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[場所]東海道本線 垂井-関ヶ原
タイトルを読むと何かとんでもない場所の紹介のように思えるが、種を明かせば、東海道本線の南荒尾信号場-関ヶ原 間の上り本線に並行して敷設された線路は下り本線ではなく、「垂井線」という東海道本線の支線で、そのうちの垂井-関ヶ原 間は双方向に走行できる単線線路になっていることを、タイトルではせっかくなので誇大表現してみたものだ。この表現は寛大にお願いしたい。
さてそれならば 、この区間の東海道本線の下り本線はどこにあるのか? 鉄道に詳しい方ならいまさらの話しだが、急勾配を緩和するために北に大きく迂回しており、現在は貨物列車や特急列車は、こちらの本線を通っている。
では関ヶ原駅名古屋方の配線を眺めてみよう。
では 垂井線 関ヶ原-垂井 間はナゼ双方向単線になったのか? 元々この区間は東海道本線の下り線として使用されていたが、最大25‰の上り急勾配があり、その勾配緩和のための下り別線を南荒尾信号場-関ヶ原 間(新垂井回り)に1944年(昭和19年)10月11日に開通させ、これにより旧下り線のレールは戦時中の鋼材確保のために撤去されたが、1946年11月1日に敷設し直して、この時に南荒尾信号場-垂井 間が下り専用、垂井-関ヶ原 間が双方向単線として復活させたのがいまの形になっている。
それでは垂井線の双方向単線部分を前面展望で眺めていこう。とは言え、実は下り列車からのリアビューを逆に並べているので、信号現示がすべて「赤」なのは深く考えずに見ていただきたい。
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[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。