この車止めがある駅はドコ!?

鉄道が主役の旅スタイルを応援する見どころ案内
[場所]本文中に記載
線路の先には崖っ淵の車止めがあり、傍らには0キロポスト、そしてこれをプラットホームから眺められる場所。この写真だけで判る人がいたら、それは相当なケーブルカー・マニアだろう。
タイトルの写真を見ていて、 当サイトひさびさのクイズ形式の出だしにしたくなったので、この点をご理解いただけたら幸いだ。

軌間は1,435mmゲージで敷設されている。これは「のせでんアートライン妙見の森 2013」で展示された作品で、作者名は 鈴木貴博 氏。能勢電鉄との共同制作とのことで、レールが見事に敷設されている。

上の写真を見てしまうと「なんだオブジェか。」との言葉が聞かれそうだが、この制作に能勢電鉄も関っているということで、ここで紹介する運びとなった。
物件名は「北極星入口駅」と名付けられている。
場所は、妙見の森ケーブルの山上駅東方200mの地点に広がる「ふれあい広場」の一角にある。この位置を説明するには、まず 妙見の森ケーブル から紹介しなければなるまい。

妙見の森ケーブルの起点 黒川駅。写真中央の山の上に「妙見の森ふれあい広場」の台地が広がっている。そしてこの一角ある小山に 北極星駅入口 が展示されている。

妙見の森ケーブル は起点の 黒川駅 と終点の 山上駅 を結ぶ線路長666m、高低差223mのつるべ式の鋼索鉄道で、軌間が1,435mmゲージなのが特長になっている。
その起点の黒川駅の位置は能勢電鉄 妙見口駅から北北西に約1.3kmほどの場所になる。
というわけで、「北極星入口駅」を鉄道で訪れるためには、上記の妙見口駅からのルートをまず辿り、山上駅からさらに「いろはの坂道」を200mほど登った所に「ふれあい広場」が広がっている。
では、「北極星入口駅」を眺めていこう。

タイトル写真は南南西へ向いた側の線路の写真で、こちらは真北へ向かう線路の写真。妙見信仰が崇める北極星へ続く線路とのことだが、先端にはナゼか第3種車止めが設置されていて、これでは天空へ向けて発車できないのでは?との疑問が残る。まあプロの敷設だからこその「やっちゃった感」なのだろうと思うと、感慨もひとしお。
北極星駅入口 の駅舎。駅名板まで立てられている。
北極星駅入口 の全景。当然だが所属車輛はない。
駅舎の裏側の眺め。ちなみに写真左の勾配標によると、勾配の傾斜は150‰らしい。
駅舎南南西側に立てられた説明板。「北極星ゆき切符」が販売されていることを伝えている。

「ふれあい広場」には鉄道好きなら見ておきたいアトラクションがもう一つある。それは「シグナス森林鉄道」という名のミニ鉄道で、一周約340mの規模がある。
ただし運行は「平日は運転を休止」しているので、乗車はもちろん、車輛を眺めるだけでも休日に訪ねなければならない。

シグナス森林鉄道の車輛は平日にはカバーが掛けられていて、眺めることはできない。
せっかくなので、どんな車輛なのかを案内板でお見せしておこう。なお主要諸元中の「軌間15インチ」は381mmゲージになる。
訪問当日は運行していなかったが、森林の中へ延びる線路は未舗装路側軌道風で、魅力的な風景を創出している。

この他のアトラクションとしては「妙見の森リフト」がある。索道をも乗り潰しを実践されている方なら乗らなくてはならない、もしくは乗っているであろう。なお、このリフトは兵庫県川西市にあるが、頂上にある目的地の 能勢妙見山開運殿 などのお堂は主に大阪府豊能郡能勢町に立地している。ちなみに 妙見の森ケーブル は兵庫県川西市にあるが、能勢電鉄妙見口駅は大阪府豊能郡豊能町に所在しているので、この辺の府県境はチョットややこしい。
妙見の森ケーブル の話しに戻るが、山上駅の待合室内には車輛と巻上機をつなぐ「ワイヤーロープ」のカットが展示されている。説明板も添えられているので、時間に余裕があるなら、ぜひ見学しておきたい。

山上駅の待合室に展示されているケーブルカー用「ワイヤーロープ」。右にあるパンフレットの裏面はケーブルカーの「しくみ」が説明されているので、訪れたらぜひゲットしたい。
こちらも山上駅の待合室に掲示されている解説板で、上写真の ワイヤーロープ の上に展示されている「妙見鋼索鉄道の社章」の説明が記されている。

なお、妙見の森ケーブル は「鉄道事業法」による鋼索鉄道ではあるが、冬期の間は年始と2月11日と3月第一日曜(2018年の例)を除いて運休しているので、出掛ける時には注意が必要だ。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。