名寄の「キマロキ」

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[場所]JR宗谷本線 名寄駅南方約700m
「キマロキ」とはSL排雪(除雪ではない)列車のことなのは広く知れ渡っており、「キ」が 機関車 を指すことをご存知な方も多いだろう。では「マロ」は何を指すのか? 「マ」は マックレー車 を、「ロ」は ロータリー車 を指している。

さて、そんな キマロキ列車 がまるごと編成を組んだ姿で保存展示されている場所がある。それは、名寄駅南方約700mほどの所にある 名寄市北国博物館 の横で、かつて名寄本線だった敷地の一角に展示されている。
キマロキの車輛自体を保存してある場所は他にもあるが、編成を組んだ姿が見られるのはココだけなのと、見学自由ということで、当サイトで紹介してみた。

展示線はほぼ南南東-北北西方向に敷設され、キマロキ編成は先頭が南南東を向いて置かれている。
保存列車の脇に立てられた説明板。宗谷本線の歴史から記されているが、スマホで観ている方は文字が読み辛いかと思うので、経歴と諸元は各車のキャプション中にも記しておこう。
先頭の「キ」機関車は 9600形蒸気機関車。SL59601号機。製造 大正10年11月3日 川崎造船所 退任 昭和47年10月26日 約51年間運転 全長16.751m 最大牽引力800t(1,000馬力) 最大速度65km/h。
展示線には、保存車輛の他、腕木式信号機や勾配標、距離標なども設置してある。
最後尾には キマロキ の4文字以外の車輛、車掌車(緩急車)ヨ3500形ヨ4456号が連結されている。製造 昭和29年 川崎車輛。

ところで、かつての頃の 排雪列車 がどんな時に運行されていたのか、気になった方がいるのではないだろうか。
排雪列車 には「定期排雪列車」と「特殊排雪列車」があり、定期 の方はラッセル除雪車などを降雪時の始発前あたりに走らせる列車で、特殊排雪列車 は前記ラッセル列車の度重なる運行により線路脇に溜った雪塊を排除するために昼間に運転される列車、いわゆるロータリー車などを使用した「特雪」のことをいう。
それがSL全盛時代には 定期 はラッセル車を機関車の前部に連結して積雪をかき分ける列車で、特雪 はまずマックレー車により雪塊をかき集め、それを次に控えたロータリー車により遠くへ飛ばす、さらにいえばこの2両には走行装置がないので前後に機関車を連結して、いわゆる キマロキ 編成のような列車を運行することを主にそう呼んでいた。
とはいえ 近年では、ラッセル車 や ロータリー車 の機能、さらには両方の機能をも備えたモーターカーなどが出現しており、それらが出動する時は 線路閉鎖 をするため、排雪に 列車 という概念はなくなっているが。
そんなモーターカーの発達から、ふた昔前のSL排雪列車はおろか、DLによるロータリー特殊排雪列車までが過去のことになりつつある。
と、こんな予備知識を描いて、「マ」マックレー車、「ロ」ロータリー車を眺めてみよう。

2番目の「マ」マックレー車はキ700形(かき寄せ式雪かき車)。キ911号機。製造 昭和13年10月20日 国鉄苗穂工場 退任 昭和50年10月18日 約35年間運行 全長8.470m 雪の最大かき寄せ幅7.750m。
翼(ウイング)寄りの一番左の車輪のみスホーク輪心なのは注目点。
訪れた日がたまたま保護ペイントの最中だったので、ひと声掛けてから撮影したのだが、皆さんやたら好意的だった。もしやその作業の取材と思われたのかも知れない。実はコレでした。当サイトに気付いてくれたかな。
画面右の翼(ウイング)を開いて線路脇に溜った雪塊の壁を崩して線路の方にかき寄せる役目を担う。
3番目の「ロ」ロータリー車はキ600形(回転式雪かき車)。キ604号機。製造 昭和14年11月20日 国鉄苗穂工場 退任 昭和50年10月18日 約35年間運行 全長19.025m 雪を飛ばす距離 横に30m位 上に20m位。
車体はハコ形で大人し目なスタイルだが、室内にはボイラーと蒸気機関が備えられている。そして、その力により前部の羽根車(ローター)を回転させて雪を遠方に飛ばす。
後ろにテンダー車が控えているのがボイラーと蒸気機関を備えている証し。ということで、活躍中はハコ形車体から煙を上げる。
保護ペイントの途中ということもあり、こちら側は特に本来の姿でない点をご理解いただきたい。
後ろの「キ」機関車はD51形蒸気機関車。SLD51398号機。製造 昭和15年1月24日 日本車輛製作所 退任 昭和48年9月10日 約33年間運転 全長19.730m 最大牽引力1,200t(1,500馬力) 最大速度85km/h。

名寄の キマロキ 編成が展示されている場所は、前述もしたが、実は名寄本線の廃線跡なのだが、このキマロキ編成が名寄の地に保存展示されたのは国鉄無煙化達成から約半年後の1976年10月になる。名寄本線が廃止になったのは1989年5月なので時間軸が???と思う方が居ると思うが、いまの展示場所へは前保存場所である近くの名寄公園から1993年6月に移転されてきたもの。付近を走る宗谷本線の列車の車窓からも目撃できるし、また廃線跡めぐりを楽しんでいる方も訪れやすい場所になっている。
なお、冬期はシートが被せられてしまうので、その点を見学に訪れたいと思っている方へ一言添えておこう。

キマロキ編成 の付近を通る宗谷本線を走行する261系気動車使用の下り特急 スーパー宗谷 を後追い撮影。画面左側が稚内方になる。なお、キマロキ編成がある場所が名寄本線の廃線跡で、写真手前のレンゲが咲いている辺りは1995年9月に廃止された深名線の廃線跡であり、名寄本線が廃止になる前までは、この辺の線路は三つ又だったことになる。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。