JR東海 お得な「初旅フリーきっぷ」を発売

2011年12月15日 JR東海では、「初旅キャンペーン」を年初に展開すると発表しました。

キャンペーンでは初詣参拝で有名な豊川稲荷や名湯湯谷温泉へ、自由にお得にお出掛けいただけるフリーきっぷ(2種類)をキャンペーン期間限定で発売。フリーきっぷには特典が用意されています。

期間は平成24年1月1日(日)~平成24年2月29日(水)
元旦から使えますので豊川稲荷への初詣にも使えますね。

JR東海ニュースリリース「「初旅キャンペーン」実施について」※PDFです

京急 「京急開運フリーきっぷ」発売

2011年12月14日 京急電鉄「京急開運フリーきっぷ」を12月31日(土)から2月12日(日)まで発売すると発表しました。

京急・京急開運フリーきっぷ

フリー区間は「川崎大師」へ参拝に便利な川崎大師駅や新たな名所として注目度の高い「羽田空港国際線ターミナル」を含む大師線と空港線、そしてその間の本線区間。
きっぷは発売駅とフリー区間までの往復乗車券+フリー区間乗車券となっています。

京急電鉄ニュースリリース

スタンプ物語7・大崎駅

超近代的な駅舎に様変わり

お台場・湘南への分岐駅

スタンプの絵柄は、お江戸の史跡からはずれて「新駅舎とお台場」です。スタンプは「駅の顔」といいますので、たしかに近年急速に様変わりした駅舎と線区の様子を描くのもよいPRになるでしょう。大崎駅の新駅舎が完成したのは平成15年(2003)。前年の12月に東京臨海高速鉄道りんかい線天王洲アイル~大崎間の全線開業で、JR埼京線との相互乗り入れを開始しました。

スタンプの副題に「埼京線お台場まで直通」と書かれているのはそのためです。左上に描かれている観覧車が目印の建物はお台場のパレットタウン(写真左)です。りんかい線の最寄駅は東京テレポート駅で徒歩3分。新橋から接続するゆりかもめだと青海駅に直結していますが、大崎からりんかい線(写真右)に乗れば東京テレポートまでたったの10分です。
さらに平成13年(2001)12月に開業した湘南新宿ラインも当初は大崎を通過していましたが、りんかい線開業に伴い全列車が停車するようになりました。元々大崎は山手線の保守整備をする東京総合車両センターが隣接していたため、当駅発着の山手線電車が多いことで知られていました。しかし、りんかい線と山手貨物線を経由する湘南新宿ラインの分岐駅として、いまやターミナルの要所として生まれ変わりました。乗降客数も埼京線・りんかい線開業前と比べると2012年度で倍以上に増えています。

しかし、せっかくですので、お江戸に関する情報も付記しておきましょう。大崎は江戸期には天領や大名下屋敷があったところですが、工場群と駅前再開発で急速に変貌を遂げました。それでもお江戸の史跡は開発の狭間に残されています。新東口から山手通りを右へ進み、目黒川を渡って山手線ガードをくぐり、東海道本線と山手線にはさまれたところに、タクアン漬を考案したと伝わる沢庵和尚や江戸中期の国学者・歌人で知られる賀茂真淵が眠る東海寺大山墓地があります。駅から徒歩7~8分のところです。お茶漬けに欠かせないダイコンのタクアン漬けは元々備蓄食として以前からあったといわれますが、3代将軍家光が沢庵和尚の漬物をたいそうお気に入ったようで、和尚の没後、墓参りをした際に「沢庵漬けとせよ」と命じたことから、「タクアン漬け」といわれるようになったといいます(『守貞漫稿』)。一説には沢庵和尚の墓石(写真左)が漬物石に似ていることに由来しているともいわれますが、たしかに不思議な形状の墓石ですね。
近くには近代硝子工場発祥の地(写真右/品川区北品川4―11-5)で知られる「官営品川硝子製造所跡」の碑も立っています。前身は明治6年(1873)に東海寺境内に創設された興業社で、同9年(1876)に工部省に買収されて官営となりました。のち明治18年(1885)に民間に払い下げとなり、経営不振で同25年(1892)に解散。昭和36年(1961)に建物は撤去されましたが、煉瓦造り工場の一部は愛知県犬山市の明治村に移築・保存されています。
次回の停車駅は五反田駅です。


