境内地を通る踏切を訪ねる…岐阜県海津市・杉生神社

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[場所]養老鉄道養老線 石津-美濃松山

神社・お宮の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる不定期シリーズです

全国の鉄道路線の中には神社やお宮の境内地に踏切が通っている場所がタマにある。そしてその景色って「ナゼここに!?」って意外性があり不思議な気分にさせてくれる。
当サイトでは、そのような境内ナカにある踏切を「境内地踏切」と名づけて訪ねる不定期シリーズを展開しているが、この度2022年1月からの約1年ぶりにご紹介しよう。
ということで、登場するのは岐阜県海津市に鎮座する杉生神社(すぎおさん)の境内地踏切だ。

杉生神社の境内地踏切は、石津駅の桑名方(南寄り)スグの場所にある。電車は620系D24編成524。言い訳になるが、立ち位置的には黄色い線の内側に立っている。
中京地域の方にはイマさらネタと思うが、岐阜県海津(かいづ)市は美濃国(岐阜県)の最南端に位置する市で、市内を二分するように真ん中を揖斐川が縦断して流れている。同市を通っている鉄道路線は揖斐川西岸(右岸)に敷設された養老鉄道のみで、東岸(左岸)側に鉄道路線は通っていない。海津市内には養老鉄道の駅が、美濃津屋・駒野・美濃山崎・石津・美濃松山の5駅あり、以前には当サイトにて 美濃山崎-石津 間にある天井川隧道を紹介している。

石津駅前に立つ「南濃四季の散策コース」の図。右が北。ちなみに地図内に「杉生神社」は記されていない。
さて、この度紹介するのは境内地踏切シリーズで、上の[場所]では 石津-美濃松山 間と記したが、境内地踏切は、石津駅の南西そばにほぼ隣接した場所にある。

では杉生神社へ向かおう

この境内地踏切を有する「杉生神社」は、石津駅の西80m程の位置に建立されている。その参道に立つ一之鳥居と二之鳥居の間に境内地踏切があって、その名は「踏切道石津第2号」という。

■まずは一之鳥居を眺めていこう
上でも記しているが、杉生神社本殿は石津駅の西80m程に建立され、鎮守の森とはほぼ隣接している。一之鳥居は駅の南東に立っていて駅プラットホームから眺められる。したがって位置は一目瞭然なので、石津駅からの道順は説明しなくとも大丈夫と思うので省略させていただく。

一之鳥居は石津駅本屋から南70m程の地点に立っている。奥が桑名方、右が大垣方。手前は一般道の踏切で左に並行しているのが境内地踏切。
上写真で見て判る通り、線路の手前(東)に鎮守の森はない。
境内地踏切の定義(個人の感想です)は、当初は鎮守の森を横切っている程に喰い込んだ位置にある鉄道踏切を意図していたが、各地の同様の踏切を訪ねているうちに、一之鳥居より境内側、いわゆる一之鳥居もしくは二之鳥居とかより社殿寄りを線路が横切っていて踏切があれば、それで境内地踏切ということにしてしまおうと、定義の範囲を広げてしまった。コレにより対象になる踏切がかなり増えることになった。

一之鳥居を東側から西向きに眺めたトコロで左が桑名方。電車は7700系TQ12編成7712。
踏切道石津第2号から北(大垣)向きに眺めた石津駅。手前が境内地踏切で、奥は一般道の踏切。電車は620系D24編成524。
一之鳥居の形式は伊勢鳥居になる。この奥の間近に養老線の踏切があって、先には参道が西に真っ直ぐ延び、外側から眺めると、いかにも境内踏切といった情景になっている。
社殿側から一之鳥居を眺めても、それなりに情緒あるスタイルになっているが、少し奥に門が立っているため、電車と絡めた写真は撮りにくい。

一之鳥居を西側から西向きに眺めたトコロ。電車の通過シーンをココで撮れば良かった(汗)。
一之鳥居の西側さらに奥からの西向きの眺めで、右が桑名方。電車は620系D24編成624。
■二之鳥居へ
二之鳥居は、一之鳥居の奥(西)30m程のトコロに立っている。

二之鳥居の東側。奥の間近に本殿があるのだが、南へ⊂状に迂回をしなければ着けない。
二之鳥居前からの東向きの眺め。彼方に踏切道石津2号が見える。
二之鳥居の形式も伊勢鳥居になる。
この先は一旦左(南)側へと⊂状に迂回して約30m先で右(北)を向くと三之鳥居が立っている。

南⊂状迂回ルート上からの北西向き、本殿方の眺め。
■三之鳥居から先は本殿まで南向きに鎮座
三之鳥居の形式は明神鳥居になる。
扁額が掲げられていて「杉生神社」と社名が記されている。

三之鳥居の南側からの北向きの眺め。
三之鳥居の扁額。
三之鳥居手前左(西)側には手水舎があって、そこの竜の口が龍の頭なのは各地の神社によくあるパターンたけれども、両サイドに竹と筍が立っているのが珍しい…かも。
そして、いよいよ本殿へとお参りする。

手水舎の龍。
御祭神は「須佐之男命」。神域には左に「春日神社」、右に「八幡神社」のお社も建立されている。

本殿の外観。
本殿の全貌は畏れ多いので、チラ見せ程度にしておく(笑)。
境内にはさらに「住吉神社」「津島神社」「山神神社」3神の摂社が祀られている。

杉生神社の「御由緒」。
本殿正面から見て左(西)側手前には「神馬」の銅像が奉納されている。

石板は右から読むので「神馬」。
神馬の銅像作者は田畑功さん、鋳造は富山県高岡市竹中製作所、台座施工は岡崎石工業株式会社とのことだ。

■境内には石碑も建立されている
境内には石碑が何基が建立されているが、その中から2基を紹介しておこう。

境内に建立されている石碑の一つ。「紅梅」の落款印が見える。
上は「蒔けば生へ…」の句碑で、木村山治郎篇 道歌教訓和歌辞典によると「どうしてこうなのだろうと人は知らないだろうが、自分の蒔いたた種は正直なもの、その善悪の種によって今がある。種を蒔いたからこその結果であって、蒔かねば今の結果はなかったのである。」の意だそうだ。

「柑橘翁伊藤東大夫碑」は参道脇に建立されている。
こちらは「柑橘翁伊藤東大夫碑」という、みかん園の造成に尽力した偉人を称える石碑そうだ。詳細は下の説明板にて。

「柑橘翁伊藤東大夫碑」の説明板。

石津駅からも見える御神木

杉生神社は御神木が、本殿からかなり離れた、なんと境内踏切のスグ脇に立っている。なので、養老線の車窓からも拝むことができるので、この御神木「杉生神社のケヤキ」を、あえて記事の〆にて紹介しておこう。

石津駅からの桑名方(南向き)の眺めで、左の鳥居は一之鳥居で、右の大木が「杉生神社のケヤキ」。電車は7700系TQ12編成7712。
「杉生神社のケヤキ」の説明板。
左の大木が「杉生神社のケヤキ」で、左方が石津駅。参道や踏切との位置関係はこのような感じ。電車は620系D24編成524。
杉生神社のケヤキには、これからも末永く養老線の電車の往来を見守っていただきたいものだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。