大川に架かる元・鉄道可動橋梁は線路廃止後も働態保存継続中

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[場所]元・国鉄佐賀線(廃線) 諸富-筑後若津

九州の福岡県と佐賀県県境に流れる筑後川「筑紫次郎」下流に保存可動鉄道橋梁が架かっている。この橋は元・国鉄佐賀線の筑後川橋梁で、同線が廃止される前日1987年3月27日まで鉄道橋梁として使用されていた。さて同保存橋梁だが、現在「筑後川昇開橋」と呼ばれ、いまも可動桁が稼働状態で保存されている。この点は特筆に値し得るし、さらには廃線後の1996年に遊歩道として整備され徒歩で渡ることができるのも、ここの嬉しいところであろう。

福岡県方袂の筑後川上流(東)側からの眺めで、可動桁は下がった状態。手前(左)の鉄塔下のグレーの小さな建屋は昇開橋スタッフの詰め所で、鉄塔中間や下の赤いキャビンがかつての操作室。
「筑後川昇開橋」の区間は、国鉄佐賀線が国鉄分割民営化直前の1987年3月28日に廃止されたため現行の時刻表の路線図には載っていない。だから位置的には説明しずらいので地図上でいうと、JR長崎本線 佐賀駅南東西約8km or 西鉄天神大牟田線 西鉄柳川駅北西約8kmにある。

福岡県方袂の筑後川下流(南)側からの眺めで、可動桁が下がった状態。鉄塔の上方のワイヤー付近にあるウエイトにとりあえず注目。
保存可動鉄道橋梁としては、当サイト2018年3月30日アップの「名古屋港の淵に現役当時の姿で残る産業遺産の元・可動鉄道橋」(←その記事はココをクリック)で名古屋市営地下鉄名港線 名古屋港駅近くに現役時代のままの姿で保存されている跳開式可動鉄道橋梁(現在は上昇した形で固定)の 名古屋港跳上橋 を紹介している。
「筑後川昇開橋」の開閉方式はその跳上橋とは異なり「昇開式」で、可動桁がエレベータのように川面と平行のまま昇降する。

上写真と同じ側からの、可動桁が上がった状態。ウエイトが下がっているのが解る。
筑後川昇開橋の橋梁全長は507.2m、昇降部分の両側には高さ約30mの鉄塔が立ち、このスパンは約26m。可動桁の長さは24.2m、自重は約48tで、その鉄塔には約20tのウェイトがそれぞれに下がったつるべ式になっており、約23mの高さまで上がるようになっていて、さらに平衡ワイヤにより左右のバランスをとっている。
なお、2003年5月30日に「国指定重要文化財」に指定、2007年8月7日に日本機械学会より「機械遺産」に認定された。

袂を福岡県側から見ていこう

橋梁の袂を、佐賀線の本来の起点終点とは逆に、まずは下り瀬高方の筑後若津側から見ていこう。
こちら側は、昇開橋から続く築堤上にかつて筑後若津駅があったが、その跡が公園なっており、踏切警報機などが保存展示されている。

福岡県側の筑後若津駅跡は公園になっていて、鉄道用品が展示されている。警報機の左は記念碑で、右の建物内には「幸福の鐘」があり、これはかつて貨物船に取り付けられていた警鐘で「昇運・開運」のご利益があるらしい。
また、その築堤上から南東方の下方駐車場の先には3灯式信号機なども置かれ、ここが1987年3月28日までは鉄道の駅跡地だったことを示すモニュメントになっている。

上写真の記念碑の左あたりから反対(南東)向きに眺めたところ。遮断機の先の階段を下った先には3式灯信号機や転轍テコなどが展示されている。
左と右上写真は筑後若津駅跡に掲示されている案内・説明板。右下は佐賀県側に掲示されていた説明板だが、スペースの都合でこちらに掲載させていただいた。
なお、この場所へは、西鉄柳川-JR佐賀駅 間を結んでいる西鉄バスの大川橋停留所で下車が便利で、徒歩10分ほどのところにある。便は日中ほぼ30分~1時間おきにあるので使いやすい。

