直接吊架方式電車線の終端部を眺める…境線篇

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[場所]JR境線 後藤駅など

JR線の直接吊(ちょう)架方式電車線は、営業電車が走る区間としては新潟県の弥彦線・越後線の一部と奈良県・和歌山県の和歌山線の一部に採用されていることは広く知られていよう。その区間内にはシンプルカテナリ架線⇔直接吊架式電車線の切り替え部分も何ヶ所かあるので、この架線の始まり方&終わり方も各所にて眺められる。ところが直接吊架方式電車線としての終端部を有する終着駅は弥彦線 弥彦駅しかないことは2019年7月10日アップ「直接吊架方式電車線の終着駅を眺める」の中で記している。
さて、終着駅としての終端部は弥彦駅しかないが、中間駅で終端部を有している駅がもう一つある。営業電車の運行がないので解りづらいが、境線 米子-後藤 間が直接吊架方式電車線で電化されているので、後藤駅付近に同架線の終端部分があるのだ。
米子-後藤 間の電化完成は国鉄時代の1982年6月で、弥彦線・越後線の電化開業が1984年4月8日だから、実はコチラの方が約2年も早い。ではナゼ 米子-後藤 間が電化されているのか。それは後藤駅の南東側にJR西日本米子支社 後藤総合車両所(以後「後藤工場」に略)があり、電車の入出場があるからに他ならない。
余談になるが、直接吊架方式電車線としては弥彦線・越後線の方が目立っているのは、やはり旅客営業電車が走っているからだろうか。

境線は米子駅から境港方(南東側)500mほどで山陰本線から離れてゆく。左が境線で右が山陰本線京都方。
上の地点から150mほど境港寄りから直接吊架方式電車線が始まる。
直接吊架方式電車線が何かについては、上記「直接吊架方式電車線の終着駅…」の中でも説明しているので、それを流用すると「JR(元・国鉄)の場合、シンプルカテナリーから吊架線を除き支持点(ビームに吊っている碍子部分)から2本の吊りロットによりトロリ線を吊架する方式のこと」になる。

後藤駅では右の本線2本の上には架線がなく、左の側線2本の上のみに架線が張られている。奥が米子方。車輛はキハ40 2095ねこ娘列車。
ところで、後藤駅の本線上には架線はすでにない。なら架線のある線路はドコから分岐しているのだろうか。手始めにそこから眺めていこう。

後藤駅プラットホームから米子方を望むと、ホーム端から200mほどの地点に右分岐器(画面では左側)が設置されているのが窺われる。
上写真の分岐器のアップを帰路に後面展望で捉えてみた。本線の架線は分岐器上ビームから3本先のビームで切れている。
後藤工場への分岐は後藤駅から米子方200mほどの地点にあることは解った。
それではいよいよ直接吊架方式電車線の終端部分に目を向けてみよう。

後藤駅プラットホーム境港寄り端から北西方に眺めた直接吊架方式電車線の終端部。奥と手前の2ヶ所あるのが見て取れる。なお後藤駅は写真2枚上側が本屋口だが、こちらにショッピングモールがあるので別のラッチがある。車輛はキハ47 2019砂かけ婆列車。それとタイトルも同じ位置からの撮影で、車輛はキハ40 2115鬼太郎列車。
上の写真を見てもらうと解る通り、電車線の終端は2ヶ所ある。まずは手前の駅構内から境港寄りスグの所にある終端部分から眺めていこう。

上写真の地点からショッピングモールへとつながる踏切から眺めた手前の架線終端部。線路には第3種車止めが設置されている。
上の架線終端部のアップ。張力調整装置は滑車を介した重錘式。
架線柱はコンクリートポールで、ビームもそれに合ったモノな点にとりあえず注目。
米原踏切(境港寄り構内踏切から次の踏切)から眺めた手前の終端部裏側(←というのか!?)。
そしてお次は遠い方の、駅プラットホーム境港寄り端から(北西方)400mほどの所にある終端部分を眺めにいこう。

米原踏切から境港寄りスグの地点より北北東(境港方)向きに眺めた奥の終端部。
終端部のアップ。張力調整装置はやはり滑車を介した重錘式。線路には第1種車止めを設置。
奥の車止めの裏側(!?)。右の3灯式信号機が本線のモノなのは言わすもがなだろう。
架線の張力調整装置が、弥彦駅と同じ重錘式を採用しているものの、架線柱が後藤駅ではコンクリートポールなのに対し、弥彦駅ではH型鋼を使用しているため、かなり印象が異なって見える。どちらが良いとは言わないが、コンクリートポールの方が見た目のインパクトが少ないことは否めまい。

■コレがJR弥彦線弥彦駅の架線終端部
冒頭でも記したが、2019年7月10日アップ「直接吊架方式電車線の終着駅を眺める」の中でも新潟県の弥彦駅にも直接吊架方式電車線の終端部があることを述べている。せっかくなので、その写真も1枚載せておこう。

弥彦線弥彦駅の直接吊架方式電車線の終端部。架線柱およびビームに型鋼を使っていて、さらに緑色のペイトにしてあるため、コンクリートポールの境線とはかなり印象が異なる。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。