境内地を通る踏切を訪ねる…大阪府藤井寺市・澤田八幡神社

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[場所]近畿日本鉄道南大阪線 藤井寺-土師ノ里

神社仏閣の境内を横切る鉄道線路の踏切を訪ねる不定期シリーズです

全国の鉄道路線の中には神社仏閣の境内地に踏切が通っている場所がタマにある。そしてその景色って「ナゼここに!?」って意外性があり不思議な気分にさせてくれる。
そのような境内ナカにある踏切を「境内地踏切」と名づけ、訪ねる不定期シリーズは、前回アップが2020年9月18日だったので約7ヶ月も空いてしまった(汗)。
ということで、久々に登場するのは大阪府藤井寺市に鎮座する澤田八幡神社の境内地踏切になる。
澤田八幡神社が鎮座する場所は、近鉄南大阪線 土師ノ里駅の西南西約300m地点になる。この辺には古墳が多く、その一体の仲津山古墳(仲津姫命陵)の北西に位置しているのでグーグルマップでも探しやすい。

表に面した澤田八幡神社の正面。線路的には左が土師ノ里、右が藤井寺。それでは階段を昇って境内へ立ち入ろう。電車は6200系。ちなみにタイトルの電車は6020系。
澤田八幡神社は「大阪府神社庁」のHPによると、御由緒は「江戸時代初期に誉田八幡宮のご分霊を勧請し創建されました。明治5年村社に列し、応神天皇の皇后仲姫命陵の側面に鎮座しています。」とのことで、ご祭神は「八幡大神」。神社本庁加盟神社になる。
では、境内の参道を進んでいこう。

参道を進むと鳥居が立つ。種類は明神鳥居。電車は6620系。
その鳥居をくぐった先に踏切がある。電車は6400系。
踏切の向こうには階段があり、その上に拝殿が建っている。なお本殿は、この拝殿の奥に鎮座していて、さらにその奥には仲津山古墳の濠がある。電車は6200系。
■どぉして澤田八幡神社はホボ北向きに鎮座しているのか?
澤田八幡神社の不思議の一つに「どぉして本殿がホボ北の方角を向いているのだろうか?」ということ。ナゼなら神社の本殿は大体の場合、東~南~たまに西の方角を向いていて、北を向いているのはかなり稀だからだ。
ヨソの北向きの神社としては、その方角に封じたい対象が居る例などの理由が上げられるが、この神社の場合、グーグルマップを見る限りにおいては、北の方角にそのような対象はほぼ居ない。
筆者個人の感想になるが、この場所で本殿を南向きに配してしまうと、参拝にさいして背後の仲姫命陵に尻を向けることになってしまうので失礼に当たると考え、本殿をこの方角に鎮座させたのではないかと推測した。

上写真の階段の先に建つ拝殿前から線路側(北北西方)を向いて眺められる景色。左が藤井寺、右が土師ノ里。電車は6400系。
南大阪線であるから青のシンフォニー16200系もこの境内地踏切を通る。とりあえず、この拝殿と線路との段差を覚えておいてほしい。

南大阪線はナゼ藤井寺-土師ノ里間短絡ルートより南を通っているのか?

鉄道ネタから離れてしまったので、元ネタに戻そう。
近鉄南大阪線の前身である大阪鉄道が 藤井寺-土師ノ里 間を含む 布忍-道明寺 間を開通させたのは1922年(大正11年)4月18日のこと。すでに河陽鉄道→河南鉄道(後の大阪鉄道)が柏原-長野(現・河内長野)間を開業していたので、大阪天王寺(現・大阪阿部野橋)駅を目指す同線の起点(当時)が道明寺駅になのるは解るだろう。そして同駅から藤井寺駅へ向かうのに、土師ノ里駅あたりを通っているのも納得できるだろう。
さてグーグルマップを眺めていて、その土師ノ里から藤井寺駅付近へ至るのに、線路がナゼに仲姫命陵に沿って南へ迂回しているのかとの疑問を持った方も居るのではないだろうか?
それは筆者も現在の町の区割を見て、大正時代ならもぅ少し北側でもそれ程の住宅密集地ではなかったハズで、地権者の反対がなく線路を敷設できたのではないかと思ったからだ。
とはいえグーグルマップからは読みとれない、あまり知られていないことになるが、この澤田八幡神社境内地踏切を中心に南大阪線の線路に沿って前後約300mに渡り上写真のような段差がある誉田断層なる活断層があって、1510年(永生7年)の摂津・河内地震のさいにも少しズレたらしい。なのであくまで憶測になるが、この教訓によって誉田断層の崖下部分は永らく空き地になっていて、そこへコレ幸いに、当時の大阪鉄道が線路を敷設したのだろうかとも考えられる。
まぁ当時の現地の細かい事情は現在のマップだけでは解らないので、さらに突き詰めると「応神天皇陵」内の段差ができた年代特定をしたくなる人が現れかねないと思うからコレ以上は書けないが、南寄りを通ったことにより「境内地踏切」という名所(なのか?)ができたのだから、深いことを考えるのはよそう(笑)。

澤田八幡神社の境内地踏切からの北東(土師ノ里)方の眺め。電車は前6400系6501F 2連+6200系6219F 3連。
上写真と同地点からの南西向き(藤井寺方)の眺め。電車は上と同じ編成の後追い撮影。

土師ノ里駅前には近鉄らしいアレがある

近鉄線らしいアレとは、線路の上空へ張られた特別高圧送電線のこと。まぁ大都市圏の他の電鉄にもまだあるので、あくまで個人の感想にはなるが…。
ところで、この特別高圧送電線が跨線道路橋を越える場合、道の上を通るのかor下をくぐるのかorどぉなのか(笑)、その辺の越えるスタイルが気になっている人も少なからず居るのではなかろうか?
そんな一例として、土師ノ里駅前では道路橋の上を通っている特別高圧送電線を見ることできる。

土師ノ里駅橋上駅舎を出ると目の前に国道170号が通っている。鉄道的には奥(東)が橿原神宮方。そして駅舎上には特別高圧送電線。
上写真の駅舎前から西(大阪阿部野橋)側を向いた眺め。これにより特別高圧送電線が国道170号の上に張られているのが解るだろう。
境内地踏切シリーズは、神様に番号をフルのは失礼との見解に達したため、本回からのナンバリングを止めました。同シリーズの過去回へは下のタグ「境内踏切」からリンクすることができるので、そちらからお願いします。
また歴史とかに関わる内容の場合、地形がらみの憶測を度々語っていますが、コレも鉄道旅の楽しみ方の一つとして記している点をご理解いただけたら幸いです。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。