天井川の掘削トンネル探訪(3) JR学研都市線・天神川隧道

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[場所]JR片町線 大住-京田辺

天井川の鉄道隧道の中でも掘削トンネルを
特に限定で訪ねる不定期シリーズです

本記事で取り上げる路線の正式名は片町線だが、愛称に学研都市線が設定されているので、表題回りの[場所]は正式名を使用したが、メインタイトルにはせっかくなので愛称を記してみた。なお文中では片町線を使用していく。記事の統一性がないが、賢明な読者の方なら同じ路線を指していることを理解していただけると思う。
さて、そんな片町線の 大住-京田辺 間には天井川が流れており、これを線路は掘削隧道によって通り抜けている。
この隧道は「天神川トンネル」という名称で、線路周辺は平地が広がり、その中を河川だけが高い堤防により直線で流れるという、まさに天井川のイメージ通りの風景が展開している。

天神川トンネルから西(大住)方約350m程の場所にある八幡踏切から東向きに眺めた天井川掘削隧道の坑門。かなりの遠望なので認識しずらいかもしれないが…トンネルが短く、上の丘が低いのが天井川隧道の特徴…と前回前々回などに記したのと同じ要素を、この天神川トンネルも持っている。電車は321系使用の上り列車。
天井川については、以前の2016年1月6日アップ「日本で最初に作られた鉄道トンネル石屋川隧道を訪ねてみた」の記事中でも説明しているので詳細はそちらに譲るが、まぁ、地平レベルより川底が高い河川と言えば理解していただけるだろう。
では、天井川掘削隧道の「天神川トンネル」を西(大住)側からまず眺めていこう。

タイトルとの連続写真。天神川トンネルの短さが解っていただけるだろうか。
天神川トンネルから西(大住)方約80m程の場所にある薪踏切から東向きに眺めた天井川掘削隧道の坑門。いわゆる上写真と同じ側。ポータルはレンガ造りで、トンネル断面は馬蹄形なのが見てとれる。電車は207系の下り列車で、その後追い写真。
天神川トンネルは片町線京田辺駅の北西約500mほどの場所にある。トンネル坑門東(京田辺)側へ行くのにはもちろん京田辺駅からが近いが、西(大住)側へ行くのにも京田辺駅からが便利で県道旧22号八幡木津線を経由するのが行きやすい。
次は堤防に登って、川筋と、上からの景色がどんな風なのかを眺めてみよう。

天神川トンネルより下流(北)側約400m程の地点からの南西向きの眺めで、207系電車が走っている線路を左へ延長した先、奥の竹やぶの下を天神川トンネルが通っている。
なお、天井川の堤防は川筋の東西にあるが、行き(上がり)やすさの観点から東(京田辺方)側の右岸のみにさせていただいている点をお許し願いたい。
ところで、上写真を見ていただくと解ると思うが、西側(対岸・大住方)左岸堤防はナゼか片町線が貫通している天神川トンネル上の堤内地(居住地)側法面だけに竹林が茂っていて、線路真上から足下を通る電車を眺められる場所はない。また訪れた時期が夏だったという関係もあるだろうが、東側堤防のトンネル上の堤内地側法面には雑草が生い茂っていたため、筆者が訪れた時には京田辺方も線路真上から足下を通る電車を眺められる場所はなかった。

上写真と同地点での西向きの眺め。鉄道は写っていないが、本心はこの道路を線路に置き換えたような写真を撮りたかったという例で載せてみた。
そんなわけで、上にある川の流路を入れて、その下を直角にくぐる鉄道線路を正面から撮れる場所は現時点ではない。
ということで、京田辺方の鉄道線路と川の流路をともに入れた写真は土手上の上流(南)50mくらいの場所から撮ってみた。

天神川トンネルより上流(南)側約50m程の地点からの北向きの眺めで、右下の321系が左の川の下をくぐってゆく。
それでは京田辺方の堤防下の堤内地へ降りてみよう。
なお、堤防下へは上写真の場所からさらに上流150mくらいの地点に鎮座するお社脇に細い階段があるので、そこから堤防を上り下りできる。

上写真地点と線路からおおよそ等距離の土手右下よりの下流(北)方の眺め。このアングルでは解りづらいが、住宅街は平地で、その中にこの高さの堤防がほぼ直線で築かれている。電車は321系。
上写真は、上々写真の鉄道線路から上流(南)へちょうど同じくらいの距離にあたる堤防下からの下流(北)側の眺めで、左が天井川の堤防だが、住宅街に隣接して巨大構造物が聳えているのが解る。
では、先に見える踏切までいってみよう。

天神川トンネル東(京田辺)側の坑門は第四田辺踏切の間近にある。電車は207系使用の下り列車。
第四田辺踏切から西(大住)向きに眺めた京田辺(東)側の天井川掘削隧道の坑門。壁面はレンガ積みだが、坑門部はコンクリート加工されている。
この踏切は「第四田辺踏切」と呼び、天神川トンネルの京田辺(東)側坑門の目の前で線路を渡っている。それがあまりにもトンネル坑門に近いため列車を配した写真では天井川の掘削隧道っぽくないが、列車が行った後に踏切から坑門を眺めてみると、掘削断面と反対側の景色が見える程の長さから、天神川トンネルが天井川の掘削隧道なことが、こちら側だとよく解る。
せっかくなので、第四田辺踏切と第三田辺踏切(京田辺寄り・東側)のちょうど中間辺りから撮った、天井川の上までが入った天神川トンネルの写真をお見せして天井川掘削隧道の記事を締めくくることにしよう。

第三田辺踏切から北西(大住)方40m程の地点より眺めた天神川トンネル京田辺側坑門。電車は207系使用の下り列車。

下流600m程に架かる橋のプレートは「天津神川」になっている

鉄道ネタとは少しはなれるが、JR片町線天神川トンネルがある天井川は、このトンネルから下流(北)約600m程の地点に架かる田辺橋(たなべはし)のプレートでは「天津神川」の名称になっている。

天神川トンネルから下流(北)側約600m程の地点に架かる遊歩道の橋に取り付けられたプレートは「天津神川」となっている。実はコレがあって、文中では河川名を「天井川」と記していた。
記事を書いていて「天神川」か「天津神川」か、どちらが正式名なのか解らなくなってしまったので、記事中ではこの河川名に「天井川」とボカシた呼び名を使用していたのはそのためで、疑問が残るトコロではあるが、まぁ歴史モノのサイトではないので、答えは出さないでおこう(汗)。
ちなみに、天神川トンネルより上流(南)300m程の場所で天井川をくぐっている府道22号八幡木津線との交差部分は隧道ではなく、コンクリート製の水路橋になっている点を申し添えておく。

府道22号八幡木津線は天神川トンネルから上流(南)側約300m程の場所にて水路橋下を抜けるスタイルで交差。
天井川をくぐる掘削隧道は、ココを除いて国内に前回2本と、現役ではあと4本を確認している。その「あと4本」(流路変更後の遺構を含めればまだ増える)がドコなのか? 折りを見てぼちぼち記事にしていくので、楽しみにしてていただけたら幸いだ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。