「東日本旅客鉄道(JR東日本)」タグアーカイブ

スタンプ物語22・田端駅

駅舎改築でスタンプも一新

田端文士村記念館にも寄りたい

スタンプは「駅舎と新幹線」です。描かれている駅舎は、2008年7月に開業した北口の駅ビルアトレヴィ田端店です。北口は都道458号線に面して、このような変貌を遂げましたが、南口のほうは対照的に小さな駅舎が残っています。
山手線は田端で再び京浜東北線と合流しますが、この京浜東北線と並行して東北・山形・秋田・上越・長野新幹線が走っています。新幹線の高架の下に田端車両基地と機関区があり、はやて・こまち・やまびこ・つばさ・とき・あさまなど各新幹線の車両が見られ、機関区にはEF81・EF66の電気機関車やその他の車両があるので、レイルファンには見逃せない場所です。

実は田端駅のスタンプは、お江戸シリーズでも一度更新されています。2008年に駅ビル誕生に伴い、駅舎が改築されたからで、それ以前のスタンプ(左)は絵柄のような簡素な駅舎だったのです。現在このスタンプは残念ながらありませんが、北口みどりの窓口にはそれ以前の開業百周年のスタンプ(右)が保管されています(2011年1月現在)。明治29年(1896)開業で、百周年が平成8年(1996)ですから、すでに110周年を昨年迎えていますが、ただでさえ押す機会の少ない記念スタンプを、ファンのために残してくれているのは嬉しいことですね。

スタンプは鉄道中心の紹介となっていますが、付近には名所・旧跡もたくさんあります。田端は元々閑静な農村でしたが、上野に東京美術学校(現・東京芸術大学)ができると、小杉放庵(洋画)や板谷波山(陶芸)など若いアーティストたちが住むようになり、大正3年(1914)に小説家の芥川龍之介が転居してきたのを皮切りに、室生犀星・荻原朔太郎・菊池寛なども集まるようになり、文士村が形成されました。北口から徒歩1分のところに「田端文士村記念館」があり、各文士たちの旧居跡を記した散策マップが手に入りますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。右のようなスタンプもあります。

この文士村エリアには赤紙仁王(写真左)で知られる東覚寺があります。寛永18年(1641)に彫像された二体の金剛力士像があり、寺で分けられる2枚の赤紙(有料)を自分の治癒したい部分にそれぞれ貼るとご利益があるとされ、治った場合は草鞋を奉納します。他にも上野戦争のときに彰義隊が隠れたという洞窟がある田端八幡神社や、相模小田原藩大久保家と伊勢亀山藩石川家の菩提寺である大久寺、正岡子規の墓(写真右)がある大竜寺など、由緒ある寺社も点在。画面だけで語り尽くせないのが田端なのです。
次回の停車駅は西日暮里駅です。

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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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スタンプ物語21・駒込駅

柳沢吉保造園の六義園

駅のツツジもお忘れなく!

スタンプは「六義園とつつじ」です。六義園は南口から徒歩7分。徳川5代将軍綱吉の側用人・柳沢吉保が元禄8年(1695)に駒込の地を拝領し、7年がかりで下屋敷と「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。「六義園」という名称は、中国の古い漢詩集『毛詩』の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来しています。まさに吉保の文学的造詣の深さを象徴する庭園といえます。明治21年(1888)に、三菱創設者の岩崎弥太郎氏が購入し、昭和13年(1938)に東京市に寄贈されて一般公開されることになりました。昭和28年(1953)には国の名勝に指定されています。桜や紅葉など四季折々の風景が楽しめる庭園ですが、なかでもツツジは有名で、4月下旬~5月上旬はヤマツツジ・ドウダンツツジ・リュウキュウツツジなどさまざまなツツジに彩られ、「ツツジまつり」も行われます。
駒込といえばもうひとつ忘れていけないのが、北口徒歩10分ほどのところにある旧古河庭園です。こちらは京浜東北線上中里駅が最寄で、スタンプも上中里駅で紹介されていますので、詳細は今回割愛しますが、4月中旬~下旬はツツジが見頃です。

六義園や旧古河庭園に見られるツツジは、まさに駒込を代表する「花」といえますが、もうひとつツツジで見逃してはいけないのは駒込駅です。古いスタンプ(現在はなし)にも描かれていますが、明治43年(1910)の駒込駅開業を記念して、近隣の植木屋さんによって植えられたもので、ホームに立つと線路沿いに彩られるツツジが乗客を和ませてくれます。
次回の停車駅は田端駅です。


