日本の鉄道開業150年に寄せて旧・横浜駅を訪ねてみた

鉄道開業の話題は新橋(汐留)駅だけじゃない、旧・横浜(桜木町)駅にも注目してほしい

[場所]JR根岸線 桜木町駅

当サイトは鉄道系なので「鉄道開業150年」のまつり(笑)には強いて迎合しないつもりでいたが、このまつり(笑)で新橋駅はそれなりに紹介されているけれども、鉄道開業当時に新橋駅と同時開業の終着駅側「横浜(現・桜木町)駅」が、あまりにも話題にならなく寂しいので、横浜(桜木町)駅にも鉄道開業時に関わる展示があることをココで報じたく記事を書かせていただく。
それと、旧・新橋停車場は2017年10月24日アップ「駅前などにある鉄道系展示品を訪ねる(3)東京都・新橋駅」の中ですでに紹介してあるのもあって、この度はあえて横浜側を紹介させていただいたのもある。

旧・新橋停車場で、コチラはおそらく10月14日「鉄道の日」には鉄道開業150年の話題の中心地になっていることだろう。
その昔は、いまの桜木町駅が、かつての横浜駅なことは、当サイトの読者の皆さんはご存知と思うので、ココでの解説はスルーさせていただく(汗)。

※2022年10月11日筆者追記:横浜地区においては2022年10月16日に鉄道開業150thに関連する「横浜駅 鉄道6社局合同イベント」が神奈川県 現・横浜駅において開催されることが、JR東日本横浜支社より発表されました。
詳細は下記URLにて。
https://www.jreast.co.jp/150th/campaign/00088/

なんと日本の鉄道創業時の蒸気機関車がいる

さて、そのJR根岸線桜木町駅だが、駅前・駅チカに鉄道開業当時を記念した展示物がそれなりにあったりする。
桜木町駅新南口(市役所口)の西側に隣接して2020年6月にJR桜木町ビルが竣工したが、その1〜2階にCIAL桜木町ANNEXを開業。この1階エントランスホールに「旧横ギャラリー(旧横濱鉄道展示)」が開設され、ここに1872年(明治5年)日本の鉄道創業時に「10号機関車」として新橋(汐留)-横浜(現・桜木町)間を運行していた、日本で最も古いSLの1輌が展示されているのだ。

桜木町駅4番線ホームの関内方(南側)から眺めたCIAL桜木町ANNEX。電車は233系北行。
プラットホームから新南口へ降る途中で明治時代の横濱停車場の写真が出むかえてくれる。
新南口からCIAL桜木町ANNEXへは、こちらの狭いラッチ(笑)の改札口の方が近い。
旧横ギャラリーに新南口側から入ると、まず目にするのがこの光景。中央はジオラマで、その向こうに客車がいる。

■明治初期の横濱停車場のジオラマなど
記事の流れとしては、まず10号機関車から紹介してゆくのがベストなのだろうけれど、ココでは新南口側のCIAL桜木町ANNEX入口から近い順に眺めいく。けっして焦(じ)らしているわけではない(笑)。
まず、入ってスグにあるのが「明治初期の横濱停車場と街の風景」のジオラマ。そして右には「明治の鉄道建設と発展に貢献した人々」の解説パネル。その右奥には日本の鉄道開業当時のグッズ&資料類展示。ジオラマの対面には明治の横濱停車場のワイド写真と「最初の客車と明治のお客さま」の模型&資料展示などがディスプレイされている。

明治の鉄道建設と発展に貢献した人々のディスプレイ。左が「お雇い外国人の顔ぶれ」、右が「鉄道建設に尽力した日本人」。
「明治初期の横濱停車場と街の風景」のジオラマ。
写真3枚上の右側に見えるディスプレイの全体。
ジオラマの対面に掲げられたワイド写真と「最初の客車と明治のお客さま」のディスプレイ。

■双頭レール
10号機関車と客車を設置している展示線路のレールには何と双頭レールが敷設されている。

展示線路の客車側端。双頭レールなのが見てとれる。
双頭レールの説明板。
上の説明板を読むと「後に日本石油(株)柏崎製油所(新潟県)で使用され…」とあるので、旧・新橋停車場の「0哩標識」部にモニュメトとして敷設されている双頭レールと出自が同じと見なされる。

■鉄道創業時の中等客車(再現)
いよいよ展示車輛の紹介に入ろう。それでは入口に近い方に展示の「鉄道創業時の中等客車(再現)」から眺めていこう。

中等客車の桜木町側。
やはり桜木町側で、エスカレータからの屋根上の眺め。
中等客車の新橋側。
リンク式連結器のアップ。左が客車、右が機関車。
中等客車の説明板。
上の説明文を読んで解る通り「再現」ということでレプリカになる。とはいえリンク式連結器が間近で眺められたりと、それなりには見どころは多い。

■110形蒸気機関車(110号)
詳しい解説は写真3枚下の説明板に譲るが、いわゆる1872年(明治5年)の日本の鉄道創業時に新橋(汐留)-横濱(現・桜木町)間で使用された10両のうちの1輌で、日本で最も古い機関車の1輌になる。
説明板では「110形110号」と標記されているので、記事でも以後は「110形」の呼称を使用させていただく。
そして、中等客車の方はレプリカだが、こちらは本物だということを先に述べておいて、車輛を眺めていこう。

110形蒸気機関車の後位(2エンド)側。設置向き的には桜木町方。
110形蒸気機関車の前位(1エンド)側。設置向き的には新橋方。
110形蒸気機関車の説明板。
上の説明文で「廃車後は車体の一部を切開ののち…」とあるのは、ボイラー、ドーム、水タンクなどの内部構造が見られるように車体外板などをカットしてシースルーになっていたということ。「3号機関車」になったのは1876年(明治9年)の改番時で、車番はこの後に1885年(明治18年)にA形、1898年(明治31年)にA2形を経て、1909年(明治42年)以後の経歴は解説板通り。

フロントデッキ端梁。
左側動輪を覗いてみたトコロ。

■110形蒸気機関車1エンド側のディスプレイ
110形蒸気機関車の1エンド(前位)側の両端にも解説や模型の展示がある。

110形前位左側のディスプレイ。
110形前位右側のディスプレイ。

■鉄道創業時の遠方信号機(再現)
110形蒸気機関車の1エンド(前位)側の先、ウインドー脇には「鉄道創業時の遠方信号機(再現)」が立っている。

110形の右前方に立っているのが「鉄道創業期の遠方信号機(再現)」。
遠方信号機の説明板。
木製ということもあり、時代の移ろいから当然レプリカ(再現)だが、細部を眺め、解説を読むとなかなか興味深い展示物であると感じた。

屋外からウインドー越しに眺めた遠方信号機。

鉄道創業の地 記念碑といった屋外スポットなどは後日…

本来ならこの後に桜木町周辺の鉄道系モニュメントなどの屋外スポットも紹介するのが筋だが、なんとこの日、外は大雨になってしまったため、これらスポットを訪ねることは断念して、いずれ「続篇」として紹介させていただくことにする。
模型類などの展示を本記事では詳しく掲載しなかったのも、その時に改めてお見せする予定に延期したのもある。

新南口から南30mくらいの場所に立つ「鉄道創業の地記念碑」。
ではナゼそんな雨天に訪ねたのかというと、雨の日なら人出も少ないし写真が撮りやすいだろうと思ったため。しかしコレがまさかの土砂降りの大雨という…。
私事になるが、横浜なら筆者は月一くらいで出掛けているのでその時に写真は撮れるから、「いずれ」とは言っても1〜2ヶ月以内には「続篇」をお送りできるハズである。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。