敦賀港駅のランプ小屋の改修が完了!!

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所] JR北陸本線 旧・敦賀港駅

少し古い話題になるが、当サイト2015年5月22日にアップした「ランプ小屋」の記事(←その記事はここをクリック)の中で「現存最古級の鉄道建築…」として紹介した、北陸本線敦賀駅から分岐して北へ延びる貨物支線にある『敦賀港駅のランプ小屋』の改修工事が完了し、2015年10月14日から一般公開を開始した。

『敦賀港駅のランプ小屋』が改修工事を受ける前の姿。タイトル写真の完了後の姿とくらべると、屋根がスレート葺きだったり、地面が砂利だったりの違いが判る。
『敦賀港駅のランプ小屋』が改修工事を受ける前の姿。タイトル写真の完了後の姿とくらべると、屋根がスレート葺きだったり、地面が砂利だったりの違いが判る。
ランプ小屋 から南南西に500mほどの場所にある、敦賀鉄道資料館内に展示されている「敦賀港駅ランプ小屋改修工事のようす」の写真。原則的には館内は撮影禁止だが、この写真と「往時の敦賀港」のジオラマの写真は許可を取って撮影している。
ランプ小屋 から南南西に500mほどの場所にある、敦賀鉄道資料館内に展示されている「敦賀港駅ランプ小屋改修工事のようす」の写真。原則的には館内は撮影禁止だが、この写真と「往時の敦賀港」のジオラマの写真は許可を取って撮影している。

このランプ小屋がいかなる物なのか。
せっかくなので2015年5月22日にアップした、「敦賀港駅ランプ小屋にあった案内看板から流用した解説文」を再掲載しよう。

「完成/一八八二年(明治十五年)
 建設/鉄道省 煉瓦造平屋建 敦賀市金ヶ崎1-1
        間口7.1m 奥行4.1m
 敦賀港駅は一八八二年(明治十五年)金ヶ崎駅として出発した。敦賀は日本海側で一番早く鉄道が通った町であり、港の荷物を直接取り扱うのが金ヶ崎駅だった。その後、一九一二年(明治四十五年)新橋~金ヶ崎間に欧亜国際連絡列車が週三往復走るようになり、国際港敦賀は多くの人と荷物で賑わった。当時の建物がほとんどなくなってしまったなかで残ったのが煉瓦造りの『ランプ小屋』だ。列車を走らせる際には、後方にその存在を知らせる光が必要だが、電気機具等が未発達な当時の光源として使われたのが灯油を燃やすカンテラだった。そして、引火性の強いこの油類を保管するための危険物倉庫として建てられたのが赤煉瓦倉庫だった。『ランプ小屋』と呼ばれて長く親しまれてきた。このランプ小屋に積まれている煉瓦をよく見ると多くの煉瓦に、『平』とか『一』、『八』といろいろ刻印がきざまれている。これは、煉瓦を作った職人の名前の一部だそうです。
敦賀観光協会」

鉄道省ができたのが1920年(大正9年)で、それよりはるか以前の1882年(明治15年)は「工部省」だったはずと、そんなツッコミはやめておくとして、北陸本線貨物支線が休止したとはいえ、地元の福井県敦賀市が、「敦賀港駅のランプ小屋には、珍しい特徴があり、現存最古級の鉄道建築と解った」ということらしい。
では、改修が完了した『敦賀港駅のランプ小屋』を眺めていくことにしよう。

ランプ小屋の改修が完了した姿。南東側からの眺め。屋根は瓦葺きになり、レンガの目地もキレイになっている。
ランプ小屋の改修が完了した姿。南東側からの眺め。屋根は瓦葺きになり、レンガの目地もキレイになっている。
北東から眺めたところ。
北東から眺めたところ。
北西からの眺め。なお、南西には建物が建っているため、そちら側からの写真はない。
北西からの眺め。なお、南西には建物が建っているため、そちら側からの写真はない。
ランプ小屋の中にはさまざまな展示がされているが、これは「蒸気機関車が使ったランプについて」のコーナー。下に解説が添えられている。
ランプ小屋の中にはさまざまな展示がされているが、これは「蒸気機関車が使ったランプについて」のコーナー。下に解説が添えられている。
ランプ小屋の入口に掲げられた説明板。公開時間などはこの文中を参照。
ランプ小屋の入口に掲げられた説明板。公開時間などはこの文中を参照。

