「鉄道旅行」カテゴリーアーカイブ

スタンプ物語29・神田駅

スタンプの神田明神は

神田でなく御茶ノ水が最寄

山手線各駅停車の「スタンプ物語」もついに最後の神田駅となり、無事に一周して戻ってきました。
神田ということで毎年5月15日近くの土曜に行われる神田明神の神田祭の御輿が描かれていますが、神田明神の最寄は当駅ではなく中央線の御茶ノ水駅で、ホームにもその旨が表記されています。
神田祭は日本三大祭りのひとつに数えられ、山車が将軍上覧のために江戸城中に入ったといいますが、路面電車の開通で山車の運行に支障をきたすようになり、さらに関東大震災で山車の大半が焼失したため、現在は御輿に替わっています。大祭は隔年で行われますが、艶麗で古風な行列の神幸祭、御輿宮入、太鼓フェスティバルなどが目白押しです。

神田明神は天平2年(730)に創建。承平5年(935)に反乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社近くに葬られ、延慶2年(1309)に当社の相殿神とされました。江戸築城に際して現在地に遷座してからは江戸総鎮守として尊崇されています。
境内には昭和50年(1975)に建立された随神門(写真左)や、昭和9年(1934)竣功の御神殿(写真右)のほか、多くの末社や銭形平次の碑などもあります。

しかし、神田であれば東側に北辰一刀流の千葉周作の道場・玄武館跡(写真左)や吉田松陰が刑場の露と消えた伝馬町の牢屋敷跡・刑場跡(写真右)などの史跡があるのですが、駅名にこだわるあまり御茶ノ水駅最寄の神田明神をスタンプに描いたのは明らかにミスキャストといえるでしょう。
次回からは中央線に入ります。次の停車駅はその神田明神の最寄となる御茶ノ水駅です。


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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。
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スタンプ物語28・秋葉原駅

大変貌を遂げた電気街

現在の秋葉神社は上野へ

スタンプは「万世橋とITの街」。平成17年(2005)のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に伴い駅自体も大変貌を遂げました。駅周辺には電気街が広がり、パソコン部品などがヨドバシカメラなどもよりも安く買えるのが魅力です。また、メイド喫茶やいわゆるアキバ系アイドルなどでも賑わっています。その万世橋は電気街の南端にありますが、前身は延宝4年(1676)に架けられた筋違橋ですが、現在より150m上流にありました。明治5年(1872)に筋違見附が取り壊され、翌年にはその石材を利用して跡地にアーチ二連の石橋が架けられ、当時の東京府知事・大久保一翁によって萬世橋と命名されました。当時の読みは「よろずよ」でしたが、次第に「まんせい」の音読みのほうが定着したようです。明治36年(1903)には元万世橋と改称されますが、同39年(1906)に撤去されています。現在地に始めて架橋されたのは明治17年(1884)で、上流の昌平橋が流出したため、代表として架けられたものです。昌平橋が復旧すると新万世橋と改称され、明治36年(1903)に鉄橋に改架されて万世橋と改められます。現在のアーチ橋は関東大震災を経て昭和5年(1930)に架橋されたものです。

そして万世橋といえばご存知の通り、長い間親しまれてきた交通博物館があり、スタンプの印影も最初はこちらが紹介されていました。左の旧スタンプ(現在はなし)は未押だったため、スタンプ台からその画像を起こしました。ご了承ください。
秋葉原の交通博物館は昭和11年(1936)4月25日に万世橋駅跡を利用して開館。その後、70年にわたってたくさんのレイルファンが訪れました。鉄道だけでなく交通全般の展示物があるのが魅力でしたが、老朽化とバリアフリー対策などもあって平成18年(2006)5月14日をもって惜しまれつつ閉館となりました。翌年10月14日には埼玉県さいたま市に後継の鉄道博物館が開館しています。

交通博物館の建物も平成21年(2009)から解体工事が始まり、跡地(写真左)にはJR東日本が主体となって地上20階、地下2階の「神田万世橋ビル(仮称)」を建築中。2012年12月上旬に完成予定となっています。
前置きが長くなりましたが、この秋葉原、明治2年(1869)暮れに、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に神社を勧請。江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時に緩衝地となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来しています。その後、明治21年(1888)に日本鉄道延長に伴い、台東区松が谷3-10-7に移転し、秋葉神社(写真右)となりました。そのため現在の秋葉神社は上野駅が最寄です。
駅名は正式には「あきはばら」なのですが、神社は「あきば」、さらに下町訛りや略称なども「あきば」と呼ばれることから、現在でも「あきばはら」と混同している人が多いようです。
次回の停車駅はいよいよ山手線の最終・神田駅です。


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スタンプ物語27・御徒町駅

春の訪れを告げる梅まつり

アメ横で魚介・乾物の買い物も

スタンプの「湯島天神」は御徒町北口から西へ徒歩8分のところにあります。ご存知学問の神様である菅原道真公をまつる天満宮で、受験シーズンには神頼みの受験生で賑わいます。創建は雄略天皇2年(458年)と古く、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社でしたが、正平10年(1355)に菅原道真を勧請して合祀。徳川家康が江戸に入ってからは徳川家の崇敬も受けました。現在の社殿は老朽化に伴い、平成7年(1995)に再建されたばかりです。以前の社殿は明治18年(1885)改築のものだったのですが、撮りそびれました。なお、平成12年(2000)には湯島神社から湯島天満宮に改称しています。

