世界遺産『平城宮跡』の中を通る鉄道線

鉄道旅を一層たのしくする車窓・施設案内シリーズです。
[場所]近鉄奈良線 大和西大寺-新大宮
近鉄奈良線の下り電車に乗ると、大和西大寺駅を出発して600m程の地点から約1kmの間、奈良県の県都中心間近とは思えないような平原が広がる光景が展開する。関西の方や史跡に興味がある方ならいまさらのネタと思うが、ここが『平城宮跡』で、1998年12月に「古都奈良の文化財」のひとつとして世界遺産に登録されている。このような場所の真っただ中を近鉄奈良線が東西に横断しているからこそ眺められる景色なのだ。

平城宮跡は、現在は遺跡の整備・建造物の復原が進められており、下り(奈良行)電車の場合で車窓左手彼方に「第一次大極殿」、右手間近に「朱雀門」が眺めらる。そんな世界遺産の中を通る鉄道線というのは世にも希な存在なので面白いと思い眺めてきたので、ここで紹介していこう。

大和西大寺駅北口前から県道104号線を東へ800m程進んだ場所に平城宮の北側の入口がある。建造物は第一次大極殿。
大和西大寺駅北口前から県道104号線を東へ800m程進んだ場所に平城宮の北側の入口がある。建造物は第一次大極殿。
大和西大寺駅から奈良駅方に1km程の地点からの北側の車窓。彼方に第一次大極殿が望める。
大和西大寺駅から奈良駅方に1km程の地点からの北側の車窓。彼方に第一次大極殿が望める。
第一次大極殿の1階テラスからの南側の眺め。700m程先にある朱雀門の前の近鉄奈良線に京都市営地下鉄10系電車が走っている姿が望める。ちなみにタイトル写真も同じ場所からの撮影になる。
第一次大極殿の1階テラスからの南側の眺め。700m程先にある朱雀門の前の近鉄奈良線に京都市営地下鉄10系電車が走っている姿が望める。ちなみにタイトル写真も同じ場所からの撮影になる。
平城宮跡内にある案内板。説明文は下の本文を参照。
平城宮跡内にある案内板。説明文は下の本文を参照。
上の案内板右上の地図のアップ。左中央から右下へ通っている筋が近鉄奈良線だ。
上の案内板右上の地図のアップ。左中央から右下へ通っている筋が近鉄奈良線だ。
3枚上写真右の踏切からの南南東向き、朱雀門の眺め。
3枚上写真右の踏切からの南南東向き、朱雀門の眺め。
上写真の踏切の南寄りから北向き、第一次大極殿方の眺め。走行車輛は22000系ACE。
上写真の踏切の南寄りから北向き、第一次大極殿方の眺め。走行車輛は22000系ACE。
朱雀門の基壇からの北向き、第一次大極殿を眺めたところ。手前の近鉄奈良線を走っているのは22600系Ace。
朱雀門の基壇からの北向き、第一次大極殿を眺めたところ。手前の近鉄奈良線を走っているのは22600系Ace。

平城宮、そして平城京とは何なのか、だいたいの方は歴史の教科書で習っているので知っているだろうから、解説は写真5枚上の案内板の説明文の写しのみの掲載に留めることにしよう。

「特別史跡 平城宮跡 昭和27年5月29日特別史跡指定 大正11年10月12日史跡指定 710(和銅3)年、飛鳥に近い藤原京から、奈良盆地北部のこの地に都が移された。大路小路が碁盤目状に通る平城京の人口は、10万人とも20万人ともいわれている。平城京の中央北端に位置する平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの大きさで、天皇の住まいである内裏、政治や儀式をとりおこなう宮殿、さまざまな役所、宴会の場となる庭園などが設けられていた。しかし、都は784(延暦3)年に長岡京へ、さらにその10年後には平安京へと移り、平城京も宮もしだいに土の中に埋もれていった。現在、平城宮跡は国の特別史跡として大切に保存され、奈良文化財研究所が発掘調査を続けている。これまでの調査の結果、平城宮は四角形ではなく東側に張出し部をともなっていたことや、政治の中心施設である大極殿と朝堂院の区画が東西2ヶ所あったことなどが明らかになっている。こうした成果にもとづき、遺跡の復原・表示をおこなっている。」

なお、平城宮跡にはもうひとつ復原された場所がある。それは「東院庭園」で、2000年に復原整備事業が完成し、2009年に 名勝 に、2010年に 特別名勝 に指定されている。

