直方市石炭記念館屋外展示車輌を眺める…後篇

軌間ナローゲージ車輌の部

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[場所]JR筑豊本線(福北ゆたか線)・平成筑豊鉄道伊田線 直方駅南方約500m

直方市石炭記念館屋外展示車輌を眺める…前回2022年1月7日アップの前篇では「軌間1,067mmゲージの車輌」を紹介したが、その続篇ではナローゲージの車輌をメインに紹介していこう。

ノッポELの右斜め前。後ろには炭車を従えている。
■直方市石炭記念館とは…
と、車輌紹介に入る前に、前篇でも案内文を記したが、こちらにも再掲載しておこう。
JR筑豊本線(福北ゆたか線)直方-勝野 間or平成筑豊鉄道伊田線 直方-南直方御殿口 間の列車に乗車していると直方駅から南に500mくらいの地点西側丘の上にSLとノッポELが置かれているのを目撃した方は多いであろう。
ここが「直方市石炭記念館」になる。

JR筑豊本線(福北ゆたか線)と平成筑豊鉄道伊田線を跨ぐ跨線橋上からの南西向きの眺めで、コッペル32号SLが直方市石炭記念館の目印。その左奥にはナローゲージのノッポELも見える。背後にある建物の左が別館、右が本館(元・筑豊石炭鉱業組合直方会議所)で、室内には資料などが展示され炭鉱の歴史を伝えている。
直方市石炭記念館は先にも記したが1971年に開館した産業博物館で、本館になっている建物の「筑豊石炭鉱業組合直方会議所」は直方市の文化財に指定されていたが、2018年10月15日には、この本館に加え「救護練習所模擬坑道」が文化財保護法に基づいて国史跡「筑豊炭田遺跡群」に指定されている。

ノッポEL

上に記した、線路から見えるノッポでスリムなELが、上にも写真を載せたが、ここから紹介する凸型電気機関車になる。
ということで、まずは線路沿いに展示されている坑外軌道の車輌から紹介していこう。

ノッポELの左斜め前。
ノッポELの左斜め後ろ。
軌間は540mmゲージ。
ノッポELの説明板。
上の説明板内に記されている「鯰田炭鉱」とは、直方市石炭記念館から南南西約9kmほどにあった炭鉱のことで、1970年に閉山。

■炭車(鉱車)
ノッポELの後ろには炭車2両を従えている。
炭車は坑内⇔坑外を直通運行する車輌になる。

炭車の左斜め後ろ。左の立っている樹木は石炭の成因植物の一つであるメタセコイア(アケボノスギ)の木の生きた姿。
炭車の右斜め後ろ。カメラを右へ少し振ったアングルがタイトル写真で、車輌は平成筑豊鉄道400形406号。
前の炭車の方はスタイルからすると、かなり後期の車輌と思われる。

炭車の説明板。
上の説明文のうち「平山」は福岡県嘉穂郡桂川町にあった平山鉱業所で1972年閉山、「赤池」は福岡県田川郡赤池町(現・福智町)にあった赤池鉱業所で1970年閉山、「高松」は福岡県遠賀郡水巻町にあった遠賀鉱業所でその内の高松第一鉱は1966年に閉山、の各炭鉱を指している。

坑内軌道

屋外展示ではあるが、坑内軌道の車輌や機械類も保存てされいる。
その保存物の中には、なんと「平山第一坑」坑口に掲げられていた扁額までが屋外保存展示してあった。

石炭化学館右(北)脇の屋外展示物。
上写真左奥の車輌(機械?)はロッカーショベルになる。

上写真左奥の機械の説明板。
ロッカーショベルは機械に一瞬見えるが、よく眺めると車輪が付いているので車輌とみなさせていただいた。解説中の「芳雄炭鉱」については後述しているので、そちらを参照願いたい。

■救急車・人車
救急車と人車を合わせて7両が保存されている。

上々の位置の右には救急車・人車が屋外展示されている。
一番奥の車輌の形態が少し他と違うので、コレが救急車だろうか?

上の位置からの反対(北東)向きの眺め。
人車編成の一番東側。
救急車・人車の説明板。
上の説明板に記されている「大之浦炭鉱(宮田町)」は前篇で掲載したコッペル32号SLが活躍した炭鉱になる。

■ロードヘッタ(全断面掘削機)
上々写真に写っているドリルが付いた黄色い機械は「ロードヘッタ」という。車輌ではないためか、説明板を撮っていなかったので、解説はココ本文に記しておこう。
「この機械は坑道やトンネル掘りに使用します。先端の白い刃のところが回転して岩石を削り、下に落ちた岩石を下にある爪がかきよせてコンベアーにのせて後にある炭車に自動的に運びます。運転手は一人でこれらの仕事をします、この機械は平山炭鉱で使われていました、製作は三池製作所で日本ではじめにつくられたものです。」(読点など原文通り)以上。

■自走枠

手前が自走枠。奥はロードヘッタ。
上写真の機械には「自走枠」のプレートが掲出されていたが、何に使用されていたのかの解説はなかった。
機械上の蓋のような床が上下する機構になっていることだけは見て取れる。

■炭車(鉱車)
人車展示のスペースの方にも炭車が保存されていたので、その写真も載せておこう。

奥は左から自走枠、ロードヘッタ。手前は左から炭車、人車。
炭車とロードヘッタのコンベア部。

練習坑道と坑内機関車

「練習坑道」は救護隊員の養成訓練、並びに隊員の練習指導のために建設された施設になる。

練習坑道の全景。こちらの軌間は未測のためゲージ不明。ナゼ測らなかったのか謎である(笑)。
練習坑道が何たるかは下写真の解説を読んで頂きたくお願いしたい。

練習坑道の説明板。

■圧縮空気式機関車(エアーロコ)
練習坑道の前には「圧縮空気機関車」とディーゼル機関車が展示されている。
大きなタンクを備えているのが圧縮空気式機関車(エアーロコ)になる。

練習坑道の坑口。奥がDLで手前がエアーロコ。
エアーロコのタンク側。
エアーロコの説明板。
上の解説の中の「上三緒・芳雄」とは福岡県飯塚市にあった上三緒炭坑・山内炭坑を合併した後の芳雄炭鉱を指し、1965年に閉山した。

■ディーゼル機関車

DLの右キャブ側。
DLの説明板。
ラジエータ側が見えないので何とも言えないが、坑内DLなので多分防爆タイプであろう。

残念な説明板

練習坑道の丘の中腹に展示物が見当たらない謎の説明板が立っている。

この説明板の展示物は見当たらない(笑)。
この説明板が指しているのは、1993年までこの場所に聳えていた三井田川第三坑の立坑やぐらになる。だけれども、上記の年にそのやぐらは解体され、この説明板は主人が居なくなった後も、一人残ってその痕跡を称えている。

直方市石炭記念館
開館時間・入館料は下記参照。

※アップ日時点では「年間パスポート」と「4館共通フリーパス」は扱いが無いようである。詳細は下記URLにて。
http://yumenity.jp/sekitan/

前篇で説明板の解説通りに「硅化木」と表記したけいかぼくですが、世間では「珪化木」と記されているようです(汗)。当サイトは鉱物の専門サイトではないので、気にせず読み流していただけたら幸いです。
ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。