駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(15)滋賀県・長浜駅…前篇

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内…この度は2回に分けてのご紹介!!

[場所]JR北陸本線 長浜駅

駅ナカや駅近の鉄道にまつわるオブジェや
モニュメントを訪ねる不定期シリーズです

駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる不定期シリーズは、なんと2022年5月1日アップ「(14)富山県・宇奈月界隈」以来4年の時を経ての久々の記事発信になる。
ということで第15回はJR北陸本線 長浜駅 界隈を紹介していこう。

現在の長浜駅橋上駅舎。初代「旧長浜駅」駅舎をモチーフにした5代目駅舎にあたる。ちなみに、タイトル写真の建物が初代「旧長浜駅」駅舎になる。
長浜駅の界隈を紹介するならば、その前に同駅の変遷の概略を語らなければなるまい。
その概略の前に、長浜駅の南約200mの場所にある長浜鉄道スクエア(後ほど紹介)に展示されている「明治20年頃の長浜駅」のジオラマにて、かつての駅構造を見ておいていただきたい。

長浜鉄道スクエア長浜鉄道文化館内に展示されている「明治20年頃の長浜駅」のジオラマ。奥が南側になる。頭端駅になっているが、当時はカマの付け替えをしなくてはならないため、線路はおそらく現在の門司港駅のような配線になっていたモノと思われる。
同じく「明治20年頃の長浜駅」のジオラマ。左が北で右が南。船が停泊しているトコロが長浜港。その右の庭園は慶雲館。
長浜駅は1882年(明治15年)3月11日に、琵琶湖航路 大津港-長浜港 を結ぶ鉄道連絡船の長浜港に隣接する位置に、ここから北陸地方を目指す路線の始発駅として開業。1983年(明治16年)5月1日にはやはり長浜港から東へ向かう(後の)東海道本線が北側から合流する配線にて開通。どちらの路線も頭端というスタイルの駅構造の時期が1989年(明治22年)6月30日まで続いていた。ではナゼ(後の)東海道本線が北側から合流&北方向に発車していたのか? それは東海道本線の関ヶ原-米原 間が現ルートになる前には、関ヶ原駅の西7.3km付近から線路は北西へ向かい、横山城址がある横山丘陵の北を迂回して西南西へ向きを変えて、長浜駅へ向かうというコースで敷設されたからになる。
その後、1889年(明治22年)7月1日に東海道本線関ヶ原-米原 間の現ルートと、現・北陸本線 米原-長浜 間が開業して、長浜駅は中間駅になった。
なお、頭端駅時代の駅舎が現在の長浜鉄道スクエア旧長浜駅舎(後ほど紹介)になる。

現・長浜駅橋上駅舎

現在の長浜駅舎は2006年に橋上駅舎として竣工した。

北陸本線の下り電車の田村方先頭車から眺めた現・長浜駅の南側。プラットホームの上に駅本屋が線路と直角に配置されているのが解ろう。目前の踏切は「北船踏切」で、その左先の建物は旧長浜駅舎。
この駅舎は初代の旧長浜駅舎をモチーフにしたデザインで、駅本屋としての向き的には線路と直角に配置されているので、ある意味では頭端駅の駅舎をイメージしている(個人の感想です)。

長浜駅南東側に建つフレンドマート長浜駅前店の2階ベランダから眺めた長浜駅舎。
訪れてみて、この駅舎の造りは、コンセプトは異なるが2019年5月25日アップ「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(9)埼玉県・深谷駅」の通じるモノがありそう…と、個人的な感想は持った。
同駅舎が建つ東西連絡通路から南向きには北陸本線の線路を眺めることが出きる。

長浜駅舎前の東西連絡通路から南向きに眺めた光景。電車は681系上り「特急しらさぎ」。個人の感想になるが、北陸新幹線が米原ルートにならないなら「特急しらさぎ」は、金沢駅までorせめて福井駅までは直行で走らせて欲しいと思っているが…。200m先に建つ2棟の建物は、左が「北陸線電化記念館」で、右が「長浜鉄道文化館」。
ちなみに、長浜駅の西200mほどの場所に長浜城跡があるのだが、この度は鉄道系展示品がテーマの長浜訪門のため、紹介していない点はご理解いただきたい。
まぁ、ことしのNHK大河ドラマの関係で、長浜城趾が秀吉公ゆかりの地として話題になるかも知れないので、長浜城歴史博物館のURLは載せておく。
https://nagahama-rekihaku.jp

