加悦SL広場が2020年3月閉園検討?で緊急寄稿(後篇)

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[場所]京都丹後鉄道宮豊線 与謝野駅南南西約7.5km

前回2020年1月23日アップの「加悦SL広場」の記事の続きになる。
この加悦SL広場といえば、展示車輛数が多いのは既報の通りで、そのため記事は3部に分けての構成とさせていただいて、「中篇」では動力車を中心に掲載したが、「後篇」では客車・貨車をメインに進めていこう。

明治の木造客車に普通に土足で立ち入れる

明治時代に製造された保存客車というと、外観しか見れないとかのイメージがあるが、なんとココ加悦SL広場に保存されている明治時代の客車には普通に車内に入れてしまうという寛大な展示方法がなされている。それも土足で乗れてしまうから驚きモノ。
では、そんな客車たちから眺めていこう。

加悦鉄道ハブ3の客室側。1889年(明治22年)に、ドイツのファン・デルチーペン社にて製造された九州鉄道(国鉄買収→JR九州)の客車で、1922年(大正11年)に鉄道省から伊賀鉄道へ払い下げられ、ハブ2になり、1927年(昭和2年)に加悦鉄道へ譲渡され、ハブ3形ハブ3になった。
ハブ3の荷物室側。1970年の大阪万博でクラウス17号SLとともに出展された経歴を持つ。
客室側の車内。
荷物室側の車内。
加悦鉄道ハ4995。1893年(明治26年)に鉄道作業局新橋工場で製造された、いわゆるマッチ箱。元々は1923年(昭和3年)に鉄道省から加悦鉄道が譲受したハ4999で、1935年(昭和10年)に福知山にあった北丹鉄道の工場で台枠などの上に車体を新製してハ20形ハ20となっていた客車だが、1970年にそのハ20の台枠の上に、倉庫となっていたハ4995(ハ21)の車体を載せて古典客車に復元された合体車。
車番は車体を優先して「ハ4995」を名乗っている。
客室内はマッチ箱の区分室形。このような稀少車内に土足で乗れてしまうのが驚き。
加悦鉄道ハ21。少々ややこしいが、元ハ4995(元々ロ550?)として、1893年(明治26年)に鉄道作業局新橋工場で製造された元マッチ箱。1928年(昭和3年)に加悦鉄道が譲受した後、1935年(昭和10年)に福知山にあった北丹鉄道の工場で台枠などの上に新造木造車体へ載せ換えられ、ハ20形ハ21となった客車。いわゆる上写真のハ20の合体復元前の姿がコレと近い。
客室内は小振りながらクロスシートを配列している。
加悦鉄道ハ10の二等客室側。1926年(大正15年・昭和元年?)に、加悦鉄道開業に伴い梅鉢鉄工所にて製造された客車で、元々伊賀鉄道が発注していた客車を就役前に譲受した新古車輛。1968年まで稼動していた。
三等室側。新造当時は2等&3等の合造車で、1995年に、その新造時の姿に修理復元された。
二等の客室内。
三等の客室内。
台枠に取り付けられた「梅鉢鉄工所」の銘板。
前回の「中篇」を見ていただだいている方なら判っていると思うが、ここには木造客車があと1 両保存されている。それは「フハ2」で、筆者が訪れた時にタマタマ工場(?)に入場していたため車輛全体を撮ることができなかった。

中篇に掲載したのと同じ写真になるが、DB201の奥に居るのがフハ2。
ということで、「フハ2」は本文で紹介。1916年(大正5年)に名古屋電車製作所(現・日本車輌)にて製造されたハ1形ハ2で、三重県の伊賀鉄道にいたが、1927年(昭和2年)に加悦鉄道が譲受した時にブレーキを付けたため「フ」を冠しフハ2になった。その後に一時期「ハブ2」を名乗っていたが、1991年の大修理でまた「フハ2」になった。車内はロングシート。

貨車は何げに古くない!?

