「連載記事」カテゴリーアーカイブ

スタンプ物語36・千駄ヶ谷駅

広大な新宿御苑は都心のオアシス

国立競技場や神宮球場へも近い

スタンプは徒歩5分の新宿御苑(千駄ヶ谷口)。 江戸時代は内藤家の江戸屋敷があった場所で、明治5年(1872)に農業振興のため内藤新宿試験場となり、明治39年(1906)に現在の名に改められます。もっともこの頃は宮内庁が管理しており、一般には開放されていませんでした。国民公園となるのは戦後の昭和24年(1949)からです。
新宿御苑は広さ58.3ha、周囲3.5kmという広大な庭園で、東京地下鉄丸の内線新宿御苑駅のほうにも新宿口・大木戸口があります。スタンプに描かれている建物は、昭和天皇の御成婚を記念して昭和3年(1928)に竣工した旧御涼亭で、当時日本領だった台湾の方々から寄贈されたそうです。そのため中国南方の建築様式ですが、近年は建物老朽化のため、内部見学ができません。他にも皇族関係者が休みをとった明治29年(1896)竣工の旧洋館御休所があり、立替のため平成19年(2007)5月から閉館となっている温室も平成24年(2012)秋にはリニューアルオープンを予定しています。

千駄ヶ谷には長い間、改札内に旧国鉄のわたしの旅スタンプ台があり、わたしの旅スタンプに類似したスタンプ(現在はなし)がありました。磨耗の激しい状態の印影しかないので恐縮ですが、国鉄時代のわたしの旅スタンプに類似した「国立競技場と御苑の駅」で、国立競技場が描かれています。この国立競技場内には秩父宮記念スポーツ博物館も併設されており、オリンピックやスポーツの歴史が紹介されています。
また、徒歩6分のところに将棋会館があることからホームには将棋の水飲み場があり、その裏側には将棋盤の桝目が彫られています。さすがにここで将棋を打っている人は見かけませんでしたが。
さて、中央線はこのあと代々木新宿と続きますが、こちらは山手線のところで紹介していますので、駅名をクリックしてご覧ください。
次回の停車駅は大久保駅です。


より大きな地図で 千駄ヶ谷駅 を表示


※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。

スタンプ物語35・信濃町駅

聖徳記念絵画館と

イチョウ並木が圧巻

スタンプの印影は当駅から徒歩5分の聖徳記念絵画館と神宮外苑のイチョウ並木です。聖徳記念絵画館は、大正15年(1926)に竣工された花崗岩の建物で、平成23年(2011)6月23日には国の重要文化財に指定されました。館内には明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を描いた絵画が展示されており、夜ライトアップされた外観も目を引きます。
この絵画館を中心に遠近法を用いて植えられたのが、明治神宮外苑のイチョウ並木です。こちらは外苑造成にあたり、明治41年(1908)に新宿御苑から採集した種子を育てて、大正12年(1923)に植栽しました。並木は雄木44本、雌木102本の総計146本で構成され、高いものは28mもあるそうです。黄葉の見頃は毎年11月中旬~12月上旬で、期間中はいちょう祭も行われています。

また信濃町駅は東京ヤクルトスワローズの本拠地・明治神宮球場の最寄駅であることから、ヤクルトの試合日にはBGMとして応援に使われている「東京音頭」が流されます。水道橋駅が東京ドームの最寄で読売ジャイアンツの応援歌が流されることに対抗したものだそうですが、ヤクルトの応援席ではヤクルトが得点するたびに、ビニールの応援傘で「東京音頭」を踊ります。余談ですが、東京ヤクルトスワローズの始祖は国鉄スワローズ。球団の名は当時、国鉄で最速だった特急「つばめ号」に由来しており、「燕」は現在のマスコットキャラクターにも活かされています。野球観戦の帰り道で観られるライトアップされた聖徳記念絵画館も目を引きますよ。
次回の停車駅は千駄ヶ谷駅です。


より大きな地図で 信濃町駅 を表示


※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。

スタンプ物語34・四ツ谷駅

国宝指定の迎賓館はじめ

明治以降の建築物に注目

中央線の快速停車駅・四ツ谷は、JR駅名では大きい「ツ」を用いますが、しばしば小さい「ッ」と混同することもあり、住居表示では「四谷」となります。西は赤坂口、東は麹町口・四ッ谷口とありますが、スタンプは四ッ谷口の改札外にあります。
印影はなんとも欲張りで3つのスポットが描かれています。一つ目の迎賓館は駅から徒歩7分のところにあり、明治42年(1909)に東宮御所として建てられた洋風建築物。外国からの賓客に対し、宿泊その他の接遇を行うために設けられた国の施設です。平成21年(2009)12月には明治以降の文化財としては初めて国宝の指定を受けました。通常は非公開で毎年夏季に抽選による参観も行われています。参観方法についてはこちらをご覧ください。

