四国鉄道文化館・北館の部
鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]JR予讃本線 伊予西条駅
日本国有鉄道(国鉄)第4代総裁十河信二氏は「新幹線の父」と呼ばれている。
ナゼそように呼ばれているかは話しが長くなるので省略(気になった人は他を検索してくださいの意)するが、その氏の出生地が伊予西条の隣駅中萩駅がある愛媛県新居郡なのと、出身校である旧制中学の所在地が西条市という縁で、新幹線車輛を四国へ初上陸させ、伊予西条駅に隣接する十河信二記念館の先に建つ四国鉄道文化館 北館で保存展示されている。
なお、四国鉄道文化館に保存展示されている車輛は0系ショーティーの他にまだあるので、本記事ではそれらをメインに紹介していこう。
ところで、四国鉄道文化館は 北館 と 南館 に分かれていて別々2つの敷地に建っている。なので紹介記事も前篇・後編2回に分けて、前篇ではそのうちの北館から訪ねていくことにしよう。
北館は駅本屋口を出て右に建つ十河信二記念館の先にある
伊予西条駅北側の本屋口(まぁこちら側しかないが…)を出たら右スグに十河信二記念館が建っている。
■北館入口前の屋外展示
入口前の屋外展示は、左から十河信二氏の胸像、C58形SLの第二動輪、腕木式信号機、狭軌と広軌の比較が並んでいる。その中では狭軌と広軌(実は標準軌だが…)の比較が、地味ながら個人的には興味深かった。
北館の中へ
北館へ入口から入館すると、まず目に入ってくるのは0系電車とDF50 1電気式DLだ。とは言っても、北館に保存展示されている鉄道車輛はこの2両のみではあるが。
それでは0系電車から眺めていくことにしよう。上では「0系ショーティー」と酷い呼び方をしているが、短くなっているとは言え、れっきとした0系電車の本物なので、産業遺産級的にその価値は高い点を申し添えておく。
後の経歴は、2000年10月に引退。12月にJR四国が譲り受け、多度津工場に保存してあったが、その後に西条市がJR四国から借り受けて、この場に保存展示されたモノ。
■DF50 1
DF50形DLは、四国が最後の働き場所になった形式で、DF50 1は1983年9月のラストラン後は多度津工場に保管されていたが、やはり四国鉄道文化館の開設を期にココへやってカマになる。
DF50 1の展示レールは奥(東)方に渡り板が架けられ、先ではまたレールが現われて、この上には軌道用自転車が展示されている。
たいがいの方は察していただいたと思うが、このDF51 1 & 軌道用自転車を展示しているレールは本物の線路になっていて、それが先の屋外へも延び、なんと本線と繋がっているのだ。その気になれば本物(笑)の鉄道車輛も搬入して展示できるという施設は夢があって嬉しくなってくる。
そんな施設なら京都鉄道博物館にだってあるではないか…と言われそうだが、四国鉄道文化館 北館は2007年11月6日の開館で、京都鉄博は2016年4月29日の開館なので、実はコチラの方が先輩である。
■部品・用品類の展示物など
四国鉄道文化館には鉄道車輛以外の展示品だってたくさんあるので、それらの写真にて記事を締めることにしよう。
四国鉄道文化館 北館
開館時間・休館日・入館料などは下記URLにて。
https://s-trp.jp/about.html
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。
[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。