長浜鉄道スクエア周辺&屋外展示

長浜駅の南約200mの場所に長浜鉄道スクエアがある。

長浜鉄道スクエア内にある「保存された旧長浜駅舎」の説明板。
長浜鉄道スクエアは「旧長浜駅舎」「長浜鉄道文化館」「北陸線電化記念館」の3館で構成されている。

■長浜鉄道スクエア周辺
長浜駅から長浜鉄道スクエアへのルートは、東口からでも西口からでもそれほど距離に違いはないが、筆者は西口からの道筋を選んでみた。

長浜駅西口から南へ長浜鉄道スクエアへ向かう道すがら見える、左が「北陸線電化記念館」で、右が「長浜鉄道文化館」。
上写真の地点からさらに道を南向きに進むと程なく、左側に腕木信号機が出迎えてくれる。ココが長浜鉄道スクエアの南西の角になる。

上の地点から南へ約100mほどのトコロに腕木信号機が立っている。
この腕木信号機の位置の道の対面に「旧長浜港」の碑が立っている。しかしナゼか写真はない(謝)。
いまとなっては湖畔から直近でも300mはあるこの地点まで鉄道連絡船が来ていたのかと思うと、驚きを禁じ得ない。
上写真の腕木信号の位置から東を向くと、10m程先の右(南)側に「慶雲館」なる国指定・名勝庭園の入口が見える。

慶雲館の門。この右(西)スグのトコロに「旧長浜港」の碑が立っている。
コチラも中には入っていないが、ナゼか門の写真は撮っている。せっかくなのでURLを載せておこう。
慶雲館
https://kitabiwako.jp/keiunkan/

■長浜鉄道スクエア屋外展示
上写真の慶雲館の入口の道を挟んだ対面に「長浜鉄道スクエア」の入口があって、入ってスグに旧長浜駅舎が建っている。

長浜鉄道スクエアを南側から北向きに眺めたトコロ。右(東側)の踏切は「北船踏切」。
旧長浜駅の駅舎の説明板。
旧長浜駅舎は「旧・長浜駅舎鉄道資料館」でもあって、建物内への入館には入場料が掛かるので、そちらの有料スペースの紹介は後篇に廻し、この前篇にては屋外スペースの展示品を、まずは紹介していこう。
トップの登場は門の左スグに展示の「輪軸」。

長浜鉄道スクエアの門の左(西側)に展示されている輪軸。
この輪軸には解説が付いていなかったのだが「まぁ車輪の刻印を撮っておいて、後日に解読すればイイかぁ…」と思っていたのだけれども、その写真から刻印の解読は不可能であった。でも折角なので、その刻印の写真を載せておく。

上写真の輪軸の左の車輪の刻印。
上々写真の輪軸の右の車輪の刻印。
次は、玄関前右(東側)に展示の「旧長浜駅29号分岐器ポイント部」。

玄関前右に展示されている「旧長浜駅29号分岐器ポイント部」。背後の扁額は「見て字の如し」にてお願いいたします(謝)。
「旧長浜駅29号分岐器ポイント部」の説明板。
いわゆる分岐器のトングレール部分になる。
そしてこの分岐器展示の背後の扁額も注目点なのだが、アップを撮っていない(汗)。
ちなみにコチラ面の扁額は5点あり、見えていない一番右は「貞享大」、その左(左から4番め)は「裔後垂徳」、さらに「時」の字だけ見えている扁額(左から3番め)は「時干和功」。左2点は写真のキャプションで「見て字の如しにてお願いいたします(謝)。」と書いたが、やはりコチラで記しておく。右から「休咸國輿」、「窮無世永」になる。
※上記の扁額の文字列は右横書きになっています。

分岐器の対面(西側)には展示されている柳ヶ瀬隧道の扁額と「柳瀬洞道(トンネル)の碑」が展示してある。

「頼永世萬」(右横書き)の扁額。「旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル」とは、木ノ本駅-敦賀駅を結んだ旧線にあった隧道で、いまの深坂トンネルを経由する北陸本線の新線が開通した後もローカル列車を運行する路線として残っていたが、1964年5月11日に鉄道トンネルとしては供用廃止された。現在は福井県道・滋賀県道140号線のトンネルとして使用されている。
「柳瀬洞道(トンネル)の碑」。
「柳瀬洞道(トンネル)の碑」の説明板。
コチラは説明板がハッキリ写っていて助かった(汗)。

前篇の〆は北陸線電化記念館を北側から眺めたトコロ。

長浜鉄道スクエア「北陸線電化記念館」を北側の駐車場から眺めたトコロ。晴れた日には写真のように扉が開いているコトもあり、展示車輌が遠望できる場合がある。
天気が良い日には、虫干のためか扉が開いていることもあるので、運が良ければ外の駐車場よりD51 793号とED70 1号の前面をタダで見られるコトもある。
なお、筆者はこの写真を撮る前に長浜鉄道スクエアに入場料を払って入館しているので、タダ乗りではないことを申し添えておく(笑)。
館内紹介は、次回へと続く後篇にて…。

長浜鉄道スクエアURL。
https://kitabiwako.jp/tetsudou/

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。