二つ目の聖イグナチオ教会(左)は駅から徒歩5分。上智大学の構内にあるカトリック・イエズス会の教会です。昭和24年(1949)に創立された大規模な聖堂で、儀式などがあっても一般に開放されているようです。これも詳しくはこちらをご覧ください。
三つ目の四谷見附橋(右)は、四ツ谷駅ホーム中ほどからみえる赤煉瓦の壁と薄緑色の力強い鋼鉄製のアーチが上の橋を支えており、この上が新宿通りになっています。大正2年(1913)に竣工したこの橋は、老朽化と新宿通りの交通量増加に伴い、昭和62年(1987)から架替工事が開始され、平成3年(1991)に新しい橋となりました。古い橋は長池公園(八王子市別所2丁目)の池上に移設されています。幅員はかつての2倍となり、橋の親柱に付いている橋灯などに往時をしのぶことができます。

このほかに四谷見附橋の欄干はじめ、東京市電5000形レプリカ(左)などが展示されている新宿歴史博物館や、幕末の剣客・榊原鍵吉(1830~94)の墓(右)がある西応寺、伊賀の頭領・服部半蔵正成(1542~96)の墓がある西念寺などが近くにあります。
次回の停車駅は信濃町駅です。


より大きな地図で 四ッ谷駅 を表示

※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
鉄道コム鉄道コムのランキングクリックお願いします。

スタンプ物語33・市ヶ谷駅

皇居外濠に面した駅

近くには八幡宮が鎮座

スタンプの市谷亀ヶ岡八幡宮は、駅から外濠に架かる市ヶ谷橋を渡ってすぐのところにあります。江戸城を築いた太田道灌が文明年間(1469~87)に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請して創建した由緒ある神社で、参道の石段を少し登ります。本殿前の銅鳥居は、文化元年(1804)に鋳物師西村和泉政平によって造られました。他にも太田道灌が所持していたという軍配団扇(非公開)が保管され、ともに新宿区の指定文化財になっています。

市ヶ谷は「谷」がつくように坂の多いところです。中央本線の飯田橋~市ヶ谷間は皇居外濠に面しているので、水面に映える桜や新緑が乗客を和ませてくれます。それにしてもJRと都営の駅名は「市ヶ谷」なのに、東京メトロは「市ケ谷」と非常にややこしく、さらに住所表記では市谷と「ヶ」の字が抜けてしまうのです。

近くには大蔵省が管理し日本最古の印刷機がある印刷局記念館、幕末以降の国内外での戦争・国事で亡くなった英霊を祀る靖国神社などもあります。靖国神社の広大な境内には明治26年(1893)に造立された日本初の西洋式銅像である大村益次郎像(左)や、江戸幕末三大道場のひとつ神道無念流の練兵館跡(右)などもあり、合祀された英霊の遺品や戦争で使われた兵器などを展示する遊就館(拝観800円/9時~17時30分〈10~3月は~17時〉/無休)も見ごたえがあります。
次回の停車駅は四ッ谷駅です。


より大きな地図で 市ヶ谷駅 を表示


※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
鉄道コム鉄道コムのランキングクリックお願いします。

スタンプ物語32・飯田橋駅

遺構がよい状態で残る

牛込橋は西口からすぐ

スタンプは飯田橋西口にある牛込橋です。ここでもスタンプ設置箇所は東口となり、水道橋同様、東西逆転現象が起きています。
牛込橋は、寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)によって江戸城外郭門の一つ牛込見附門とともに建設された橋で、現在の早稲田通りに架かっています。その後、災害や老朽化によって何度も架け替えられ、現在の陸橋は平成8年(1996)3月に完成し、長さ46m、幅15.75mあります。これに橋のたもとの構造部分との陸橋に続く堤上の道(橋台)を合わせると、長さは100m近くにもなり、橋の親柱の上には隅櫓風の装飾が施されています。

また牛込橋に隣接して牛込見附(牛込御門)跡の石垣の遺構もあります。これは江戸城外堀の外郭門の一部で、外郭門は敵の進入を防ぐため「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「枡形門」という形になっています。石垣の一部には建設に携わった阿波徳島藩主蜂須賀忠英の官職名「松平阿波守」が刻まれており、石垣の脇に保存されています。左の写真は「旧江戸城写真帖」の牛込見附ですが、明治35年(1902)に石垣の大部分が撤去されました。それでも道路の挟んだ両脇の石垣や橋台の石垣などがあり、最もよい状態で当時の面影を残しています。

一方の駅名にもなっている飯田橋は東口。首都高や四角形の歩道橋があって交通量の多いところです。由来は天正18年(1590)、徳川家康が関東に入封したとき、周辺案内したのがは飯田喜兵衛という住人でした。喜兵衛の丁寧な案内に家康は気に入り、視察後、名主に任じた喜兵衛にちなんで飯田町とするよう命じたといいます。
なお、明治27年(1894)の甲武鉄道鉄道開業時は橋の西側に牛込駅があり、東に飯田町駅がありました。昭和3年(1928)の複々線化工事にともない、至近距離だった両駅を統合して飯田橋駅ができたのです。飯田橋駅西口から目白通りを南へ徒歩で3分ほど行ったところには、甲武鉄道の飯田町駅があったことを記す石碑が立っています。
次回の停車駅は市ヶ谷駅です。

より大きな地図で 飯田橋駅 を表示


※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
鉄道コム鉄道コムのランキングクリックお願いします。