駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(12) 鳥取県・米子駅

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]JR山陰本線・境線 米子駅

駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです

JR米子駅といえば「西日本旅客鉄道株式会社 米子支社」の最寄り駅であり、駅北方約1.5kmの境線沿いには「後藤総合車両所(旧・後藤工場)」があるのは当サイトの読者ならご存知だろう。なので、これらの存在をアピールするシンボルとして、何がしかの鉄道系モニュメントが展示されていることは想像できる。なんか出だしが、当サイト2019年12月1日アップの「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(11)秋田県・秋田駅」(←その記事はココをクリック)と同じになっているが、やはり米子駅も、実際に訪ねてみると、それらを観光の主目的にしても良い程度の鉄道系の展示物が並んでいることが解った。

本屋口を出て左(下り方)スグに建つコンビニの裏にあるモニュメントに添えられた「山陰鉄道の歩み」の説明板。年表が綴られている。
本屋口右(上り方)に広がる だんだん広場 に設置されたモニュメントに附された「ご案内」の説明板は四季の星座板?

まずは本屋口駅前広場から見ていこう

上の写真2枚は、米子駅本屋口(この出入り口しかないが)駅前広場に展示されているモニュメントに添えられている説明板になる。それなら、これらがどんなモニュメントに関わって掲示されているのか? では上々写真の「山陰鉄道の歩み」の説明板が附されているモニュメントがある南西(下り)側から眺めていこう。

コンビニの建物の左側を回った裏手にあるのはSLの動輪と客車の輪軸のモニュメント。
上のモニュメントを反対斜めから眺めたところ。右のボタンは、押すと米子ゆかりの曲が流れる。
左の動輪は C57 43号機 のモノ、右の輪軸は マッチ箱客車 が履いていた英国製の特殊車輪であることを伝えている。
写真4枚上の左端の茶色い枠の石碑は「山陰鐵道發祥之地 米子」(發の字は憶測)の記念碑になる。画像では文字が読みづらいので、以下に文章を記しておこう。

「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し、試運転を行なへり。来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗、球灯をかかげ、歓喜の様、非常なり(後略)」。明治35年(1902)11月1日、境-米子-御来屋間35km開通式の模様を当時の新聞にはこのように伝えている。山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く、やがて山陰本線、伯備線が開通した。鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが、経済・社会の近代化は大きく促進された。米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し、今日に至っている。山陰鉄道建設・発展に尽くされた先人の功績をたたえると共に、21世紀におけるさらなる発展を願って、ここに記念碑を建立する。平成9年7月吉日」

本屋口を出て駅前の北東(上り)側には「だんだん広場」というスペースがある。そしてこの中程には見出しの下々写真にある「ご案内」の説明板が附されているモニュメントが築造設置されている。それが以下の写真で紹介しているC62型SL+旧型客車2両の巨大オブジェになる。

だんだん広場のモニュメントは、天へ向かって発車してゆくC62+旧型客車2両がモチーフ。
客車は切妻タイプ。線路はコンクリートアーチ橋風を金属で制作している。
列車は西の空へ向かって設置されている。車輛は素材の色からするとブロンズ製かも知れない。
列車の右脇には空翔ぶ子供たち?が並ぶ。
「ご案内」の説明板によると「山陰鉄道発祥の地…として…設置しました。…」とのことだが、それがどうして 鉄道発祥の地=C62型SL+旧型客車2両 なのか疑問が残るが、深く考えずに眺めたい。


鉄道とは関係ないが、コンビニ前に展示されていたカバも載せておこう。

駅チカには日本に現存する最古の客車

米子駅本屋口から北北西450mほどの地点に「旧・日の丸自動車法勝寺鉄道・二軸木造客車(フ50)」が展示保存されている。この車輛は「日本に現存する最古の客車」の称号があるので、米子駅で少し時間が取れたら、ぜひ訪ねてみたい場所でもあろう。

フ50客車は 元町どおり と よりみち通り に挟まれた公園に保存展示されている。写真は南側からの眺め。
日ノ丸自動車・法勝寺鉄道は1924年(大正13年)に米子駅裏(南東)にあった米子町(後の米子市)駅~法勝寺駅 間で開業した12.4kmの電気鉄道で、1930年(昭和5年)に母里支線を開通(1944年廃止)したり、1953年(昭和28年)には日ノ丸自動車と吸収合併して「法勝寺電鉄」と社名を変えたりしたが、1967年5月15日に全線が廃止された路線。
ではフ50の残り3面もぐるりと見ていこう。

東側から見たところ。こちら側には手ブレーキが装着されているのが解る。
北側からの眺め。階段が設置されているため、全体像はよく見えない。
西側からは車体の全体は見られるが、足回りがアウト。
南西側(手ブレーキなし)側の正面の写真も載せておこう。
南側に設置された説明板。フ50客車の図面と諸元が記されている。
北東側正面右に置かれた説明板はフ50客車の経歴年表がメイン。
北東側正面前に設置された説明板は日ノ丸自動車法勝寺鉄道の説明も含まれている。その文中の「デハ201形203号」は米子駅から南方9kmの地点に保存展示されていて、紹介するか悩んだが、やはり駅チカとは言いがたいので、この度はスルーさせていただいた。
この車輛1両に説明板が3枚もあるというのが面白いが、それぞれに異なる視点により解説されているので、3枚とも読んでおくのがベストだろう。

駅ナカにも鉄道系展示品があるが…常設なのかは!?

外から先に紹介していったので駅ナカが後回しになってしまったが、これは駅構内の鉄道系展示品が常設ではない可能性もあるため、もしこの記事のアップ日時点においてすでにリニューアルされていると、これを見て訪れた人にフェイクニュースと思われたりしたら申し訳ないので、季節展示っぽい鉄道系展示品は、特に「変更があった場合にはお許しください。」ということを強調しするために、ラストに纏めて掲載させていただいた。
ではラッチ外の展示物から紹介していこう。

みどりの窓口左側脇にある「境線を走る『鬼太郎列車』と仲間たち」を紹介したプレート。はじめて訪れた旅客にとっては、どんな車輛がいるのか判り、ありがたい。右はまぁ定番のPRプレート。
コンコース外側のガラス面に飾られた提灯の一部には鉄道車輛が描かれている。
上の位置から右を向いたガラス面にはペーパーフラワーを組んで作った381系「特急やくも」が。
コンコース南西側には381系「特急やくも」とキロ47形「観光列車あめつち」の前面を形どった置物?
そしてラッチ内。こちら側には鬼太郎関係の展示物はやたら多いが、鉄道系はこのプレートだけであろうと思われる。

下り方の跨線橋の階段上に掲げられたキロ47形「観光列車あめつち」のプレート。
その土地土地の中心駅には、駅前にモニュメント類を設置してある場合が多く、旅先でそのような置物を見学するのは楽しいが、手作りによる、常設ではない展示物を眺めるのも何げに面白い。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。