保存貨車は、木造だったりと年季は入っているが、客車とくらべるとそれほど古くない。とはいえ、客車たちがあまりにも古典すぎるのでそう見えるだけで、令和の世となった現在ではそれなりに貴重な車輛であることに変わりはない。

ラッセル雪かき車キ165。1938年(昭和13年)に旧国鉄土崎工場で新製され、福知山客貨車区に配属。1972年に西舞鶴客貨車区に転属。1981年に旧国鉄より加悦SL広場へ展示用として貸与された。
旧国鉄貨車式ラッセル車の車内は見所のひとつだろう。
加悦鉄道ワブ3。1916年(大正5年)に梅鉢鉄工所で製造したト1形ト2を1943年(昭和18年)に改造してワブ1形ワブ3となった有蓋貨物緩急車。
遠州鉄道ト404。1923(大正12年)に遠州鉄道が梅鉢鉄工所において新製したト400形ト404無蓋貨車。2000年(平成12年)に遠州鉄道で廃車となり、加悦鐵道保存会が譲受した。
旧国鉄ヨ2047。1937年(昭和12年)に旧国鉄が全国共通仕用として汽車製造にて新製。1955年(昭和30年)に福知山客貨車区に配属。1972年に西舞鶴客貨車区に転属。1980年に廃車。翌年に旧国鉄より展示用として貸与された。

場内周遊ミニ列車が転車台を通る

加悦SL広場には、保存展示車輛以外にも見所はある。中には場内を周遊するミニ列車も走っていて客車に乗ることができる。なので、ガチの鉄道好きでなくても、家族連れで遊園地のように訪れることもできるので、京都府の日本海側に旅する機会があったら、ぜひルートに入れていただきたい場所だ。
なお、施設内のカフェや売店は2018年末で閉店しているので、食料は事前に調達しておきたい。

遊具扱いになるが、園内には1回300円で乗れるミニ列車が走っている。距離は約170mで、車輛は、牽引する機関車が世界初の旅客鉄道である英国リバプール&マンチェスター鉄道で使用されたSL・ジョージスチーブンソンのロケット号を模したスタイルをしているのが特長。なお動力はバッテリー+モータにより、軌間は381mmらしい?(実測してないので何とも言えないが転車台のゲージから推測すると17in!?)。
ミニ列車は転車台の中を2度も通る見せ場も用意されていて、乗客を飽きさせない演出になっている。手前の輪軸は住友の刻印以外は解読不能で何のなのか不明??
転車台に取り付けられた銘板。宮地鐵工所昭和16年度製作なのが読み取れる。
こちらも謎の輪軸。右のスポーク輪心のは「シ18S住友N377TW」の刻印があった。左のプレート輪心の刻印は意味不明で読み解けず(泣)。
南海1201形用汽車製造製K-16イコライザー式台車は中篇で紹介した他にもう1つあり、対をなしている。

開館時間 10:00~17:00
火曜・水曜・木曜は定休(祝日の場合は開館)※年末年始は別途
入場料 中学生以上 400円
    小学生 200円
    小学校入学前の小児は無料

ここからは報道発表への筆者個人の希望的ヨミになるが、京都新聞デジタル版2019年12月23日の記事+12月24日アップの「NPO法人加悦鐵道保存会」理事長氏のコメントを加味して読み解くと「加悦SL広場、20年3月閉園『検討』」と、あくまで2020年3月に「検討」なので、すぐさま廃園はないのでは、とは思っている(ヨミを外した時にはゴメンナサイ!!)。ただし、3月に「休園時期発表」や「一般公開中止」など将来に向けて何かしらのアクションがあることは想像できる。ココの車輛群に興味がある方は、その決定に動揺しないためにも、なるべく早い訪問をお勧めしたい。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

筆者追記:加悦SL広場は2020年2月17日に宮津海陸運輸株式会社より「2020年3月31日をもちまして閉園することを決定いたしました。」の発表がありました。ヨミを外したことをお詫びいたします。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。