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スタンプ物語20・巣鴨駅

ソメイヨシノととげぬき地蔵

賑やかな巣鴨地蔵通り商店街

スタンプは「桜ととげぬき地蔵」。桜というのは駅北口から徒歩5分の染井霊園のサクラです。日本の国花である代表的なサクラ・染井吉野は、江戸末期から明治初期にかけてこの旧染井村で、造園師や植木職人によって育成されていた吉野桜(ヤマザクラ)が発祥です。のちの調査でヤマザクラとは別の品種とわかり、明治33年(1900)に『日本園芸雑誌』で「染井吉野」と命名されました。これが明治から戦後にかけて日本全国に植樹され、サクラの開花全線にもこの染井吉野が基準になっています。霊園内には約100本の染井吉野が植えられ、サクラの名所としても知られますが、墓地には『智恵子抄』の高村光太郎・智恵子夫妻や、明治の小説家・二葉亭四迷などの著名人も眠っています。
また、近くの本妙寺には遠山金四郎一族、慈眼寺には芥川龍之介・谷崎潤一郎の墓もあり、お参りに来る人があとを絶ちません。

染井霊園のすぐ西に「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺があります。扶岳太助が慶長元年(1596)に江戸神田湯島に創建し、明治24年(1891)に現在の巣鴨へ移ってきました。「とげぬき地蔵」の由来は、江戸の正徳年間(1711~16)に毛利家の女中が誤ってトゲを飲み込んだ際、地蔵の御影(肖像)を飲み込んだところ、トゲが抜けて外に出てきたそうで、以来、病気やけがの治療にきく地蔵ということで、多病のお年寄りが来るようになりました。この延命地蔵尊は秘仏のため非公開ですが、御影の札が1枚100円で売られており、お守りで身につけるもよし、細かくちぎって飲むもご利益があるといわれています。また、洗い観音と呼ばれる観音様(写真左)は、自分の治癒したい部分を濡れタオルで拭くとご利益があります。昔はタワシでこすっていたのですが、磨耗が激しいため、初代観音様は2代目観音様の後ろの祠に納められています。
参道にあたる巣鴨地蔵通り商店街(写真右)は、毎月4のつく(4・14・24日)は縁日となり、露店で賑わい、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる所以もそこにあります。高齢者向けの洋品や衣料品の店があるほか、甘味処・食事処・和菓子屋なども建ち並び、最近は若い女性にも人気があるようです。
次回の停車駅は駒込駅です。


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スタンプ物語19・大塚駅

駅舎改築でスタンプもリニューアル

都電荒川線に乗って下町散歩を!

スタンプの絵柄は「駅舎と都電」です。山手線内では唯一都電荒川線に接続しており、大塚駅前停留所があります。ちょうど写真のように南口と都電を入れたようなアングルでしょうか。
この都電荒川線は三ノ輪橋~早稲田間12.2kmを走る路面電車です。かつては都内に縦横無尽に張り巡らされ、41系統最大総延長213kmにおよんだ交通網でしたが、モーターリゼーションと東京都交通局の経営悪化によって、昭和42年(1967)から昭和47年(1972)にかけて181kmの区間が廃止されました。都電荒川線は27系統と32系統を統合して、現在に至っています。当区間には30もの停留場が設けられ、下町や江戸の史跡散策には最適な路線です。料金は均一160円。1日乗車券は400円という格安で、3回乗ればモトがとれてしまうすぐれものです。のんびり散歩するなら都電に乗って移りゆく町の風景を楽しむのもいいかもしれません。沿線には荒川遊園地・飛鳥山公園・高岩寺(とげぬき地蔵)・雑司ヶ谷霊園・鬼子母神など見どころがたくさんあります。

ところで大塚駅のスタンプは、今回のシリーズでも印影が一度変更されています。かつては高架にもかかわらず、北口と南口が改札で分断されており、通り抜けるには都電のホームを歩くしかありませんでした。そのため印影も三角屋根が目印の南口駅舎が描かれていたのです(現在はなし)。南北自由通路が完成したのは平成21年(2009)10月からで、駅舎も駅ビル建設に伴い解体されました。そのためスタンプもリニューアルされたのです。2012年2月現在では南口駅ビルの建設が始まっており、印影も現在もの建設が進められているようですが、2013年秋の完成をめざしており、地上12階の建物になるようです。完成予想図はこちらでも見られます。この駅ビルが完成したらスタンプの印影も三度変更されるのでしょうか。移り変わる時の流れにスタンプコレクターもうかうかしていられませんね。

