JR東京駅のゼロキロポスト探訪…後篇

JR東海道新幹&JR東日本地下線区0kmポストの部

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[場所]JR東海道新幹線など 東京駅

JR東京駅のゼロキロポスト(0kmポスト)を探訪する2回シリーズ、前篇ではJR東日本の在来線と新幹線の地上区間のゼロキロポストを紹介したが、後篇ではJR東海の東海道新幹線とJR東日本の地下線区のゼロキロポストを探し歩いてみよう。

前篇にも載せた写真だが、JR東日本の東北新幹線23番線からの眺めで、この番線とJR東海の東海道新幹線14番線の間にゼロキロポストが設置されている。位置は、発車していくN700Aの鼻先あたりに立っている。手前が上野方、奥が品川方。

東海道新幹線

東海道新幹線は地上2階の14番線〜19番線プラットホームに発着している。そしてココは、JR東海の管理区域になっている。そのようなことはイマサラの話だけれども、一応JR東日本側で購入した入場券でも入場できる(購入から2時間以内)ので有りがたい、ということを申し添えておく。
ところで、東海道新幹線プラットホームは、16番線〜19番線が1964年(昭和39年)東海道新幹線開業時からのホームで、まず紹介する14・15番線ホームは、15番線が1975年7月18日に、14番線が1979年12月1日に供用を開始している、比較的新しいプラットホームになる。

■14・15番線プラットホーム
東海道新幹線の起点標示といえばプラットホーム床のモニュメントが有名だが、それは16・17番線ホームと18・19番線ホームのことで、14・15番線ホームの場合、ちょうどよいトコロに「Kiosk」が建っててるため無い(大笑)。 

14番線から発車するN700Aの運転台の位置あたりがゼロキロポストの地点だが、そこより左横へ線を延長した先にはKioskが建っている。
ただし線路部分にはゼロキロポストがあるので、まずはそちらから紹介していこう。

14番線から眺めたゼロキロポスト。レールの間には元標もある。奥が品川方。
この14・15番線ブラットホームを供用開始したのがまだ国鉄時代の1970年代後半なので問題ないのかも知れないけれども、位置的にはかつての東海道本線14・15番線ホームの場所になる。
まぁその辺は、当時は国鉄だったので、深く考えずに、15番線側を見てみよう。

15番線側から16番線方に眺めた元標。左が車止め方、右が品川方。
ちゃんと元標が設置してあるのはサスガである。

■16・17番線プラットホーム
16番線〜の19番線までは、東海道新幹線開業の時からのプラットホームなので、ある意味、歴史に残る場所である。その証拠に、18・19番線ホームの新横浜寄りには「新幹線の生みの親」のレリーフがあったりするので、解りやすい。

16・17番線ホーム床面に設置されている「新幹線起点」のモニュメント。左が品川方、右が車止め方。
16番線・17番線ホーム床面には「新幹線起点」のゼロキロポイントがある。

17番線側からの16番線方の眺め。奥には点鋲がある。左が品川方、右が車止め方。
「新幹線起点」モニュメントのアップ。左が車止め方、右が品川方。
モニュメントはナゼか○○新幹線とは名乗っていないのだけれども、よく考えたら、このプラットホームと隣の18・19番線のみが世界初の新幹線の起点な訳で、あえてドコドコを名乗る必要もないし、だからこそ14・15番線ホームにはゼロキロモニュメントがないのも理解できた気がする。

17番線側からの16番線方の眺め。左が品川方、右が車止め方。
次は反対側、17番線側。17番線と18番線の間には円盤型の「MK0KM」のモニュメントが埋め込まれている。

16番線側からの17番線方の眺め。手前の点鋲は写真3枚上のと同じモノ。左が車止め方、右が品川方。
17番線側からの18番線の眺め。線路の間に円盤型のモニュメントが設置されている。左が車止め方、右が品川方。
読者の方は解っていると思うが、「MK0KM」とは「0km」のことで、逆向きから見ても0KMと読めるよう配慮されているためである。

■18・19番線プラットホーム
こちらも世界初の新幹線の起点プラットホームである。解説は上と同じなので省略。

18・19番線ホームの「新幹線起点」モニュメントは業務用エレベータの前に設置。奥が車止め方。
では18番線側のゼロキロポストから見ていこう。
コレは当然ながら、上写真の円盤型0kmのモニュメントの反対側になる。

