くまでんの路側軌道

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内

[場所]熊本電鉄藤崎線 藤崎宮前-黒髪町

熊本電鉄の鉄道線は鉄道事業法による鉄道だが、藤崎線の藤崎宮前-黒髪町 間の一部に併用軌道が存在する。
さて、熊本電鉄の併用軌道部分だが、舗装道路の路側に沿って線路が敷設された、いわゆる「路側軌道」のスタイルになっていて、道路の真ん中を通る併用軌道を見慣れた身からすると、家の玄関前を線路が通っているという稀な、鉄道好きにとって魅惑の憧憬が続いている。

家の玄関前を線路が通っている、それだけでも鉄道好きなら夢にも見たであろうワンダーランド的な情景なのだが、 路側軌道部分はバラスト敷きが主で、場所によってはレールの頭部と路面のレベルがほぼ同じに敷設されていて、見た感じ舗装道路との一体感があり、そこに鉄道車輛の車格の電車が走ってくるという、ここ独特の世界を創り出している。
ところで「路側軌道」とは聞き慣れない言葉だとは思うが、鉄道情景好きの一部の間で使われている語句で、道路の真ん中を通る併用軌道と、道路の路側帯に寄り添うように線路を敷いた併用軌道を区別するために使用していた隠語になる。
とにかく民家の玄関前を通る路側軌道に鉄道車輛の車格の電車が走っている光景には、見ていてワクワクしてしまう人は多いのではないだろうか。
では、熊本電鉄の路側軌道部分を、藤崎宮前駅側から眺めていくことにしよう。

路側軌道は藤崎宮前駅舎出入口側から北へ約700mほどの所から始まる。写真はその地点にある踏切から北向き黒髪町駅方に捕らえた、走りゆく6000形6231A-6238A使用の下り御代志 行の後追い撮影。
上写真の位置の道路の対面から北向き黒髪町駅方に眺めた、走りくる6000形6231A-6238A使用の上り藤崎宮前 行。この付近のレールは腹部までバラストから出ている箇所もあったりする。家々の玄関前を線路が通っていることがよく解る場所でもある。 ちなみにこの写真はFH動画からの切り出し。
上と同じ位置から北向きに望遠レンズでの撮影で、右奥の踏切までの約150mが路側軌道区間。電車は6000形6221ef-6228A使用の上り藤崎宮前行。
上写真左端のクルマが駐車している辺りからの北向きの眺めで、電車は6000形6111A-6118A使用の上り藤崎宮前行。ちなみに、4枚上の写真の連続撮影。
上写真に写っている架線柱2本先の辺りからの南向き藤崎宮前方の眺め。道路から線路を挟んだ場所に駐車場があるのにも驚かされる。電車は6000形6111A-6118A使用の下り御代志 行。なお、16:9画角の写真はFH動画からの切り出しで、その動画はユーチューブでも公開している。
https://youtu.be/z5mmDxb6oOQ
3枚上の写真の踏切付近からの南向き藤崎宮前方の眺め。家の駐車場出入口部分の線路は舗装されているのが見てとれる。電車は走りくる6000形6221ef-6228ef使用の下り御代志 行。ちなみにタイトル写真の連続撮影。
路側軌道部分の架線は直接吊架線になっているので、その吊架部分のアップも載せておこう。なお、直接吊架線 については2019年7月10日アップの「直接吊架電車線の終着駅を眺める」(←その記事はココをクリック)を参照していただけたらとお願いしたい。
旅客営業をしている鉄道線でこのようなシチュエーションの場所は、国内では他に江ノ電にあり、当サイト2016年5月3日アップの「江ノ電の路側軌道」(←その記事はココをクリック)で紹介しているので、併せて読んでいただけたらと思う。また、路面電車や工場専用線なども含めると路側軌道は全国にまだ見い出すことができる。
ちなみに、路側軌道ではないが、鉄道車輛の車格の電車が道路の真ん中を複線で走っている京阪大津線を2018年3月5日アップの「京津線電車が京都で併用軌道を走っていた昔日を慕べる区間」(←その記事はココをクリック)で紹介しているので、こちらも読んでいただけたらありがたい。

なお、路側軌道最寄りの藤崎宮前駅は、他の鉄道とは連絡していない地方私鉄のターミナルという、独特の雰囲気がある駅になってる。その写真の一部も、せっかくなので載せておこう。

この立派な頭端式プラットホームを有していながら、他社線との接続がない地方都市の起点駅は国内においては稀少なのではないだろうか。
藤崎宮前駅を、北側にある踏切から南方に眺めたところ。右の砂利道は一般進入禁止の道だが、一見未舗装路側軌道のように見えるから面白い。電車は6000形6231A-6238A。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。