境内地を通る踏切を訪ねる…京都府城陽市・久世神社

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[場所]JR奈良線 新田-城陽

神社お宮の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる不定期シリーズです

全国の鉄道路線の中には神社やお宮の境内地に踏切が通っている場所がタマにある。そしてその景色って「ナゼここに!?」って意外性があり不思議な気分にさせてくれる。
当サイトでは、そのような境内ナカにある踏切を「境内地踏切」と名づけて訪ねる不定期シリーズを展開しているが、この度2023年1月からの約1年ぶりにご紹介になる。
ということで、登場するのは京都府城陽市に鎮座する久世神社(久世廃寺跡)の境内地踏切だ。 

奈良街道から東向きに眺めた久世神社参道入口。
京都府城陽市内を通るJR奈良線は、城陽駅から新田駅(京都方)へ向かって河岸段丘のような斜面に沿うように上り勾配になり、しばらく進むと右(東)側に森が見えてくる。この森の手前(南側)には踏切があって、ココから左(西)に目をやると下り階段が続いていて、その先には鳥居が立っている。
城陽市には、関西他地域の百舌鳥古墳群や古市古墳群とか、大和古墳群ほどではないが、市内には古墳がポツリポツリと点在している。そのような土地なので、グーグルマップで見た限りこの森もその古墳の一つで、線路はその淵を回っているのかなとも思っていたけれども、たまたま先日に近くへ行く用事があったので、せっかくだからこの地を訪ね、境内踏切なのかを確かめてきた。

その名も「久世宮踏切」

この度紹介する境内地踏切は、位置的には城陽駅の北北西400m程の地点にある。
行き方としては線路の東側の道を通っても行けるが、まず一之鳥居をくぐってから境内地踏切を渡って境内へ入りお参りするなら、西側の奈良街道からやはり行きたい。

一之鳥居前で階段上を走るJR奈良線の電車を待ってみた。車輛は221系。
城陽駅か奈良街道を歩いて行くと、400mくらいで右に一之鳥居が鎮座しているが、これをスグに見つけられるのも、訪ねるルートとして西側経由がお勧めでもある。
ここに立つ一之鳥居の形は「明神鳥居」で、扁額も掲げられていて風格がある。鳥居の先の左にはお社があり、この辺りから上り階段が始まっている。そして階段上には踏切の警報機が見えるので、まさに境内地踏切なのが判る。

扁額は「久世社」と記されている。
一之鳥居と踏切の間に建立されているお社。右上には架線が見えるのが境内地踏切の証!?。
久世神社の踏切を「境内地踏切」と認識したのは一之鳥居の先にある点に加え、上写真のお社が踏切より手前にあること、そしてバックに樹木が生えていたからになる。
見る人にもよるだろうが、筆者はこの樹木を鎮守の森の一部と捉えた。

■階段を上がると…
では、階段を上がって踏切へ行ってみよう。

階段を上がると見えてくるこの度の境内踏切。その先は平地になっている。なお、写真の撮り方がショボいから判りづらいが、ココを通っているJR奈良線は複線である。
階段を上がると、踏切部分の線路は複線になっていた。
この踏切の先は、平地になって参道が続いている。階段は案外急傾斜ながら、登った先が平地だと何か不思議な気分になる。

境内踏切からの城陽駅方の眺め。複線は2023年3月18日から使用されている。
JR奈良線のこの区間は2023年3月18日のJR西日本ダイヤ改正に合わせ複線として使用を開始した線路なので、バラストや枕木の真新しい色が印象的でもある。
なお、同ダイヤ改正時にJR奈良線では 藤森-宇治、山城多賀-玉水 間が一緒に複線と使用を開始した点を申し添えておく。
この踏切から階段方(西側)を眺めると、階段下の先からはホボ同じレベルの平地が広がっているのも注目点だろう。

境内踏切からの階段側(西方)の眺め。家々が立ち並んていて判りづらいが、階段下からは平地が広がっている。さらにいえば、約2km彼方には木津川が流れていたりする。
なので、この階段部分の急激な高低差は木津川の河岸段丘と考えられようか。
ということで、参拝へ行くのとは逆向きに、踏切を西方へ渡るとスグに急勾配の下り階段があるので、下写真のような「この先階段注意」の標識がある。