19番線側からの18番線方の眺め。手前に点鋲がある。左が品川方、右が車止め方。
18番線側からの17番線方の眺め。円盤型モニュメントは、本文にも記したが、こちら側にも「km」の文字が記され、どちらからの向きからも読めるようになっている。左が品川方、右が車止め方。
19番線側は、とりたててモニュメントがないと思っていたら、何と19番線側のプラットホーム床面に0km起点の位置に点鋲を打ってあるのを発見した。先の16番線にも打ってあったが、こういった隠れキャラを発見するのも鉄旅の楽しみ方の一つではないかと思ってしまう(笑)。

18番線側からの19番線方の眺め。左が車止め方、右が品川方。
19番線から眺めた元標。左が車止め方、右が品川方。

総武線・横須賀線地下ホーム

「横須賀線」は東京駅においては系統名なので、この項では「総武地下ホーム」の一言に統一させていただく。
総武地下ホームは2面4線で、1972年7月15日にまず開通した総武快速線 東京-津田沼 間の起点として開業した。
1976年10月1日には 東京-品川 間の現・横須賀線部分が開通。東京トンネルが貫通して総武快速電車の延長運転が始まった。
そして総武快速電車と横須賀線電車とが相互直通運転を開始する、現在のスタイルになったのは1980年10月1日になる。
ちなみに総武地下ホームの番線数字は東側から1・2・3・4と、地上の在来線とは逆の順に振られている。

総武地下プラットホーム床面には「北南」のタイルが貼られた場所があるが、ゼロキロポストの位置はココではない。
■総武地下1・2番線プラットホーム
総武地下ホームのゼロキロポストはかなり新橋寄りにある。設置されているのは1番線と4番線の側壁側のみになる。

総武地下1番線側のゼロキロポスト。左が新日本橋方、右が新橋方。
さらに、同位置のプラットホーム床面には「0Km」を示すフロアステッカーも貼られているので、ゼロキロポストは見つけやすい。

1番線側ゼロキロポストとフロアステッカーの位置関係。奥が新橋方。
1番線プラットホーム床面に貼られた「0Km」フロアステッカーのアップ。海を連想するデザインになっている。まぁ横須賀は海沿いの町だからネ。
ところで、ゼロキロポストではないが、2・3番線の線路の間にはペイントによる「0K」のマークが記されている。

総武地下2番線側からの地下3番線方の眺め。線路の間に「0K」のペイントが描かれている。左が新橋方、右が新日本橋方。

■総武地下3・4番線プラットホーム

総武地下3番線側からの地下2番線方の眺め。文字の向きはこちら側には対応していない(笑)。左が新日本橋方、右が新橋方。
ペイントのみとはいえ、起点を示すマークがあるのは嬉しくなってくる。
そして4番線側のゼロキロポストがコレ。

総武地下4番線側のゼロキロポスト。左が新橋方、右が新日本橋方。
また、4番線のプラットホーム床面にも「0Km」を示すフロアステッカーが貼られている。

4番線側ゼロキロポストとフロアステッカーの位置関係。奥が新日本橋方。
4番線プラットホーム床面に貼られた「0Km」フロアステッカーのアップ。房総へ向かう乗り場からか、こちらも海を連想するデザインになっている。

京葉地下ホーム

京葉線地下ホームは1990年3月10日の京葉線第3期 東京-新木場 間が開通した時に開業した。
プラットホームは2面4線で、有楽町寄りの鍛冶橋通りの地下に東西の向きに配置されていて、番線数字は北側から1・2・3・4と振られている。

■京葉地下1・2番線プラットホーム
京葉地下1・2番線プラットホーム床面には、付近にゼロキロポストがあることを示す「0kmPOINT」のご案内が貼られている。

京葉地下1・2番線プラットホーム床面に貼られた「0kmPOINT」のご案内。右の2番線に205系が停まっている点は気にしてはいけない(汗)。奥が八丁堀方。
「0kmPOINT」のご案内のアップ。
ナゼ「付近に…」と記したかというと、線路脇に設置されているゼロキロポストとは微妙にズレている(笑)からになる。

京葉地下1番線側のゼロキロポスト。左が車止め方、右が八丁堀方。
京葉地下2・3番線の間にはゼロキロポストが立っている。

京葉地下2番線側からの3番線方の眺め。ゼロキロポスト以外にも2・3番線間には0Kmを示す数字が各所に書かれている。左が八丁堀方、右が車止め方。
■京葉地下3・4番線プラットホーム

京葉地下3番線側から眺めた2番線方。電車は武蔵野線直通のE231系。左が車止め方、右が八丁堀方。
京葉地下4番線の側壁側にもゼロキロポストが設置されているので、その写真の掲載にて記事を締めよう。

京葉地下4番線側のゼロキロポスト。左が八丁堀方、右が車止め方。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。


[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。