベンチ背部の囲い部分が大楠のために開けられた穴で、この開口はエスカレータとも共用している。車輛は3000系使用の特急 淀屋橋行。ちなみにタイトル写真も同じ場所からの眺めで、そちらの車輛は8000系使用の特急 淀屋橋行。
大楠の穴を3・4番線プラットホームの三条寄りから眺めたところ。画面やや左の額は「第3回大阪市都市景観建築賞『奨励賞』受賞のプレート。
この大楠の樹齢は700年ともいわれている。
京阪本線の萱島駅前後の高架複々線は、起工式が1972年で、完成が1980年なので、そんな歴史からは、まず大楠ありきで、高架複々線が大楠を避けて囲むように建設されたのは一目瞭然だろう。そんなわけで、タイトルの「プラットホームや屋根を突き抜けて立つ」という言葉は本末転倒だが、ネタとして大袈裟に表現したかったのでお許し願いたい。

大楠をプラットホームから眺めていてもその大きさがピンとこないので、ラッチ外へ出てこの根元へと行ってみよう。

高架下の地平から大楠を見上げたところ。まずプラットホームの穴があり、当然屋根にも穴が開けられている。
最寄りの出口は西改札口南側出入口で、そこから東(三条)方に30mほどの位置に大楠への門がある。ここより眺めると大楠の南西側の高架下には社が建っていて、大楠が御神木なことが解る。
その根元まできて上を仰ぐと、ちょうどプラットホームに開けられた穴が見え、さらに屋根もそこだけ無く、たまたま訪れたのが雨天の日ということもあり、雨がこの部分にだけ降り注いでいるのが実感できた。
樹木を残すための保存スタイルなので当たり前といってしまえばその通りなのだが、粋な計らいだともいえるだろう。

大楠の根元を東側から眺めたところ。左に見える唐破風屋根の建物が「萱島神社」の社。
大楠の根元に立てられた説明板。同じ体裁の説明板が3・4番線プラットホームの大楠の穴の脇にも立っている。
大楠の隣に建つ社の土地には1787年(天明7年)に「神名社」という社名の神社が萱島一帯の鎮守として造営されたが、1907年(明治40年)に廃社となっていたと伝えられている。
ここに京阪電鉄が社殿を寄進して「萱島神社」として1980年(昭和55年)に再興された。
なお、萱島駅は2001年9月21日に「第2回 近畿の駅百選」に認定されている。

萱島神社の門からの眺め。高架線はこの部分は鉄桁になっているゆえの長スパンにより、境内の空間が広くとられている。
上写真の場所から左を向いた所に立っている説明板。こちらには萱島辺りの昔の光景も記されてある。
ところで、京阪電鉄には樹木が駅施設を突き抜けている駅がもう一つある。それは交野線 私市駅で、写真の掲載はないが、駅舎の楠ノ木が立つ部分の屋根に穴を開けて建てられているとのこと。萱島駅ほどの大きな構築物ではないが、元々生えていた楠ノ木へのそんな配慮からは京阪電鉄が地域に向けて思いやりのある鉄道会社なことが推し量れるだろう。

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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。