可動桁の稼働を間近で眺められる

上の筑後若津駅跡から橋梁を200mほど渡ったところにある可動桁の福岡県側に昇開橋を紹介した資料を展示したスペースがある。ここにはスタッフが稼働日の稼働時間に常駐しており、お土産などを売っている。

6枚上写真のグレーの建屋前ではお土産も売られている。また「寄付箱」があって、筆者が500円を入れたら可動桁を1回昇降してくれたのはココだけの話し。なおその時の、可動桁がただ上下する様子だけの動画をユーチューブへ下記URLにて公開している。時間は約9分半なので、合わせて視ていただけたらありがたい。 https://youtu.be/Ge2dwKBZIIM
加えてこのスタッフは可動桁の昇降の操作も担当している。なお、上々写真に稼働時間表を載せたが、この時刻は案外アバウトで、担当者にもよるのだろうが、記者が訪れていた時には、見学者が誰もいなければ昇降しないし、団体がきた時には時間外でも、昇降させていた。

上写真の地点にいたら可動桁が少し上がったので撮った光景。
まあ考えてみれば、時間がきたからといって誰もいない時に昇降させても無駄だし、時間外でも見学者が大勢集まった時に昇降させればそれなりに寄付金を入れてくれる人もいるだろうから、これの方が理に適っているといえそうだ。

休業日:月曜日(月曜日が祝祭日の時は翌日)・年末年始

佐賀県側の袂には売店もある

佐賀県側からも当然ながら昇開橋を眺めることができる。ただ福岡県側のガーダー桁の数が3スパンなのに対し、こちら側は6スパンあるので、昇開部分はそれなりに離れている。

佐賀県方袂の筑後川下流(西)側からの眺め。見ていたら運よく可動桁が上がりはじめた場面。
その鉄塔部分のアップで可動桁がやや上がった状態。
上り佐賀方袂は駅跡ではないが公園になっており、昇開橋の見学者向けにであろう各種案内板や警報機などの保存展示、さらに稼働部分をモチーフにしたオブジェも設置されている。

佐賀県方袂の筑後川上流(北)側からの眺め。コンクリート堤防の堤内に昇開橋の過去写真や案内板が掲示されている。
上写真右の案内板の資料は2017年11月作製とのことだ。
佐賀県側袂からの福岡県(南東)方を眺めたところ。写真中央の謎の板は南京錠をつける金網。
上写真の地点からの反対(北西)側の眺め。舗装タイル部にはレールがオブジェで埋め込まれている。
上写真左(南西)側柵に掲示されている、2007年に「機械遺産」に認定された物件の数々を紹介した説明板。
上々写真の警報機あたりを右側から眺めた光景。駅名板などが展示されているのが解る。
上写真のさらに北西(背面)側からの元線路(築堤上)側の眺め。鉄道用品や説明板の中に、徐福之像が立っている不思議な配置になっている。
4枚上の写真の先、階段の下からの昇開橋(南東)方の眺め。アスファルト部のレールのオブジェはタイル製なのが見て取れる。
築堤中腹に立てられた説明板のアップ。左上は、佐賀駅-石塚の渡し場 間に馬鉄が1891年(明治24年)から1927年(昭和2年)まで走っていたことが記されている。
また、こちら側の公園内の一角には売店があり、地物の野菜や特産物などが売られている。
この場所へは、JR佐賀駅バスセンターから佐賀市交通局バス諸富・早津江行で昇開橋前下車徒歩約5分。便は日中約1時間に1本運行されている。

上々写真左にある昇開橋の可動部分のオブジェの全体像。その奥(北側)にみえるのは売店で、地元の特産物などを販売している。営業時間9時30分~18時(年末年始は休み)。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。