より大きな地図で 大崎駅 を表示


※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。

旅行情報やイベントをお知らせしていきます

みさなんこんにちは。鉄道旅のガイドです。

現在当サイトでは駅のスタンプ巡りをご紹介しています。東京駅から始まり有楽町、新橋と順にご紹介しています。それぞれの記事はこちらになります。

スタンプ物語1・東京駅
スタンプ物語2・有楽町駅
スタンプ物語3・新橋駅
スタンプ物語4・浜松町駅
スタンプ物語5・田町駅

・・・まだまだ続きますよ。ご期待ください。

そして、このたび鉄道旅のガイドでは旅の情報やイベントなどのニュースをお届けすることになりました。
こちらについても是非ご期待ください。

今後とも「鉄道旅のガイド」をよろしくお願いします。

スタンプ物語6・品川駅

品川区でなく港区にある駅

旧東海道で昔ながらの旅を体感

品川は東海道の最初の宿駅で、スタンプには歌川広重の「東海道五十三次」が描かれています。すぐ近くに海があるように江戸時代は品川駅のあったところはまだ海でした。実際の旧宿場町は駅から徒歩10分ほどの八ツ山橋からで、八ツ山コミュニティー道路には、200mほどのミニ東海道が再現されています。
ここから旧東海道が京急本線に並行して続きます。一般的に知られているコースは、青物横丁までの3キロ、約2時間ですが、旧街道はこの先、立会川の先の鈴ヶ森刑場跡まで続き、ここで国道15号(第一京浜)と合流します。途中にはお休み処もたくさんありますので、マイペースで歩き、歩き疲れたら最寄の京急の駅から電車に乗るのがベターです。あまり歩き過ぎてしまうと本題から脱線してしまいますので、ここでは品川宿本陣跡までのコースを紹介しましょう。

品川駅から徒歩15分ほど歩き、旧東海道から南下して八ツ山通りを隔てたところ利田神社の境内に写真左の鯨塚(品川区東品川1-17-7)があります。碑文によれば、寛政10年(1798)に品川沖にクジラが迷い込み、漁師たちがこれを捕えました。体長九間一尺(約16.5m)、高さ六尺八寸(約2m)の大鯨だったそうで、江戸中の評判となり、時の11代将軍家斉が浜御殿(現・浜離宮恩賜庭園)で上覧しました。この鯨が解体されて骨を埋めた供養塔が鯨塚と呼ばれるようになりました。この近くには屋形船がたくさん碇泊する船着場もあり、海に近いことが実感できます。
この鯨塚から徒歩7分行った写真右の品川宿本陣跡(北品川2-7-21)は、聖蹟公園として整備されており、当時の間取りや歌川広重の絵画などがタイルで紹介されています。「聖蹟」の名がついているのは明治天皇の行在所が置かれたことに由来し、昭和13年(1938)に東京市の公園になりました。残念ながら往時の遺構は残っていないのですが、このまま西へ北馬場通りを行けば品川の鎮守で知られる品川神社(北品川3-7-15)があり、山手通りを行けば弘化元年(1844)築の社殿が残る荏原神社(北品川2-30―28)があります。そのまま山手通りをまっすぐ歩けば次の大崎駅まで抜けられますが、帰りは新馬場駅から京急で品川駅へ戻りましょう。

山手線は1周34.5キロですが、東京~品川間は線籍上では東海道本線で、正式な山手線の区間は品川~田端間20.6キロです。5・6番線の階段上付近には写真左のような山手線の0キロポストと湘南電車を模した郵便ポスト(投函可能)が立っています。キロポストと郵便ポストを引っ掛けたのでしょう。また山手線1番ホームには起点を示すプレート(写真右)があります。描かれている怪獣はゴジラで、これは昭和29年(1954)に東宝映画『ゴジラ』が上陸した地点が先述した八ツ山橋だったからです。ゴジラの進路は東京大空襲の米軍の経路と同じように設定されていますが、この八ツ山近くの品川沖にクジラが上陸したことを考えれば、クジラとゴジラの不思議な縁ですね。
プレートには鉄道発祥の地と書かれていますが、これは明治5年(1872)10月14日の新橋~横浜(現・桜木町)間の開業に先立つ6月12日に品川~横浜(現・桜木町)間が仮開業していたからで、新橋より先に開業した真の発祥の地になるわけです。そのため5・6・11・12番線の東海道本線ホームでは、『鉄道唱歌』の発車メロディが導入され、メロディの最後に蒸気機関車の汽笛も流れると粋な演出がはかられています。
次回の停車駅は大崎駅です。


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※スタンプは紛失・摩滅・取替などの事情により、ない場合もございますのでご了承ください。また、駅員のいない時間帯は押せないこともありますのでご注意ください。