新幹線の線路を走った私鉄電車

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[場所] 阪急電鉄京都線 上牧-大山崎
新大阪駅からJR東海道新幹線の上り列車に乗ると、22kmくらいの地点で左から標準軌の複線線路が寄り添ってきて約4kmの間並行する。この線路が阪急京都線なことは、阪急電車が好きな方や関西の方ならご存知のことと思う。また電車好きの方ならば、東海道新幹線に乗車した時、この区間で阪急電車と並走するかも知れないとワクワクするのではないだろうか。

ここはそんな新幹線の車窓を楽しませてくれる場所の一つになるが、では阪急電車側からは新幹線がどのように見えるのか気になっている方もいると思うので、それを確かめに訪ねてきた。

上牧駅プラットホーム河原町寄り端からの河原町(北東)方の眺め。訪問日の感想では、下り列車同士は案外並ぶのだが、その場合に並走する阪急電車は大概「準急」のため駅に停車するので勝負にならない。阪急電車は左は9300系「特急」河原町行で右が7300系「準急」梅田行、新幹線は700系。
なお、タイトル写真も同地点からの眺めで、阪急電車は左が9300系「特急」河原町行で右は1300系「準急」梅田行、新幹線はN700系。
上牧駅プラットホーム下り線からの梅田(南西)方の眺め。こういう位置にいる時に限って新幹線と阪急電車「特急」の勝負が見られる。阪急電車は9300系「特急」梅田行で、新幹線は700系。

阪急京都線が新幹線と並行する区間は、阪急の駅名でいうと 上牧-水無瀬-大山崎 間になる。プラットホームのタイプは上牧が島式、水無瀬と大山崎が相対式で、上牧駅の梅田寄り(南西側)にはホーム端に出入口階段があるのと大山崎駅の河原町寄り(北東側)は両線が離れ出しているので、ここでは並走区間をベストポジションで眺めることはできない。
他の場所もプラットホーム端は狭く、「準急」と「普通」以外の列車は高速で通過することもあり、大人数で訪ねるのには向いていないことを申し添えておく。
ちなみに、筆者が訪れた日は平日日中に3時間ほどの滞在だったが、新幹線の上り列車と阪急の上り電車(河原町方面)の並走は見られなかった。
では、どのように眺められるのかを上写真以外の場所もお見せしよう。

水無瀬駅上り線プラットホームからの梅田(南西)方の眺め。並走はしているが、並んでいる阪急電車はやはり「準急」なので勝負になっていない。新幹線はN700系で、阪急電車は3300系「準急」梅田行。
水無瀬駅上り線プラットホームからの河原町(北東)方の眺め。1時間待ってやっと撮れた勝負シーンで、阪急電車は9300系「特急」梅田行、新幹線はN700系。高速シャッターを使ったため行先と種別表示がとんでしまったのが残念。

この区間には「新幹線のレールの上を走った阪急電車」という有名な武勇伝が語り継がれているので、ここでその話しも紹介しておこう。
そもそもの起こりは、東海道新幹線のこの辺りのルートが阪急京都線に沿った場所を通ることに決まったことに始まる。
当時の阪急京都線のこの辺りは高架ではなかったが、新幹線の線路はご存知のように全線立体交差が原則のため高架線で建設されるわけで、阪急の地平の線路に添って新幹線の築堤や高架橋を並べるスタイルで建設されると、この区間は淀川河川敷に近く地盤が脆弱なこともあり、並行する阪急線が工事中にそれらの重みで地盤沈下するおそれがあったため、阪急線も同様に築堤や高架橋にすることになった。しかし建設を同時に行なうと阪急線を運休させなくてはならなくなる。そこで新幹線の築堤高架を先に造りレールを敷設した後、その線路の上にとりあえず阪急電車を暫定的に走らせて、その間に阪急線の築堤高架を造るという建設工程が採られたのが理由といわれている。なお3駅のプラットホームは新幹線の築堤高架線上に仮設で造られた。阪急電車が新幹線の線路を走った日程は、下り線が1963年(昭和38年)4月24日から12月14日までで、上り線は1963年(昭和38年)5月10日から12月19日まで。東海道新幹線が開業する約1年前の出来事になる。
新幹線と阪急線の軌間がともに同じ1,435mmゲージの標準軌だったこともあって可能だった離れ業ともいえる。ただし供給される電気は電化方式と電圧が両線で違うため、この期間には架線に阪急用の直流1,500Vが流された。
なお、現代版「新幹線の高架を走る私鉄電車」(←その記事はココをクリック)とも言える えちぜん鉄道 福井-福井口 間の話題を2016年1月20日にアップしているので、そちらもこの際に読んでいただけるとありがたい。

大山崎駅下り線プラットホームからの梅田(南西)方の眺め。左の築堤が新幹線の線路で、右の阪急の線路が少し低くなっているため並びのベストショットは望めない。阪急電車は3300系「準急」河原町行。

余談になるが、上牧駅は1939年(昭和14年)までは「上牧桜井ノ駅駅」、水無瀬駅は1948年(昭和23年)までは「桜井ノ駅駅」という舌を咬みそうな駅名を名乗っていた。この辺の話しはいずれ機会があったら書きたいと思う。
それと、この日の撮影には阪急電車をまる一日乗り放題できる「阪急阪神1dayパス」を利用したことも申し添えておく。阪急電車を乗り回すのに便利な切符だ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。