日本の鉄道開業150年に寄せて旧・横浜駅を訪ねてみた…屋外篇

ある意味、駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる…番外篇

鉄道開業の話題は新橋だけじゃない、旧・横浜(桜木町)駅にも注目してほしい

[場所]JR根岸線 桜木町駅

昨年2022年10月14日に日本の鉄道は開業150年を迎えた。当サイトでも、そのまつり(笑)に便乗して2022年10月11日アップ「日本の鉄道開業150年に寄せて旧・横浜駅を訪ねてみた」で神奈川県のJR根岸線桜木町と周辺にある鉄道系展示品を記事にした。だが、実のトコロこの1回にて屋内展示と屋外施設を網羅できると思っていたのだが、結果的にCIAL桜木町ANNEXの屋内展示の一部のみの紹介になってしまった。
そのようなわけで、その記事内にて「続篇」を予告したが、桜木町駅周辺を改めて訪ねてみると、コレがまた掲載したいモノが多く、この続篇をも数回に分ける状況になってしまった。今回はその1番目「屋外篇」になる。

いの一番に向かったのは…

前回に巻末にてホボ写真のみの紹介になってしまった、桜木町駅新南口(市役所口)駅前広場に建立されている「鉄道創業の地 記念碑」から眺めていこう。

■鉄道創業の地 記念碑
鉄道創業の地 記念碑が立っているのは桜木町駅新南口(市役所口)南約30mの場所になる。

桜木町駅新南口ラッチ側から鉄道創業の地 記念碑を眺めたトコロ。左の鉄橋が根岸線。
鉄道創業の地 記念碑の説明板。
建立されたのが1962年と、鉄道100年とは少しズレるが、この年の100年前は明治元年(1872年)なので「明治百年」記念の一つなのかなと想像できる。

鉄道創業の地 記念碑の東面。
東面のアップ。
土台はSL動輪をアレンジしたデザインになっている。
鉄道創業の地 記念碑の西面。
西面のアップ。
 実は、鉄道創業の地 記念碑は以前には西へ約15m程の地点に立っていたが、1988年にこの場所へと移設されている。このことは後述しているので、そちらを参照していただきたい。

■モレルの桜
そして、この碑の南スグに「モレルの桜」が植えられている。

モレルの桜が植えられているのは鉄道創業の地 記念碑のスグ南。
モレルの桜の説明板。
この桜木はエドモンド・モレル生誕170年の記念として2011年に植樹された樹木なので、コレが「桜木町」の名の由来ではないことを、あえてココに申し添えておく。

■開業当時の横浜駅長室跡
碑の北北西20mほどのトコロにある地下鉄連絡口の建屋の外壁に「開業当時の横浜駅長室跡」という石プレートが埋め込まれている。

奥が新南口改札。左が地下鉄連絡口で、その引込分電盤の下の白い四角が開業当時の横浜駅長室跡のプレート。
横浜駅長室跡のプレートのアップ。素材は「敷石再生板」か!?
筆者に発見能力がないのかも知れないが、「開業当時の横浜駅長室跡」と呼ばれている場所には、この石プレート以外、説明板のようなモノはない。

■鉄道発祥の地 記念碑 原標点
碑の西15mほどの場所に「鉄道発祥の地 記念碑 原標点」なる点鋲が地面(とはいってもコンクリート)に打ち込まれている。

左が北。
右が北。
鉄道発祥の地 記念碑の説明文の中に「その後、昭和63年(1988年)12月に現在の位置に移設され…」と記されているが、その碑が、まさにこの位置に立っていたことを知らせている。

■桜木町駅新南口(市役所口)駅前広場のタイルにSLの絵
新南口(市役所口)の駅前広場は歩行者と自転車しか入れないスペースのためか路面がタイル貼りになっている。
ココまでは世間によくある駅前広場の風景だと思う。ところで、新南口のタイルには所々に装飾タイルが貼られているのだが、この中にSLの絵が描かれているタイルも散見される。

新南口改札から出てスグのトコロにある装飾タイル。左中段にSLの絵のタイルが入っている。
SLの絵のタイルはバラでも各所に散見できる。
SLの絵のタイルはバラでも各所に散見できる。

桜木町駅西側の国道16号沿いを時計回りに移動

桜木町駅新南口から北改札口へは桜木町駅と駅ビルCIAL桜木町ANNEXの間の通路を抜けても行けるけれども、この度はさらに西側に通っている国道16号の歩道を利用し、いわゆる時計回りに移動してみた。

■CIAL桜木町ANNEXの西壁面
見出しではANNEXの「壁面」と記したが、実際にはガラス壁なのでガラス越しの内側が正解になる。
ココには旧横ギャラリーの展示の説明板が外向きに、北寄りから「鉄道創業時に使用された機関車」「英国から輸入された最初の客車」「この地に存在した日本初の鉄道駅 横濱停車場」の順に並んでいる。
前者2つは説明的に前回とダブるので、「この地に存在した日本初の鉄道駅 横濱停車場」のみを紹介しておく。

昔の桜木町駅の構内がどれほど広かったのかが伝わってくる。

■KITEKIの店頭
上地点から北へ20mほどの場所にダイニングレストランKITEKIがある。この店頭の壁が行灯になっており、そこにアメリカ形SLのイラストがあしらわれているので、その写真も載せておく。

一見すると出入口のようにも見えるが、取手などがない?

■温故知新のみち
上地点から大通りを渡るとCIALの本館(?)がある。この建物の先(南側から見て)に「温故知新のみち」なる看板が立っている。
他の桜木町界隈の鉄道系展示品を眺めてしまうと、ナゼここに? という感想になるが、まぁせっかく訪ねたのなら見ておくべきかなとは思う。
温故知新のみちの地図はナゼか北が下を向いている。

北改札口のラッチ外の東西連絡通路の柱に展示多数

南改札口のコンコース、いわゆるラッチ外の東西連絡通路の柱に、桜木町駅にまつわる歴史などを綴った展示がなされている。

南改札ラッチ外の東西連絡コンコースの各柱にも展示品多数。コチラはいずれ記事にする予定。写真では左が根岸駅(南)方、右が横浜駅方。
ココの展示品の数々はバラエティに富み、コレだけで一つの紹介記事として成り立ってしまう多さなので、さらなる続篇にて紹介する予定なので、ここではスルーさせていただく(汗)。

東急東横線の廃線跡も眺めてきた

当サイトの読者ならご存知と思うが、2004年1月30日まで東急東横線は 横浜-桜木町 間をJR根岸線と並行に高架線で走っていたことを知っていることと思う。
その廃線跡の高架線の一部が残っていて「東横線跡地遊歩道」として利用されているので「鉄道開業150年」とは関係ないが、訪ねてきた。

東横線跡地遊歩道の北端。ココから先は階段で下りて国道16号の歩道へ出られる。電車は横浜線カラーの233系。
みなとみらい4号線架道橋の路面はフラット。奥が南。電車は横浜線カラーの233系。
東横線跡地遊歩道の昇り口を上から南向きに桜木町駅方向を眺めたトコロ。左が根岸線の線路。
高架線跡を解体せずに、未来への遺産として残しているのは、たいへん喜ばしいことだと思う。


さて、巻頭で続篇がもぉ数回あることを示唆したが、それは「南改札コンコース篇」or「模型篇」になるハズだ。
もぉ皆さん、どちらも出てくる物件の予想がだいたい付いていると思うが、どんな内容になるのか、乞ご期待ということにしておこう(笑)。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。