「中央本線」タグアーカイブ

スタンプ物語32・飯田橋駅

遺構がよい状態で残る

牛込橋は西口からすぐ

スタンプは飯田橋西口にある牛込橋です。ここでもスタンプ設置箇所は東口となり、水道橋同様、東西逆転現象が起きています。
牛込橋は、寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)によって江戸城外郭門の一つ牛込見附門とともに建設された橋で、現在の早稲田通りに架かっています。その後、災害や老朽化によって何度も架け替えられ、現在の陸橋は平成8年(1996)3月に完成し、長さ46m、幅15.75mあります。これに橋のたもとの構造部分との陸橋に続く堤上の道(橋台)を合わせると、長さは100m近くにもなり、橋の親柱の上には隅櫓風の装飾が施されています。

また牛込橋に隣接して牛込見附(牛込御門)跡の石垣の遺構もあります。これは江戸城外堀の外郭門の一部で、外郭門は敵の進入を防ぐため「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「枡形門」という形になっています。石垣の一部には建設に携わった阿波徳島藩主蜂須賀忠英の官職名「松平阿波守」が刻まれており、石垣の脇に保存されています。左の写真は「旧江戸城写真帖」の牛込見附ですが、明治35年(1902)に石垣の大部分が撤去されました。それでも道路の挟んだ両脇の石垣や橋台の石垣などがあり、最もよい状態で当時の面影を残しています。

一方の駅名にもなっている飯田橋は東口。首都高や四角形の歩道橋があって交通量の多いところです。由来は天正18年(1590)、徳川家康が関東に入封したとき、周辺案内したのがは飯田喜兵衛という住人でした。喜兵衛の丁寧な案内に家康は気に入り、視察後、名主に任じた喜兵衛にちなんで飯田町とするよう命じたといいます。
なお、明治27年(1894)の甲武鉄道鉄道開業時は橋の西側に牛込駅があり、東に飯田町駅がありました。昭和3年(1928)の複々線化工事にともない、至近距離だった両駅を統合して飯田橋駅ができたのです。飯田橋駅西口から目白通りを南へ徒歩で3分ほど行ったところには、甲武鉄道の飯田町駅があったことを記す石碑が立っています。
次回の停車駅は市ヶ谷駅です。

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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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スタンプ物語31・水道橋駅

後楽園散策もいいけれど

駅名由来の水道橋もお忘れなく

スタンプは「小石川後楽園」。観光ガイドなどでは次の飯田橋が最寄駅になっていたりもしますが、水道橋駅西口から徒歩10分程度で、飯田橋駅とさほど変わりません。ただし、スタンプは東口みどりの窓口前にあるからややこしい。東に伸びる中央線は東口・西口タイプの駅がありますが、これってホームの端と端なわけですから、出口が違うと徒歩の所要時間も5分くらい変わってしまいます。

後楽園は寛永6年(1629)に初代水戸藩主・頼房が築き、2代目の光圀(水戸黄門)が改修して完成させた回遊式泉水庭園です。7万㎡以上の広大な園内に四季折々の花が咲き、日本各地と中国の名勝を模した岩や橋などもあります。大正12年(1923)、国の史跡・名勝に指定された際に、日本三名園のひとつ岡山の後楽園と区別するため、「小石川」が冠せられました。
隣接する旧東京砲兵工廠跡地には、「後楽園」の名を冠した後楽園球場が昭和12年(1937)に開場。隣接して昭和24年(1949)には後楽園競輪、場外馬券売場(ウインズ後楽園)、昭和30年(1955)には後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)も開園しました。競輪場は昭和47年(1972)に閉場となり、跡地は昭和63年(1988)に東京ドームが完成。一方、東京ドームとなった後楽園球場は、東京ドームホテルやドームシティに生まれ変わっています。

一方、駅名になっている水道橋は、東口の神田川に架かっており、「神田上水」 の 「懸桶」(川を渡す木製の水道橋)に由来しています。神田上水は徳川家康が江戸に入府した天正18年(1590)に造られ、のちに承応3年(1654)に玉川上水が完成して江戸100万の人々の暮らしを支えました。東口から徒歩8分のところには東京都水道歴史館(左)があり、隣接する本郷給水所公苑には神田上水の石樋(右)が復原されています。
次回の停車駅は飯田橋駅です。


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2012年は辰のつく駅へ

新年あけましておめでとうございます

2012年は辰年ですね。毎年「干支」にちなんだ駅めぐりがパワースポットとしても話題になっています。JRで「辰」のつく駅で知られているのが、長野県辰野町にある中央本線の辰野駅です。
辰野駅は明治39年(1906)に開業しますが、このとき中央本線が岡谷から塩尻へまっすぐ敷設されず辰野を迂回して建設されました。これは伊那谷出身の代議士で鉄道局長だった伊藤大八が辰野経由としたことから「大八廻り」と呼ばれました。ただし、当時は岡谷~塩尻の塩尻峠を貫く長いトンネルを掘る技術がなかったためともいわれます。この区間はのちの昭和58年(1983)7月に長さ5994mの塩嶺トンネルが開通し、岡谷~辰野~塩尻は支線となります。岡谷~辰野間は飯田線と一体化されますが、辰野~塩尻は通称「辰野線」と呼ばれ、写真右のクモハ123系1両が中心で運行されるローカル区間となりました。

辰野駅は中央本線の特急が走らない支線となってしまいましたが、飯田線の分岐駅としても有名です。飯田線は豊橋から辰野まで全長195.7キロの長大ローカル線で、前身が私鉄だったこともあって駅は起終点含めて94駅もあります。全線直通で走る普通列車は約7時間の旅。起点の豊橋で駅弁でも購入して、途中の秘境駅など景色を楽しみながら辰野へ到達すると、達成感もより実感できるのではないでしょうか? JR東日本でよく見られる風景入りの駅名標には、ホタルの写真が載せられており、スタンプの同様にホタルが描かれています。駅から徒歩15分の松尾峡(ほたる童謡公園/辰野町上平出1006-1)では、6月中旬~下旬にかけてゲンジボタルの大乱舞が見られ、幻想的な世界が演出されます。この機会が一番のおすすめです。

どうしてもここまで行く時間がない首都圏の方には、「辰」のつく身近な駅があります。東京メトロ有楽町線の辰巳駅で、左のスタンプもありますので、ぜひ訪問して押してみてはいかがでしょうか。
また、「辰」以外の「龍」や「竜」のつく駅では、同じ飯田線内に天竜峡駅(写真右)や中部天竜駅があるのをはじめ、JR中央本線の竜王駅、JR海峡線竜飛海底駅、野岩鉄道龍王峡駅など全国に結構たくさん点在しています。というわけで2012年は「辰」「竜」「龍」にちなんだ駅めぐりを楽しむのも縁起かつぎにいいかもしれませんね。
それでは2012年も「鉄道旅のガイド」をよろしくお願いします。

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