境内踏切の東側からの、線路を挟んだ西向きの眺め。左が城陽駅方。電車は205系。
踏切警報機の注意標の表記によると、この踏切は「久世宮踏切」という名らしい。

■参道北側の森は廃寺跡!?
久世宮踏切を渡った先の平地の参道左(北)側には鬱蒼とした森が広がっている。

手前が城陽駅方で、奥が新田駅方。右(東)側に鎮守の森が広がっている。電車は205系。
久世宮踏切東側からの東向きの眺め。左(北)側が久世廃寺跡で、現鎮守の森。
コレが普通に久世神社へお参りする場合には鎮守の森に見えてしまうとは思われるが、付近に立っていた案内板によると「久世廃寺跡」とのことだった。

久世廃寺跡の説明板。
ところが、さらに隣接して「久世神社のオガタマノキ」の説明文も立っているので、現時点ではココも鎮守の森と認識しても問題はなさそうだ。

オガタマノキの説明板。
参道中程からの西向きの眺め。右(北)が久世廃寺跡であり、鎮守の森。電車は205系。
ちなみに、参道を少し歩いて、振り返って見た光景が上の写真になる。
この場合右が北なので、右側が上写真の説明板が立っている久世廃寺跡の森になる。

■久世神社本殿
上写真の位置からさらに20mくらい歩いた本殿側の眺めが下の写真で、左折の曲がり角がある。

上の地点から参道を逆向き(東方)へ少し歩くと左への曲がり角がある。
その反対向き、いわゆる久世宮踏切側が下の写真になる。

上地点からの参道西向きの眺め。電車は221系。
上々写真の曲がり角を左折すると程なく二之鳥居が見えてくる。
ここまで来たら間もなく本殿だ。

上々写真の参道の曲がり角を左折した先の光景。左の建物は社務所。

いよいよ久世神社本殿へ

左折すると、二之鳥居の手前左に社務所、そして鳥居の先に丹塗り(朱)のお社が見えてくる。

二之鳥居。こちらに立っているのも明神鳥居。扁額は「久世社」で、コレも一之鳥居と同じ。

■建立年代は室町時代中期とされている…
二之鳥居の先にはまた階段があり、上がると本殿の外陣と内陣がある。

本殿は、手前の外陣が瓦葺き。奥の内陣が檜皮葺。
内陣に建つ本殿は檜皮葺で、かなりの由緒を感じさせてくれる。
外陣は瓦葺きでそれよりも新しい建立とも思えるが、それでも欄間などに彫刻を施し、さらに極彩色に彩られているので見どころ多数のお社だ。

本殿前の由緒記。御祭神は日本武尊。
久世神社の御祭神は日本武尊。古事記では「倭建命」と記される、日本古代史上の伝説的皇子である。
境内には久世神社本殿についいて詳しく記されている新しい案内板が立てられていたので、そちらも載せておこう。

説明板の新しい方。こちらには久世廃寺跡や周辺にある古墳の解説も記されている。
新しい説明板によると、久世神社の本殿は室町時代中期の建立と見られているとのこと。
それに加えて、先ほど参道北側にて廃寺跡になっていた久世寺は奈良時代前期の創建であることと、さらには寺域北東の丘陵上には6世紀に築造された古墳もあるとの解説が記されている。
せっかくなので、久世神社外陣の彫刻部分の写真を載せておこう。

外陣手前の彫刻。
外陣奥の彫刻。
本殿の東側には、境内社が2柱お祀りされている。

境内社は、左が龍王社、右が稲荷社。
そして、ここから帰路という流れで、本殿前から反対を向いた景色もお見せしておこう。

本殿前からの南向きの眺め。右の森が久世廃寺跡の東端になる。
上写真から階段を降りた、二之鳥居前から北西方向を眺めた光景が下の写真になる。

右にチラッと写っているのが二之鳥居の笠木・島木・貫で、中央右の手水社の奥の森が久世廃寺跡の東端。
久世神社本殿の西側の、上写真でいうトコロの奥の森辺りにまで現在廃寺跡になっている久世寺の境内が広がっていたとのことだ。

久世廃寺跡を北西側から眺める

久世廃寺跡境内の森の西側はJR奈良線の線路に沿って北西方へ広がっている。
この境内の森の北西端を眺められる踏切があるので、その写真にて記事を〆させていただく。

第一平川踏切からの久世廃寺跡の森北西端の眺め。電車は221系。これでも踏切の遮断機竿の外側から撮っていることを一言添えておく。
ちなみに、この踏切の名は「第一平川踏切」という。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。