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[場所]福井鉄道福武線 越前武生駅など
福井鉄道福武線の越前市側起点である越前武生駅の駅名が、2022年3月に「たけふ新」と名称変更をする。ナゼ改称するのかというと、北陸新幹線 金沢-敦賀 間が2023年度末の開業を目指して工事が進んでいるけれども、この中間の福井県越前市地区に開業予定の新幹線駅の名称が2021年5月13日に「越前たけふ」と発表されたが、コレを受けて、福井鉄道では2021年5月20日に「混乱を招かないように」と「越前武生」駅の駅名改称を決めたことによる。変更案は投票選考後に協議して、2021年12月24日に「福武線新駅名を『たけふ新』とすることに決定しました。駅名の変更は、2022年春を予定しております。」と発表された。
そんなわけで、福井鉄道の「越前武生」の駅名はまもなく見納めになると思ったので訪問した写真に、チョット前の写真も交えて「越前武生」の文字があるモノを選抜して、まだ越前武生を名乗っている、いまのウチにココで紹介させていただくことにした。
さて、上の駅舎の写真を見て「この駅って元々“武生新”だろ。」っと思った方が居るのではないだろうか。実際その通りで、2010年3月25日に駅名を「武生新」から「越前武生」に改称していて、この度ひらがな混じりにはなるが「たけふ新」へと戻ることになる。
それでは、改札を通ってプラットホームへ入ってみよう。
なので、越前武生駅の近くの田原町方(そっち方にしかないが…)の踏切で待っていたら、モ880形が「越前武生」の方向幕を掲げてヤッてきたので撮ったのが下の写真。
幕なので、文字がキレイに写ってくれるのも嬉しい。
ところで、田原町方の踏切まできてフッと思ったことがある。何かというと、田原町方向へ歩いているということは、ある意味、北府駅へと向かっているわけで、ならば北府駅に隣駅を示す何かがあるのではないかと、北府駅まで行って撮った写真が下の右下に「越前武生」の文字が入った駅名標になる。
■福鉄の他の駅の画像データも眺めてみた
こぉなると、福井鉄道の他の駅にも「越前武生」の文字が記された案内板が写っている写真があるのではないか? と考え、過去写真を眺めていたトコロ、見つけたのが下の写真だ。
北府駅の6年前の写真も眺めていたら、「越前武生」の方向幕を掲出した200形の写真があったのだが、コレが静態保存を目的にいまだ北府駅に留置されている203編成だったので、この際だからその写真も載せさせていただきたい。
どぅでもよいネタだが、筆者撮影の福鉄200形北府駅での上列車の越前武生返しの到着発車シーンの動画があったので、それもご紹介(笑)。
https://youtu.be/arfw-Zf2spo
www.city.echizen.lg.jp/office/030/015/kitagoeki.html
■2022年8月6日筆者追記:新駅名「たけふ新」への駅名変更は、2023年春予定に延期されました。
https://fukutetsu.jp/newsDetail.php?num=235
武生は日本書紀による“継体天皇”が即位する前に過ごしたと伝わる地
福井鉄道のネタではないが、JR北陸本線 武生駅に「継体天皇」像のレプリカが鎮座している。
継体天皇は第26代天皇だが、その前の第25代武烈天皇には後嗣がいなかったため、越前國に居た応神天皇の5世孫・男大迹王(後の継体天皇)が大倭王権の大王として即位した。即位してから武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とし、そして嫡子として誕生したのが第29代欽明天皇になる。
何か現在の旧・宮家皇籍復帰物語に似て、それへの道しるべといえまいか。(あくまで個人の感想です。)
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。