車窓から眺める名勝「寝覚の床」中央西線 倉本-上松 車窓案内

鉄道旅を一層たのしくする車窓案内シリーズです。今回も特急しなの利用の方必見です!

変化に富んだ木曽路を進行 中央西線

前回に続き、中央西線 倉本-上松 間にある、車窓から眺めることができる木曽八景をもう一つ。
倉本駅から上松寄りへ約5kmの地点にある寝覚ノ床がそれで、木曽川が刻んだ峡谷の河原に花崗岩の巨岩や奇石が居並ぶ壮大な景観が眺められる。長野県歌『信濃の国』の4番に「旅のやどりの寝覚の床」と登場しており、大正12年(1923年)には国の史跡名勝天然記念物にも指定されている。

寝覚ノ床
寝覚ノ床は、高速で走る列車からも、容易に見つけることができる。

一度見ると癖になる!?「寝覚ノ床」

列車の窓から容易く眺められる名勝ということで、一度その位置を覚えてしまうと、何度通っても眼が自然とその方向へ向いてしまうが、それは自分だけではないはずだ。場所は下り列車の場合車窓左側で、辺りが開けて木曽川が急に曲がっている地点にあり簡単に見つけることができよう。特急しなの号の車掌さんによっては案内放送をしてくれる人もいるというから、その列車にうまく遭遇できれば更に発見しやすい。
そもそもこの奇石群は木曽川の悠久の流れにより侵食されてできた自然地形ではあるが、かつては急流であった場所が、上流に設けられた木曽ダムが1968年に運用開始したことにより水位が下がったため、水底で侵食され続けていた部分も現在では水面上に現われたもので、岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方丈節理(割れ目)やポットホールを容易に眺めることができる貴重な場所でもある。

中央西線と寝覚ノ床との位置関係
中央西線と寝覚ノ床との位置関係を見るため国道19号線より俯瞰。写真中央にある『浦島堂』は、浦島太郎が弁財天像を残したといわれている。

浦島太郎伝説が残る「寝覚ノ床」

寝覚ノ床の名の由来は、案内板によると

「寝覚ノ床は、木曽八景随一の名勝であり、花崗岩の岩盤を木曽川の激流が長い間に水触して出来たものである。此処は浦島太郎の伝説があり、後日談ではあるが面白い。亀を助けて竜宮城へ行った話は広く知られているが、故郷に帰った太郎が、親兄弟は勿論、誰一人知る者がなく淋しさに耐えかねて旅に出た。たまたまこの美しい里に足を止めて、その景色が気に入り此処に住みついた。しかし竜宮の生活が忘れかね、今一度、乙姫さまに貰ってきた玉手箱を開けると、立ち上る白煙と共に白髪の翁となった。“ああ今までのことは夢であったか”と目が覚める想いであった。ということから、この里を“寝覚め”と言い、床を敷いたような岩を見て、人は“寝覚ノ床”と呼ぶ様になった。」

との伝説による。
さらに俳人正岡子規が明治24年(1891年)に著わした紀行文『かけはしの記』の中で「誠やここは天然の庭園にて松青く水清くいずこの工匠が削り成せる岩石は峨々として高く低く或は凹みて渦をなし或は逼りて滝をなす。いか様仙人の住処とも覚えて尊し」と感じ入った場所でもある。

上松駅の案内板
上松駅の案内板に見る寝覚の床と小野の滝の位置関係。ちなみに右が北。
上松駅の木曽森林鉄道
寝覚ノ床とは関係ないが、上松駅の裏手西側には、かつてこの駅から出ていた木曽森林鉄道で活躍していた車輛が保存展示されている。

寝覚ノ床の脇を通る時には、まだ中央西線がなかった頃の先人たちが旅した時代に想いを馳せるのも一つの楽しみ方かと思う。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。

鉄道旅を一層たのしくする車窓案内シリーズ
前回の記事はこちらです。

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