さて、上で紹介した「敦賀港駅ランプ小屋改修工事のようす」の写真が展示されている“敦賀鉄道資料館”にもここで触れておこう。
この建物は「敦賀港開港100周年」を記念して、敦賀港の歴史的建造物のひとつである1913年(大正2年)建造の“旧国鉄 敦賀港驛 驛舎”を 敦賀商工会議所 の手により再現したもので、1999年7月に完成している。詳細は以下の写真によるが、館内には北陸界隈の鉄道資料が多数展示されているので、『敦賀港駅のランプ小屋』と併せて訪ねると、なお一層この地域の鉄道の歴史が理解できると思うのでお勧めしたい。
場所はJR敦賀駅からだと北へ1,200m程の地点。敦賀のランドマーク・氣比神宮からだと、神宮前の北北西へ向かう道を500m程進んだ突きあたり右にあるので判りやすい。

敦賀鉄道資料館(旧国鉄 敦賀港驛 驛舎)

開館時間
9時~17時
休館日
月曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日
入館料
無料
場所
〒914-0079 福井県敦賀市港町1-25
TEL
0770-21-0056
敦賀鉄道資料館の外観。氣比神宮から北北西へ向かう通りを500m程進んだ突きあたりに建つ きらめきみなと館 から東北東へ100mほど。水路を渡った先にある。ちなみに本来の旧敦賀港驛 驛舎は違う場所にあった。
敦賀鉄道資料館の外観。氣比神宮から北北西へ向かう通りを500m程進んだ突きあたりに建つ きらめきみなと館 から東北東へ100mほど。水路を渡った先にある。ちなみに本来の旧敦賀港驛 驛舎は違う場所にあった。
敦賀鉄道資料館の前に立つ説明板。1940年(昭和15年)10月31日の“欧亜国際連絡列車”の廃止までは敦賀のシンボル的存在だったことが解る。
敦賀鉄道資料館の前に立つ説明板。1940年(昭和15年)10月31日の“欧亜国際連絡列車”の廃止までは敦賀のシンボル的存在だったことが解る。
敦賀鉄道資料館内に展示されている「往時の敦賀港」のジオラマの右半分をアップにして北を上にしたアングルで位置関係を説明すると、ランプ小屋は写真上の黒山(石炭か?)の右端にある建物で、写真中央からやや左上の洋館が並ぶ中の左から3番目の建物が本来の敦賀港驛 驛舎。現在の敦賀鉄道資料館(旧国鉄 敦賀港驛 驛舎)は写真中央付近の黒山3個のうちの一番下の場所にある。
敦賀鉄道資料館内に展示されている「往時の敦賀港」のジオラマの右半分をアップにして北を上にしたアングルで位置関係を説明すると、ランプ小屋は写真上の黒山(石炭か?)の右端にある建物で、写真中央からやや左上の洋館が並ぶ中の左から3番目の建物が本来の敦賀港驛 驛舎。現在の敦賀鉄道資料館(旧国鉄 敦賀港驛 驛舎)は写真中央付近の黒山3個のうちの一番下の場所にある。

敦賀鉄道資料館の西側にある水路の両岸には、西側の埠頭へと続いていたであろう線路の橋台が残っている。この日は桟橋に海上保安庁第八管区の巡視船「PS202ほたか」が停泊していた。
敦賀鉄道資料館の西側にある水路の両岸には、西側の埠頭へと続いていたであろう線路の橋台が残っている。この日は桟橋に海上保安庁第八管区の巡視船「PS202ほたか」が停泊していた。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。

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