天井川の掘削トンネル探訪(5) JR呉線・東川隧道

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[場所]JR呉線 安芸長浜-大乗

天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです

本記事で取り上げる路線の正式名は呉線だが、愛称に瀬戸内さざなみ線が設定されている。しかし愛称が長いので、タイトルと表題回りの[場所]は正式名を使用した。なお文中では呉線を使用していく。大勢には添っていないが、賢明な読者の方なら同じ路線を指していることを理解していただけると思う。
さて、そんな呉線だが、安芸長浜-大乗 間には天井川が流れており、これを線路は掘削(?)隧道によって通り抜けている。
この天井川は「東川」の名称で、山間の谷から海までの約800m流路があり、そのうち400mほどが天井川になっていて、中間の程よい所(笑)に呉線が通っているため、前後の道路は橋梁で渡っているのに、呉線のみが天井川トンネルでくぐっていて、隧道名は「東川トンネル」という名称が付いている。
筆者個人の感想になるが、天井川というと近畿地方(便宜上岐阜県西部を含む・汗)のイメージが強い。ところが広島県安芸地方にもあるということで、如何なるモノか気になったので訪ねてみた。

大乗駅(西)側から後方展望で眺めた天井川隧道の東川トンネル。踏切は堂沖踏切。
安芸長浜(東)側から前方展望で眺めた東川トンネル。踏切は西新畠踏切。
天井川については、以前の2016年1月6日アップ「日本で最初に作られた鉄道トンネル石屋川隧道を訪ねてみた」の記事中でも説明しているので詳細はそちらに譲るが、まぁ、地平レベルより川底が高い河川と言えば理解していただけるだろう。

■「東川トンネル」を西(大乗)側からまず眺めていこう
東川トンネルは呉線大乗駅側からだと東約600mほどの場所にある。
行き方としては国道185号を歩いていくのが楽で、天井川の道路橋は「東川橋」の銘板が付いているので解りやすい。

東川を国道185号東川橋上から北(上流)向きに眺めた光景。川底の奥がせり上がった部分の下を呉線の東川トンネルが通っている。
この国道185号の東川橋は前後が堤防の高さまで昇るために登り勾配にはなっているが、その名の通り橋で越えている。ところが、ここからたった200mほど上流の所を通る呉線は天井川トンネルで貫けているのが面白い。

上写真の東川の奥に写っている橋から南(下流)向きに眺めた景色。フェンスがある地点の下に呉線の東川トンネルの坑門がある。
最近の天井川訪問のマイブームだが、川の流路を手前に入れて、奥に鉄道線路を走る車輛を配した構図の写真を撮るチャレンジをしている。コレが、大乗(西)方に関してはアウトだった。
フェンスはともかくとして、白いガードレールがあるため、対(東)岸からは車輛の走行写真は撮ほぼれないと思ってよい。

上写真の左岸のフェンスがある地点からの西(右)向きの眺め。手前の砂地が川底。丁度よい位置にガードレールがあるため、鉄道線路は僅かしか見えない。
一応、西岸(大乗方)堤防上からは呉線の俯瞰が撮れるので、その写真を載せておこう。

右岸からの西向き(大乗方)の眺め。踏切は堂沖踏切。電車は227系。
それでは大乗方の堤防下のトンネル前へ降りてみよう。ここには堂沖踏切があるので、丁度よい位置から坑門が眺められる。

堂沖踏切付近から眺めた東川トンネルの西(大乗)側坑門。電車は227系。
上と同じ地点からの同じ列車。コンクリート面壁が上まで達しているため掘削隧道or開削隧道かの判断が難しい。
坑門の面壁は上までコンクリート造で開削隧道かも知れないが、トンネル断面は馬蹄形なので、掘削隧道なのかも知れない。実は筆者は建築科は出ているのだが土木には素人なので、この判定はココでは下さないことにする(汗)。

■次は「東川トンネル」の東(安芸長浜)側を眺めてみよう
川の流路を入れて、奥に鉄道線路を走る車輛を配した写真は、東(安芸長浜)側なら、フェンス越しにはなるが撮ることができる。
とはいえ、訪れた当日は天井川に水が流れていなかったので、河川としての説得力はないが。

5枚上の写真の右岸のフェンスがある地点からの東(左)向きの眺め。手前の砂地が川底。奥にいる電車は227系。
上写真と同じ地点からで、東川の川底より下を走る227系電車を大きく入れてみた。
そして、安芸長浜側の堤防下のトンネル前にも降りてみよう。こちら側には西新畠踏切があるので、コレまた丁度良い位置から坑門を眺められる。

西新畠踏切付近から眺めた東川トンネルの東(安芸長浜)側坑門。こちら側のコンクリート面壁は上まで達していない。
同地点からの227系電車のアップ。
西新畠踏切から撮った東川トンネルの銘板類。
安芸長浜側の坑門もやはりコンクリート製ではあるが、面壁上には土砂の部分があるので、もしかしたら掘削隧道かも知れないという可能性を残して、こちら側から眺めた項を締めることにしよう。

■2021年7月8日の豪雨で運休していた三原-竹原 間が9月15日に運転再開した
東川は、2021年7月8日の豪雨で護岸が崩落、同日より三原-竹原 間が7月20日まで運休、翌21日から運転再開したが、さらに8月12日の大雨で川床の保護シートの一部が流されたことにより再び運休していたが、9月15日に応急工事の目処が立ったとして運転を再開した。
当記事は、元々はこの夏にアップ予定でいたのだが、上記の理由により、列車が運行されていない区間を紹介するのも何なのでタイミングを図っているうちに、11月5日となってしまったことを申し添えておく。

東川トンネルにはetSETOraもやってくる

筆者が東川トンネルを訪れた日が運良く「etSETOra」の運転日だったため、天井川隧道と絡めた写真を撮ることができた。

東川トンネルにはキロ47形7000番台etSETOraもやってくる。
etSETOraは瀬戸内マリンビューの車輛を改造し、2020年から10月3日より運行を開始したいわゆる観光列車で、金・土・日・月曜および祝日に運転(年末年始を除く)されている。

そして天井川隧道の東川トンネルをくぐり抜ける。当たり前だが(笑)。
ところでこのetSETOraだが、2021年10月2日以降は 広島→(呉線)→三原→尾道・尾道→三原→(呉線)→広島 に変更された。
2022年2月までの運転日、運転時刻などは、下記URLより見ていただくとして、どんな列車かの詳細記事は省略(汗)。
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210930_08_1th_etsetora.pdf

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。