山陽電鉄・山陽本線垂水付近で山側に見える古墳の正体は!?

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[場所]JR山陽本線 垂水-舞子 & 山陽電鉄 山陽垂水-霞ヶ丘

山陽本線電車線もしくは山陽電鉄本線の下り列車に乗って垂水駅を出発して600mくらいの地点山側車窓に古墳のような丘が一瞬見える。
なので、コレが何なのかグーグルマップで確認したトコロ本当に古墳で、なんと前方後円墳…。名は「五色塚古墳」という。
ということで、気になるその古墳を訪ねてみた。

山陽本線電車線上り 舞子→垂水 間を走る電車の山側車窓からチラッと見えた五色塚古墳。
垂水駅or霞ヶ丘駅の位置関係。写真は垂水駅前の地図看板より。
筆者はJR山陽本線・山陽電鉄 垂水駅 から徒歩で行ったが、山陽電鉄利用なら 霞ヶ丘駅 からの方が近い。
では古墳を外周東側からグルッと眺めていこう。

山陽電鉄の線路は五色塚古墳の前方側のスグ脇を通っている。写真は古墳の南東端からで、電車は下り線を走る乗り入れ車の阪神8000系8523F使用の直通特急姫路行。
そして、タイトル写真は同じ線路を走る山電3000系アルミ車3078F。
上写真の地点からカメラを右(北)側へ90度ふった眺め。後円側が見える。
古墳の北東端からの南西(海側)向きに眺めたところ。電車は山電3000系。
上写真の左(東)隣にある緑地に設置されている説明板。
古墳の後円(北)側からの眺め。
上写真の位置から南西に150mほど進んだ地点に五色塚古墳の見学受付の入口がある。
上の入口を入ってスグ左に立っている「五色塚古墳復元整備完成記念」の碑。
その右脇に設置された説明板のアップ。
かなり大きな前方後円墳だということが解っていただけただろうか。サイズデータや外観の詳細は上写真の説明板を読んでいただきたくお願いしたい。
なお、五色塚古墳の中にへ入るには、3枚上の写真の奥に写っている建物の中にある受付で記帳する必要がある。
ところでその建物の室内には同古墳から出土した埴輪が数点展示してあり、それも見学することができる。

受付がある部屋の中には古墳から出土した本物の埴輪が展示されている。
古墳といえば、近畿地方では大阪府河内と和泉や奈良県にあるイメージが強いが、兵庫県にもあったのだ。それも神戸市内にあるのだから畏れ入る。
そしてこの神戸市の垂水区には五色塚古墳(別名:千壺古墳)と隣の小壺古墳(後述)の他にも古墳がまだ多数あり、中でも「舞子古墳群」は調査がかなり進んでいるらしい…などということも上写真の展示から読み取ることができる。

その右端に掲げられた神戸市「垂水区の遺跡」をガイドした説明板。
それでは五色塚古墳の中へ立ち入って、まずは後円側へ登ってみよう。

前方の上からの後円(北向き)方の眺め。

■結局やってるいつものパターン
当サイトでの、車窓から高見に窺える名所・旧跡の記事お決まりパターンになりつつあるが、列車の車窓から見えるスポットなら、そのスポットの上からも列車が見えるのではないか…を確かめるいつもの行動(汗)を、五色塚古墳の後円側でもヤッてしまった(笑)。
そんなわけで、眼下を走る列車がどのように眺められるか、その後円側上から撮った写真をお見せしておこう。

後円側上からの前方(南向き)方の眺め。電車は山陽電鉄下り線を走る山電6000系。3連のため右にチョコッとしか写っていない(笑)。
ということで、カメラを左にふって、東(左)の線路も入れた写真。電車は山陽電鉄下り線を走る阪神8000系。
後円側上に立つ説明板。
次は前方側へ行ったのだが、とりあえずはそこにあった説明板の写真だけ(汗)。

前方側上に立つ説明板。
■そしてコチラも眼下を走る列車の眺め
もうね、このような環境にくると、前方側では鉄道を眺めているのがメインになってしまった(笑)。天気が良い日なら何時間でも居られる場所だよネ。
ただし、古墳内は禁煙は元より、飲食も禁止な点は申し添えておく。(←当たり前かwww)

山陽電鉄上り線を走る山電3000系。
山陽電鉄下り線を走る山電5030系。
山陽電鉄下り線を走る山電6000系。
JR山陽本線下り電車線を走るJR西日本207系。皆さんご存知と思うが、この辺のJRの複々線は線路別になっている。
ちなみに、山陽本線の列車線を走る列車は、上半分くらいしか見えなかったので、その写真は載せなかった。

開園時間:9時~17時(入園は16時45分まで)
休園日:月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)・年末年始
入園料:無料

隣には小壺古墳がある

ナゼか鉄道ネタになってしまった(汗)。
さて、五色塚古墳の隣に小壺古墳がある旨を前述しておいたが、なので話しを本題の古墳に戻すべく、その写真も載せておこう。

五色塚古墳の前方と後円の境目あたりから北西向きに眺めた小壺古墳。左の建物は五色塚古墳見学の受付。
上写真の古墳に添った道の右端あたりからの小壺古墳の眺め。
小壺古墳脇に立つ説明板。
ところで、上写真の説明板に「小壺古墳」の名の由来が記されていないが、五色塚古墳の別名「千壺古墳」との対比で名づけられたと言われている。その壺とは「円筒埴輪」を指しているとのことだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
また、コロナ禍の最中ですが、緊急事態宣言前の撮影なことを申し添えておきます。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。