不定期連載 終着駅と界隈探訪…青森県青森駅

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青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」最寄り駅

[場所]JR奥羽本線など 青森駅

終着駅の駅ナカや駅近を訪ねる不定期シリーズです

青い森鉄道・JR奥羽本線の終着駅で、JR津軽線(津軽海峡線)の起点駅である青森駅の東口から北北東500mほどの所にある元・青森第2岸壁に、かつて青函連絡船で活躍した八甲田丸が終航後、繋留した状態で博物館船「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」となり保存されている。現在この船内は「青森市港湾文化交流施設」となっていて、内部も一般公開(有料)している。
そして、かつて鉄道連絡船として貨車を格納していた車両甲板には、いまは鉄道車輛が展示され見学できるので、鉄道好きにとっても見所といえるだろう。

八甲田丸前広場の岸壁北側から南向きに見たメモリアルシップ八甲田丸の左舷。上のタイトルは対岸の ねぶたラッセランド の前あたりの護岸から眺めたメモリアルシップ八甲田丸の右舷。
八甲田丸が繋留されている桟橋は本物の第2岸壁で、かつての貨客併用岸壁の、駅から見て遠い(北)方の貨客併用岸壁になる。なお、手前(南)側にあった第1岸壁とこの第2岸壁は貨客併用だったが、奥(北)にあった第3岸壁は貨物専用だった。
第2岸壁は線路と船をつないだ可動橋が保存されているため、まずはそこを眺めてみよう。

南南西の船尾側にある第2岸壁の可動橋を青森駅(南南西)側から北北東向きに眺めたトコロ。左右のスペースの関係で線路間が狭まっている様子が解る。
可動橋の北側からの眺め。かつて可動橋部分はレール頭部レベルで板orスチールメッシュが敷かれていた。また現役時代には線路端の鉄板は無く、この位置にハネ上げレールが付いていた。
上写真同位置から左を向いて船尾を眺めたトコロ。当然ながら船尾扉はしまっている。
この第2岸壁は、第1岸壁より後日に造られたモノだ。まぁ名称の雰囲気で誰でも解ると思う。
青森駅には当時、上記の第1岸壁・第2岸壁と、もぅひとつ第3岸壁があった。
第1岸壁は1924年(大正13年)11月18日竣工使用開始。ここで紹介している第2岸は1928年(昭和3年)9月20日可動橋が竣工して、同年10月から使用開始。ちなみに、もう一つ第3岸壁は1944年(昭和19年)3月に完成している。
それでは船内に入って、チケットカウンターがある2階の乗船口より上の階から回っていこう。

2階の乗船口を入ると青函連絡船のマスコット「イルカ」がお出迎え。
乗船口チケットカウンター近くには現役時代の客室案内図も掲げられている。
3階グリーン船室に展示されている乗船椅子。
3階の展示「東北本線の機関車」。
こちらは同じ3階の展示「青森を通った列車たち」。
4階のブリッヂも開放している。ちなみに中央の人物はマネキン人形(笑)。
八甲田丸は国鉄青函連絡船の津軽丸型第2船として1964年(昭和39年)7月31日に竣工した。1987年4月1日の国鉄分割民営化後にはJR北海道が継承して船籍港が東京港から函館港になっている。
JR青函連絡船廃止の日の1988年3月13日の下り 青森→函館 最終となった7便を担当して終航した。
全長:132.0m、全幅:7.9m、総トン数5,382.65トン、旅客定員:1,286名、積載車両48両、速力:18.2kt(ノット)
2009年に近代化産業遺産に認定。2011年機械遺産に認定(可動橋も含む)された。