湯島天満宮は梅の名所としても知られ、毎年2月上旬~3月上旬は梅まつりが行われます。野点や白梅太鼓、期間限定の記念品販売ほか、宝物殿が特別割引で拝観できるなどの催しがあります。
御徒町の地名は江戸期に江戸城や将軍を警護する下級武士、つまり騎乗が許可されない御徒(徒士)が多く住んでいたことに由来しています。昭和39年(1964)の地名改称で消滅しましたが、駅名などに残されています。また、御徒町といえばJR御徒町からJR上野駅に向かう山手線線路の西側にあるアメヤ横丁(通称:アメ横)が有名で、400mに400軒の店舗が並び食品や衣類、雑貨、宝飾品などが業種ごとにまとまっています。とくに年末の正月用生鮮食品の買出しは風物詩といえるほどの賑わいをみせます。
次回の停車駅は秋葉原駅です。

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スタンプ物語26・上野駅

寂しくなる北の玄関口も

上野恩賜公園の行楽客では賑わう

「上野山下ステーション」というのは、明治16年(1883)に日本鉄道の駅として開業した当初の風景です。山下というのは西側にある上野の山のこと。正確にいえば山でなく台地なのですが、標高20mほどの高さのある上野恩賜公園は、パンダで有名な上野動物園をはじめ東京国立博物館・国立科学博物館・国立西洋美術館・東京都美術館・東京文化会館などの文化施設が点在。桜の名所としても知られ、春は花見の人出で賑わいます。写真の駅舎は二代目になりますが、昭和7年(1932)竣工で往時の面影を残す遺構が今もなお、現役で機能しているわけです。

 上野といえば長らく「北の玄関口」として知られ、新幹線開業前は東北・上信越・北陸方面への列車が発着する駅でした。東北・上越新幹線開業後もその地位は揺らぎませんでしたが、平成3年(1991)6月20日に新幹線が東京駅まで延伸すると、その運行形態はガラリと一変。その後も山形・長野新幹線などの開業により、当駅始発の優等列車が激減したため、地上ホームも整理され、東北地方から集団就職で「金の卵」ともてはやされた若者を乗せて到着した18番線も平成11年(1999)にその使命を終えました。現在はそのレリーフとなる『あゝ上野駅』の歌碑(写真左)が駅前に立っています。石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』で唄われた「上野発の夜行列車」も激減しましたが、「北斗星」「あけぼの」(写真右)などが健在です。故郷が違っても故郷へ帰る旅情をかきたてられるのが上野駅なのです。

上野駅には他にも中央改札内みどりの窓口に右の新幹線とパンダと不忍池が描かれている逆三角形のスタンプのほか、「パンダの親子」「西郷隆盛と駅舎および寛永寺五重塔」が描かれた3つが設置されています(2012年2月現在)。こちらも見逃さないようにしましょう。
次回の停車駅は御徒町駅です。

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スタンプ物語25・鶯谷駅

ウグイス鳴く鶯谷

下谷七福神めぐりもぜひ

鶯谷のスタンプといえば駅名の通り「寛永寺とウグイス」です。このあたりは江戸期は寛永寺の寺領でした。寛永寺は寛永2年(1625)に天海の発願で建立。京都を守護する比叡山に対し、「東の比叡山」という意味から「東叡山」ともいわれました。承応3年(1654)に皇子が入山して以来、代々皇族が門主をつとめ、「輪王寺宮」と尊称されています。鶯谷の地名はこの輪王寺宮が「江戸のウグイスはなまっておる」と云って、京都からたくさんのウグイスを取り寄せて放ったのが由来です。現在では都市化が著しくウグイスの鳴き声などほとんど聞くことができませんが、朝の時間帯は駅ホームからウグイスの鳴き声を流しています。絶大な宗教的権威を誇った寛永寺でしたが、慶応4年(1868)の戊辰戦争では、彰義隊と官軍の戦場となり、根本中堂はじめ主要な堂宇は焼失。旧境内の敷地は現在の上野公園になっています。

鶯谷には2012年2月現在、旧スタンプ(右)も保管されており、南口改札係員に申し出れば押すことができます。こちらは寛永寺と駅南口から徒歩7分のところにある狂歌「おそれ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺の入谷朝顔市(毎年7月6~8日)が描かれています。当寺は「下谷七福神」の福禄寿を祀っていることでも知られ、七福神も描かれています。「下谷七福神」は昭和50年代に始まった新しい七福神で、期間は1月1~7日。真源寺の他は元三島神社(寿老神)・英信寺(大黒天)・法昌寺(毘沙門天)・ 弁天院(弁才天) ・正宝院(恵比寿)・寿永寺(布袋尊)で、起点は当駅あるいは東京メトロ日比谷線三ノ輪駅になります。こちらも日暮里の谷中七福神同様、色紙(2種類あり)を購入して、有料の御朱印を求めます。こちらの巡拝も徒歩2時間ほどで、鶯谷駅にはパンフレットがありますので、ぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
駅からのモデルコースはこうなります。
鶯谷駅北口→(徒歩3分)→元三島神社→(徒歩10分)→真源寺(入谷鬼子母神)→(徒歩5分)→英信寺→(徒歩3分)→法昌寺→(徒歩15分)→弁天院→(徒歩15分)→正宝院(飛不動)→(徒歩10分)→寿永寺→(徒歩3分)→三ノ輪駅
次回の停車駅は上野駅です。

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