大和西大寺駅から奈良駅方に1.3km程の地点からの北側の車窓。割と近い位置に門と築地塀が見える。
大和西大寺駅から奈良駅方に1.3km程の地点からの北側の車窓。割と近い位置に門と築地塀が見える。
上写真の築地塀の向こうにあるのがこの東院庭園になる。
上写真の築地塀の向こうにあるのがこの東院庭園になる。
上々写真の門、いわゆる東院庭園の建部門からの南西向きに近鉄奈良線を眺めたところ。写真中央に朱雀門が見える。近鉄奈良線を走っているのは12200系 新スナックカー。
上々写真の門、いわゆる東院庭園の建部門からの南西向きに近鉄奈良線を眺めたところ。写真中央に朱雀門が見える。近鉄奈良線を走っているのは12200系 新スナックカー。

上で紹介している建物が奈良時代の建造でないことは、誰が見ても解ると思う。かつての平城京の域に多く現存している寺社とは異なり、上記の案内板の説明文にもある通り 平城宮 があった場所は都が784年(延暦3年)に長岡京に遷都されると、しだいに農地となって位置の特定が難しい状態になっていったからだ。
それもあり、近鉄奈良線の前身、大阪電気軌道が1914年(大正3年)にこの区域に線路を敷設する時のルート決定も、当時発見が予想されていた大極殿の位置はうまく外せたものの、見事に平城宮跡の真っただ中を横断する形になってしまった。
しかし結果、その遺跡の中を通っている鉄道線というシチュエーションになり、平城宮跡の存在を世間にアピールするネタとして十分なインパクトを与えてくれている。
では、近鉄奈良線がどんな場所を通っているのかの写真も紹介しよう。

平城宮東端付近の踏切からの西南西方向の眺め。左の建造物は朱雀門で、近鉄奈良線の線路が二条大路跡のラインに対して斜めに通っているのが解る。近鉄奈良線を走っているのは阪神1000系。
平城宮東端付近の踏切からの西南西方向の眺め。左の建造物は朱雀門で、近鉄奈良線の線路が二条大路跡のラインに対して斜めに通っているのが解る。近鉄奈良線を走っているのは阪神1000系。
上写真の位置の線路反対側からの北東方向の眺め。右に見えているのは第一次大極殿で、左の築地塀は朱雀門から東へ延びる南面大垣の一部。近鉄奈良線のルート変更後にはこの塀は延長されることになるのだろう。近鉄奈良線を走っているのは8600系。
上写真の位置の線路反対側からの北東方向の眺め。右に見えているのは第一次大極殿で、左の築地塀は朱雀門から東へ延びる南面大垣の一部。近鉄奈良線のルート変更後にはこの塀は延長されることになるのだろう。近鉄奈良線を走っているのは8600系。

2017年1月、奈良県は平城宮跡を横断する近鉄奈良線の宮跡外への移設に向けて本格的な検討を始めたことを明らかにした、との報道発表があった。
移設ルートの正式発表はまだないが、個人的な意見として書かせていただくと、遺跡付近を通るため地下化や特大高架橋はないと仮定すれば、大和西大寺駅からは橿原線に添って南にカーブし、さらに東にカーブして二条大路跡の南側を平行に通って、奈良市役所の北側に達するというのが違和感ないルートではないかなと思う。これなら大和西大寺駅の南東側に立体交差のスペースも設けられるため、近鉄奈良線と京都線・橿原線との平面交差の一部解消にも寄与できるだろう。
ちなみに大和西大寺駅の平面交差を、上記の位置とは反対寄りの北西側ではあるが2016年8月5日アップの「近鉄 大和西大寺駅の展望デッキ」(←その記事はここをクリック)で紹介している。
何はともあれ、奈良県がどんな判断を下すか、いまから楽しみではある。

平城宮跡からは東に若草山が遠望できる。平城宮跡の復原整備事業が完了の暁には、天平の頃へと誘ってくれる場所になってくれることだろう。
平城宮跡からは東に若草山が遠望できる。平城宮跡の復原整備事業が完了の暁には、天平の頃へと誘ってくれる場所になってくれることだろう。



[寄稿者プロフィール]
秋本敏行: のりものカメラマン
1959年生まれ。鉄道ダイヤ情報〔弘済出版社(当時)〕の1981年冬号から1988年までカメラマン・チームの一員として参加。1983年の季刊化や1987年の月刊化にも関わる。その後に旧車系の自動車雑誌やバイク雑誌の編集長などを経て、2012年よりフリー。最近の著書にKindle版『ヒマラヤの先を目指した遥かなる路線バスの旅』〔三共グラフィック〕などがある。日本国内の鉄道・軌道の旅客営業路線全線を完乗している。