駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(5) 千葉県・津田沼駅

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR総武本線 津田沼駅界隈 & 新京成電鉄 新津田沼駅界隈
駅ナカや駅近の鉄道にまつわる文化財やモニュメントを訪ねる不定期シリーズです
不定期シリーズと謳いながら見出しが定まらない当連載だが、紹介している対象がオブジェだったり保存展示物だったりとマチマチなので、そこのトコロはご勘弁いただきたい。
さて今回は、千葉県の北西部にあるJR総武本線 津田沼駅界隈の文化財やモニュメントを紹介していこう。ちなみにこの駅は新京成電鉄 新津田沼駅との乗り換え駅になっているが、やや離れているため、紹介物件との位置関係はJR線 津田沼駅を基準に解説させていただいた。

JR総武本線 津田沼駅は、北口前にオブジェやアートが数点展示されている駅ではあるが、鉄道系は見あたらない。ところが、この駅の駅近には保存車輛などがそれなりに揃っている。

旧陸軍鉄道第二聯隊の表門

線路沿いの道路側から見た 元・陸軍鉄道聯隊第三大隊兵舎の表門。千葉工業大学の通用門として、いまなお現役。

津田沼駅南口から南東に200mほどのJR総武本線の海側線路沿いの道路対面にレンガ造りの柱に白い木製扉の門が建っている。これは元「陸軍鉄道聯隊第三大隊(後の鉄道第二聯隊)兵舎の表門」で、現在は千葉工業大学の通用門になっている。

内側、いわゆるキャンパス側から眺めた表門。門の前をJR総武本線が通っているのが解る。車輛は209系。撮影に際し守衛所に声を掛けてキャンパスへ立ち入っている。
表門の脇に立つ「登録有形文化財」を示すプレート。門の内と外の両側に設置されている。
門柱のレンガはイギリス積み。

門などの経歴は上写真の説明を読んでいただくとして、ではナゼ鉄道第二聯隊の表門が大学の通用門になっているのか。それは、戦前には津田沼駅の南側に鉄道聯隊の兵営や演習場があったからで、そんな場所が戦後の1952年(昭和27年)に千葉工業大学のキャンパスになって、その際にこの表門が大学の通用門に利用されたからになる。なお、ここにあった鉄道聯隊関連の建物群はその後にすべて建て替えられており、この門だけが鉄道聯隊があった当時を偲ばせてくれる建造物になっている。余談だが鉄道第一聯隊は千葉市にあった。

表門前の線路沿いの道には古レールを利用した柵が並んでいる。車輛はE217系。

旧陸軍鉄道聯隊K2形 機関車134号

K2形134号を左前から眺めたところ。レールの幅は1,067mm。

津田沼駅北口から南東約200mに位置する新京成電鉄 新津田沼駅前のさらに100mほど先にある 津田沼一丁目公園 に蒸気機関車が保存されている。これは「K2形 機関車134号」という展示物で、旧陸軍鉄道聯隊の機関車になる。

K2形134号を右前から眺めたところ。小柄なタンク機関車に動輪5軸の組み合わせのバランスが楽しい。
K2形134号を右後ろから眺めたところ。 1,067mmゲージの機関車ながら、朝顔カプラーを装備している。
K2形134号を左後ろから眺めたところ。余談になるが、この辺の場所に筆者が1970年頃に訪れた時にはレンガ造りの建物が残っていた。当時の小学生の目線なので曖昧だが、草蒸した場所で、国鉄の津田沼駅から1,067mmゲージの線路が伸びており、近くには京成電鉄 津田沼第二工場の1,435mmゲージの線路も伸びていたように記憶している。いまはその面影はドコにも残っていない。

同機は47両が製造されたが、134号は戦時中に1,067mmゲージ用へと改軌され、戦後は西武鉄道へ払い下げられて安比奈線(←その記事はココをクリック)などで活躍した後、運輸倉庫の片隅に保管されていたが、1951年に埼玉県所沢市に開園した ユネスコ村(現・ところざわのゆり園)に、その後に静態保存展示されていた機関車で、1990年にユネスコ村が閉園したことにより鉄道聯隊と縁のある千葉県習志野市が譲り受け、津田沼の地のモニュメントとなって現在に至っている。

K2形134号の左側動輪のアップ。改軌前の600mmゲージだった頃は、動輪が台枠の内側にある構造だったそうだ。
K2形134号の説明板。「西武鉄道(株)」からの寄贈であることを示す解説になっている。

ちなみにこの 津田沼一丁目公園 の周辺は以前は材料廠関連の倉庫があり、1970年頃まではそれらの一部が残っていたが、区画整理により当時の面影を見ることはできない。

旧木曽王滝森林鉄道の車輛

左側から、機関車No.92 酒井製形式GB四L形5t機、運材台車王営No.7、運材台車王営No.6、B大客車王営No.4助六。柵に囲まれているため、保存状態は良好。

駅前とは言いづらいが、津田沼駅から1.2kmほどのところにある習志野市森林公園に保存展示されている王滝森林鉄道(木曽森林鉄道王滝線)の車輛群も、せっかくなので紹介しておこう。
これらの車輛が長年住み馴れた長野県の木曽から遠く離れた千葉県習志野市にナゼ保存されているのかは不思議だが、1975年5月に王滝森林鉄道が全廃になった時に、そこで活躍していた車輛たちが保存目的で全国にそれなりに拡散していったので、その中の一部なのだろう。

酒井製機関車の妻面の窓は3枚。運材台車どうしはドローバー連結器でつながっている。
王滝森林鉄道の保存車輛群の説明板。1976年11月7日に移設されたことが明記されている。

王滝森林鉄道については上写真の説明板を、これまた読んでいただくとして、保存場所には木造の屋根が掛けられ、線路も敷設されているといった嬉しい展示形態になっている。なお、その線路の軌間は762mmゲージなことは、当サイトの読者ならご存知だろう。
森林鉄道の車輛が、首都近郊で間近に眺められる場所があるというのは嬉しいことだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。