複線本線を横切る謎の一条レイルの正体は!?

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]名古屋鉄道名古屋本線 呼続駅北北西スグ

名鉄名古屋本線の名駅から豊橋方面へ5駅目の呼続駅名古屋方スグの所に本線の線路をクロスするように横切る一条のレイルがある。レイルがあるということは何かが通ると考えられるので、気になって訪ねてみた。
そして解ったのは、このレイルが河川の陸閘門を閉めるためのガイドだということ。タイトルが、知った後に書いたのに大げさなのはお許し願いたい。

呼続駅のプラットホーム名古屋寄り端から北北西方向(名古屋方)に陸閘を眺めたところ。河川の両岸ともに陸閘門が設置されているのが見てとれる。電車は3150系3169Fなどの6連。
陸閘門がある河川は二級河川山崎川といい、集中豪雨や伊勢湾台風などで浸水被害が多発したことにより河川改修を進めた結果として堤防が約80cm高くなったが、ところが、名古屋本線の山崎川橋梁(名鉄橋)は元のレベルのまま取り残されたため、線路が通る部分には山崎川の両岸ともにコンクリート堤防を設けられず途切れていた。そこに名古屋市が陸閘を1964年に設置したのでこのスタイルになっている。

上写真の反対岸(名古屋側)の陸閘正面は沿線からは眺められる場所がないので、前面展望にて名古屋側から豊橋方向を眺めてみた。ここからだと線路部分のかさ上げ堤防が途切れているのが解る。先にある相対式ホームは呼続駅。
陸閘とは、堤防の高さよりも道路面や線路面が低い箇所などにおいて人や車輛が堤防などを横断できるように開口した施設ことで、通常は陸閘門が開いているが、高潮や増水時にはゲートで締め切って水の進入を防ぎ、洪水などの氾濫から堤内地を守る役目をになう。
ここでは、そのゲートに横スライド式を採用しているのだが、そのために1条のレイルが敷設されているようなスタイルになっているわけだ。
まずは、そんな山崎川の陸閘門を呼続駅に近い側(豊橋方)から眺めていこう。

上々写真の線路左の位置からの右(北東)方向の眺め。青い枠の中にあるゲートを引き出して堤防が途切れている部分を閉鎖する。その場合、列車は当然走れない。電車は3500系3518など。
上写真の線路対面からの南西向きの眺め。線路間の支柱は右の川の水圧を受ける左の方がやっぱり太い。
上々写真の同位置からの北北西方向の眺め。堤防に添って左に備えられている青いモノが陸閘のゲート。電車は6800系4連。タイトルとの連続写真でもある。
鉄道の陸閘門といえばJR三江線に扉タイプの設備が8個見られたが、現在はJR三江線は廃線になってしまったため、鉄道の陸閘門はかなり珍しくなって(以前は港湾地区にあったりしたが、実は現状での有無は解らない)しまったし、まして横にスライドさせて線路を横切るタイプはココだけの貴重品ではないかと思われる。
では、山崎川を渡り対岸(名古屋方)の陸閘門も眺めてみよう。

山崎川橋梁(名鉄橋)のサイドビューもお見せしておこう。電車は1000系パノラマSuper1015など6連。
山崎川の名古屋(北西)側川岸からの豊橋方向の眺め。やはり堤防に添って左に備えられている青いモノが陸閘のゲート。電車は1200系。
上写真の同位置からの北東の眺め。中央の緑色のところに土嚢が保管されている。電車は3500系3517など。
上写真を撮った場所(名古屋側)にあるゲートの銘板。陸閘は1964年に設けられたが、現在のゲートは2003年製。高さ1m、引き出し長さ10m、重さ3.3tなのが読み取れる。
陸閘門を閉めても下のレイル部分に隙間があるので、そこから水が漏れるのではないか? と思われる方もいらっしゃるであろう。それは、以前の2016年6月10日の終電後に行われた訓練の画像がHPにあったので、これを見ると土嚢を積むことによって対処しているのが窺えた。
首都圏の堤防の一部でも、この設備方式を備えても良さそうな場所は、それなりにありそうな気がしたのは個人の感想だ。

実は高架化の予定がある

さて、このような山崎川橋梁(名鉄橋)の陸閘であるが、名古屋本線堀田-鳴海(山崎川-天白川)間の連続立体交差化が決定しており、それが完成の暁には陸閘門は撤去される。アップ日時点ではまだ計画段階だが、これからのスケジュールとしては、2020年度に用地買収など事業説明会、2025年に工事説明会および工事開始、工期は10年を想定、と発表されている。
先の長い話にはなるが、陸閘部分が気になって眺めに行くなら工事が始まる前の、早い時期をお勧めしておきたい。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。