大塚駅周辺の史跡としては、南口徒歩2分のところに天祖神社(写真左)があります。大塚駅は文京区でなく豊島区にあり、現在は豊島区南大塚となっていますが、旧来は巣鴨と呼ばれていました。ここが旧巣鴨村の総鎮守でした。鎌倉期の元亨年間(1321~23)創建と伝わり、境内にある樹齢600年といわれる夫婦銀杏は太平洋戦争の際、空襲で焼け焦げになったのに、いつの間にか青々と葉をしげらせて生き返ったといいます。自然の生命力には感服しますね。また同じく南口から徒歩10分のところには東福寺があります。石段の参道には明治37年(1904)に建てられ道標の役割を果たした庚申塔や、付近に牧場があったことにちなむ「疫牛供養塔」(写真右)も建っています。
次回の停車駅は巣鴨駅です。


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スタンプ物語18・池袋駅

10分歩いて鬼子母神

駄菓子とおせん団子に舌鼓

池袋のスタンプは「鬼子母神とすすきみみずく」です。鬼子母神は昨日の目白駅からも近いのですが、池袋でも東口から明治通りを南下すれば徒歩10分程度です。このスタンプには池袋~雑司ヶ谷間をLRT(超低床式路面電車)で結ぶ構想への意図が込められているかもしれません。まだ未知数ですが、実現すれば鬼子母神へのアクセスもグッと便利になりますから。
本当は都電荒川線に鬼子母神前の停留場があり、そこからが至近なのですが、樹齢数百年のケヤキ並木の参道の先に法明寺鬼子母神堂があります。鬼子母神とはインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供(500人とも1000人ともいわれる)を産みました。しかし、性質は暴虐で近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。そこでお釈迦様が末の子を隠して、我が子を失う母の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させたとのことです。
鬼子母神堂は永禄4年(1561)に山村丹右衛門が現在の目白台付近で鬼子母神像を掘り出し、東陽坊に祀ったのが始まりで、天正6年(1578)年に現在地に移ったといいます。現在の社殿は寛文4年(1664)の建立で、豪華な彫刻が施されており、東京都指定有形文化財に指定されています。

境内に一軒ある駄菓子の『上川口屋』(写真左)は江戸時代からの老舗で、毎年10月16~18日に行われる御会式大祭では『名所図会』にも描かれている郷土玩具すすきみみずく(写真右)を買うこともできます。1800年頃、病の母を看病する久米という娘が、家が貧しいため薬も買えず、鬼子母神にお祈りを続けていたところ、ある夜、夢枕に突然蝶(鬼子母神)が現れ、「すすきみみずく」の作り方を教えてくれました。これを門前で売ってみたところ、飛ぶように売れて母親の薬も買えるようになり、母の病気も治ったという孝行物語です。「すすきみみずく」はかつて数軒つくっているところがあったのですが、最後は鬼子母神脇の『音羽屋』だけになってしまい、その『音羽屋』も2010年に閉店してしまったそうです。後継者がいないのは悲しい限りですね。

「すすきみみずく」の閉店は寂しいですが、数年前に羽二重団子本舗澤野修一社長の尽力でおせん団子(写真左)が復活しました。おせん団子は鬼子母神に千人の子どもがいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるよにという願いに由来し、江戸期には鬼子母神参詣のお土産でも知られていました。鬼子母神境内の『大黒堂』で、毎週日曜と縁日(8・18・28日)におせん団子が売られています。
鬼子母神で最後にひとつ。扁額(写真右)をよくみてください。「鬼」の表記で第一画目の点がありません。これは鬼子母神が釈尊に諭されて改心し、角を外したという理由によります。

ところで池袋は現在でこそ新宿の次に乗降客数が多いのですが、明治28年(1895)に日本鉄道品川~赤羽間が開通したとき、何もない農村地帯だったため駅が設けられませんでした。明治35年(1902)にようやく信号所として開設し、その後、現在の山手線となる田端への支線を分岐する際に、当初予定されていた目白での分岐を、地形の問題や住民の反対で池袋に変更されたため、翌年に駅として昇格しました。しかし、その後も駅の東側に広大な巣鴨プリズンがあったため、思うように発展しませんでした。サンシャインシティや東武・西武の百貨店など派手な変貌を遂げるのは戦後のことです。

池袋にはそんな発展を記すような1985年9月30日の埼京線開業記念スタンプ(右)のほかに1988年3月13日の東北・高崎線の電車乗入記念スタンプ(2種類)が東口駅長室に保管されています(2012年1月現在)。もっとも駅長室までスタンプを押しに訪ねてくる客も稀のようなので、筆者が訪れたときは、ずいぶんと気持ちのよい応対に感激しましたが。
次回の停車駅は大塚駅です。


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