■階下の車両甲板には鉄道車輛を保存展示
順路は4階のブリッヂから、一気に1階の車両甲板へ行くコースになっている。
ということで、次はその車両甲板を眺めてみよう。

車掌車 ヨ6000形ヨ6798。後ろは控車 ヒ600形 ヒ844。
50系客車 スユニ50 509 郵便荷物車。
50系客車 スユニ50 510 郵便荷物車。
キハ82系気動車 キハ82 101。
左・DD16形DL DD16 31、右・キハ82 101 の貫通路側(両側とも貫通だが)妻面。
船尾扉を船内側から眺めたトコロ。真ん中の線路には分岐器が設けられ、車両甲板内は4線になっているのが解る。それと、第2岸壁の項の船尾の写真で、扉部分のレールがつながっていないのを不思議と考えた方がいるのではないだろうか? 車両甲板を荒波から護るため密閉する目的で扉部分のレールが切り欠きされていて、扉を開けた後に写真中央のIvI型の装備を倒して内外レール同士を一体化する。
控車 ヒ600形 ヒ834。後ろは DD16 31。
手前 ヒ600形 ヒ833、奥 ヒ600形 ヒ835。そのさらに奥は既紹介の ヒ844 と ヨ6798。
いまとなっては貴重な車輛もいて、鉄道好きにもお勧めの場所ではないかと思う。

青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」
開館時間:夏季 9時~19時・冬季 9時~17時
開館日:夏季 4月1日~10月31日(休館日なし)
     冬季11月1日~ 3月31日(休館日:月曜日
     12月31日~1月1日、3月第2週の月~金曜日)
入館料:一般/510円、中学高校生/310円、小学生/110円
     他に団体料金や2・3館共通券などもある。
https://aomori-hakkoudamaru.com/index.html

ヒ600形控車は連絡船の車両甲板へ航送車両を送りこみor引き出しする際に、可動橋などにかかる重量を少なくするため、機関車と出し入れする車輛の間に連結された貨車…、との説明が広く知れ渡っている。これにプラスして、筆者個人のイメージになるが、船⇔可動橋間に装備されたハネ上げレールなどに動輪・動軸を通さないようにするためのシステムでもあるのではないかと思っている。

青森駅新駅舎2021年3月27日供用開始!!

先述のメモリアルシップ「八甲田丸」の紹介は、実は昨年中に掲載しようと写真を撮ってあったのだが、タイミングを逸してしまった感があった矢先に、青森駅東西自由通路と青森駅新駅舎2021年3月27日供用開始のニュースを入手したので、これは頃合いとみて、この機会に記事にさせていただいた。

手前が青森駅4代目駅舎で、新駅舎供用開始以後に解体される運命にある。奥のビルディングはラビナで、こちらはそのまま。このラビナと4代目駅舎の間に新駅舎への東口が設けられる。
新駅舎の話しはJR東日本 盛岡支社から2021年2月15日にニュースリリースが発表されているので、そのURLを下記に記しておこう。詳細を知りたい方はこちらを参照していただけたらとお願いしたい。
https://www.jreast.co.jp/press/2020/morioka/20210215_mr11.pdf
このニュースリリースによると、何やら2021年3月27日(土)10時~15時(予定)に「青森駅新駅舎開業記念イベント」があるらしい。
なお、新駅舎に切り替わったことにより、本屋(東)口に建つ1959年12月25日竣工の4代目駅舎は取り壊され、その跡地には10階建ての駅ビルを建設する。この着工は2021年度末を予定し、完成は2024年度を目指している。

青森駅跨線橋からの北東向きの眺め。斜張橋は「青森ベイブリッジ」で、右の建物の先に「メモリアルシップ八甲田丸」が繋留されている。写真は一昨年の撮影だが、右の工事現場はかつての駐車場で、すでに機材置き場になっていた。

車止めの方も眺めてみよう

タイトルが前々回などから始まった「終着駅と界隈探訪」と同じ不定期シリーズになっているが、なんとコレはこの記事を書いている途中で青森駅が終着駅(東北線系統の貨物列車はスルー)であることに気づいたからで(笑)、筋としてはタイトルに「八甲田丸…」の文字を入れるべきなのだろうけど、急遽「終着駅…」へ変更させていただいた。
そんなわけで、車止めの方を望んだ景色にて記事を締めよう。

青森ベイブリッジの先で線路に架かる「青い海公園連絡橋」の上から車止め(北東)方を眺めたトコロ。左の線路の見えている場所から100mほど先に車止めがある。
メモリアルシップ八甲田丸のブリッヂから北東向きに眺めた車止めの方。左奥から延びる護岸と堤防の境目あたりに立つ電柱の左50mくらいの位置に車止めがある。
上記で「車止めの方…」としたのは、撮影時にはまさかタイトルに「終着駅」の字が入るとは…ということを想定していなかった、この理由により厳密な車止めの写真を撮っていないからに他ならない。申し訳ない。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。